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因果の道理、良い種蒔いたら良い結果。
悪い種には悪い結果、自分の蒔いたものは全部自分の返ってくる。
自業自得です。

蒔いた種は必ず生えると言うことですよ。
しかも、蒔いた種に応じた結果が現れるってことです。
これを因果応報といいます。

これは宇宙の真理ですから、いつでもどこでもかわらないことです。
すべての結果には必ず原因があります。
これ曲げられますか?
これが曲がったら、私たちが学んでる学問、全部崩壊する。

これが道理でもなんでもないとなったら、私たちが学んでること、全部崩壊しますよ、
ご破算になる。
そんな馬鹿なこと絶対にない。

因果の道理が曲げられるなんて、絶対にない。
ブッダが説かれても説かれなくても、
すべての結果には必ず原因があります。



事実、西洋の人が考えた似たようなものに、
原因と結果の法則というものがあります。

これも仏法聞いてる聞いてない、絶対に関係ない。
曲げられない事実、宇宙の真理という事です。

この因果の道理にもとづいて、
苦しみの根本原因を明らかにして、
本当の幸せにするのが仏教の目的なのです。


by sakyamuni | 2019-03-20 12:00 | 因果の道理 | Comments(0)

仏教はなぜ聞くのか

死は私たちの100%確実な未来です。
死の恐怖なんかないと言っている人は
自分が死ぬと思っていない人です。

まだ死なん、まだ死なんと思ってる人が、
死んでってるじゃないですか。

以前、宇和島高校の練習船が、
ハワイで潜水艦にぶつかって沈没した事件がありました。
そして高校生の9人、死んでしまいました。

高校生なのでほとんどの人より若い人で生きていればこれから活躍した。

そんな人が、まさか、ハワイ沖に行って、潜水艦にぶつかって、、、
そんなこと考えたかってことです。

そこにいたら死ぬとわかてから、そんな船に乗るかってことですよ。
おそらく99、9%乗らない。

乗るとしたら死のうと思って乗るわけですから、自殺です。

だから、自分が死なないと思ってる人が
次から次に後生に飛び込んでってるじゃないですか。

だから、仏教を聞くとか聞かないとか、ぜんぜん関係ないですね。
100%確実に死にます。
今まで考えたこともない死後の世界に入って行く。

その死の問題を解決するのが仏教なのです。
仏教を聞く目的は、この死の問題の解決です。



by sakyamuni | 2019-03-17 12:00 | 仏教 | Comments(0)

今回は、私たちはなぜ仏教を聞かねばならないか、その仏教の原点についてです。

世間では、仏教は聞いても聞かなくてもどっちでもいい。
ひまな時は聞いたらいいけれど、忙しいとき、
例えば仕事のある時、
のっぴきならない用事があるとき、
国家試験すべったらたいへんだから、
そう言う時は聞かなくてもいい。
世間ではそう思われています。

仏教と言えば、聞いても聞かなくてもいい。
ひまがある人は聞いたらいいだろう。
為になるから。
だけど、どうしても忙しいとき、用事がある来は、聞かなくてもいい。
そう思っている人がいっぱいいる。
また、あなた方の中でもそう思ってる人ありますね。

これは、仏教説かれたブッダが教えられることと、全く違うことを言っています。
ブッダはお経のどこにも、そんなことおっしゃっていない。
それどころか、お釈迦さまは、仏教と言うのは、生きとし生ける人が必ず聞き求めなければならない教えである。
地球上60数億すべての人が、必ず聞き求めなければならない教え、聞かなければならない教え、それが仏教であると言われている。
なぜ、世間で言われていることと、お釈迦さまが教えられること、こんなに食い違うのか。

それは、目的の違いです。

世間の人は、仏教というと、道徳倫理に毛の生えたものと思っている。
道徳、倫理というのほ、人と人が摩擦なくやっていくにはどうしたらいいか、人間関係の潤滑油。
そう言うものを教えているのが道徳、倫理。
もしそう言うものを教えているのが仏教なら、聞いても言いいい、聞かなくても言いですよ。
人に迷惑かけてまで聞かなくて良い。
そうなります。
人に迷惑かけるのは、道徳倫理に反する。
だから、人に迷惑かけてまで聞かなくて良いとなる。
仏教が道徳倫理に毛の生えたようなものなら、そうなる。
けれど、断じてそういうものではない。

ブッダが言われている通り、すべての人が抱えている心の、魂の一大事、これを後生の一大事と言います。
すべての人が抱えているところの魂の一大事、これを後生の一大事と言います。
私は後生の一大事と関係ない、という人はありません。
後生とは死後の世界のことですから、後生の一大事とは死後の世界の一大事です。
どんな人も死ぬことは100%確実です。
ですからすべての人が抱える魂の一大事です。
だからブッダは、すべての人が聞かなくてはならないのが仏教だと断言されるわけです。


by sakyamuni | 2019-03-13 10:16 | 仏教 | Comments(0)

西尾寛二『国民の歴史』

『国民の歴史』という西尾寛二が書いた本があります。

興味深い所が一個所あります。
一番最後です。

結論、未来に夢を持てない時代に私たちは突入しています。
平和の虚しさを語っています。

ハイデガーの虚しさの3段階を引用しています。

1つはドイツの田舎で電車を4時間待っている時に感じる虚しさ。
駅のキヨスクなんかで雑誌が売れるのはこういう手持ちぶさたの虚しさ。

2つ目は友人にディナーに招待されて、楽しんで、
家に帰ってきて書斎で机に向う虚しさ。

3つ目は人間存在そのものの虚しさです。
これは対処しようがありません。
しかも軽視しがちである。
ところがこの3つめの虚しさが問題です。

哲学的にも虚しさを考察した人がいるんだということで話をすると説得力があります。
そしてその虚しさを仏教では解決が明らかにされています。



by sakyamuni | 2019-03-10 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

仏教という言葉

仏教という言葉があります。
しかし「仏教」というと、宗教偏見の強い人は、
その時点で心を閉ざして抵抗する可能性があります。

しかし、本来の仏教はその人の先入観にあるような、葬式法事、新興宗教などとは違います。

それだと食わず嫌いになりますから、
もし仏教という言葉に抵抗があるならば東洋哲学と言えばいいと思います。

法華経般若心経などのお経にこういう言葉がある、
といっても宗教偏見ある人は気になります。
だから最初は仏典といったらいいでしょう。
内容を聞きさえすれば、それがお経になっても抵抗がなくなっていきます。

お釈迦さまも、最初はブッダといったりします。
親鸞聖人も、親鸞という人が、とか。
言い方っていろいろ工夫しなければならないです。
有無同然も、四字熟語にこういうのがある。
といういいかたをします。

そうやっと、最終的には、仏教に明らかにされた本当の生きる意味が明らかになっていくのです。



by sakyamuni | 2019-03-07 12:00 | 仏教 | Comments(0)

料理の腕と食材の関係

なぜ科学が発展しても、心からの安心も満足もできないのでしょうか。

それを考えさせられるのは、料理の食材と料理の腕の関係です。

せっかく高いお金をかけて
フォアグラとかいろんな珍味をもってきても、
3才の子供に作らせたら、
とても変なものになってしまいます。

しかし、一流のコックはプレーンオムレツをつくらせれば分かります。

昔、料理の鉄人というテレビ番組で、
鉄人と小学生の対決をしていました。

ハンディキャップとして、
鉄人は、コンビニで買ってきた食材のみを使い
小学生はどんな高級な食材でも使うというものでした。

ところができあがったものは、
やはり鉄人のほうが美味でした。

私たち、どんなに科学が発達しても、
それを幸せに活かすことができなければ
幸せにはなれません。

科学技術を食材だとすれば、
料理の腕にあたるものは何かというと、
それを何に使うのか
ということです。
それが定まらなければ有効利用は絶対にできないからです。

つまり科学の目的です。
科学の目的は何かがわからないまま
単に技術を向上しても幸せにはなれません。

その科学の目的を知るには、
科学は人間が生きるためのものですから、
私たちが生きる目的を知らなければなりません。
私たちが生きる意味が分からなければ、
科学がどんなに進歩しても、不安や不足はなくならないのです。

その本当の生きる意味が教えられているのが仏教です。



by sakyamuni | 2019-02-28 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

ダイハード

ダイハードという映画があります。

不死身とか、なかなか死なないという意味です。
ブルース・ウィルス主演です。

この映画は、5分に一度死にそうになるシーンが連続します。
死にそうにはなるけれど、最後助かるから売れたんです。

途中で死んでしまったら、それで終わりです。
今までの苦労が水の泡になります。
助かりきらないと面白くありません。

一時的に助かったといって喜んでいても、
何の為の人生だったか、
ということになってしまいます。

しかし、私たちは最後必ず死んでいきます。
ダイハードなら、途中で死ぬようなものです。
必ず途中で崩れてしまうということを自覚すれば
という疑問が当然起きてきます。

もし途中で終わったらだめだとすれば、
人間に生まれてきた目的は、
摂取不捨の利益をうるためです。
不捨というのは、捨てられない、という意味です。

それは助かりきる世界です。
それが絶対の幸福です。
その身になることが本当の生きる意味です。
それが仏教に説かれています。




by sakyamuni | 2019-02-24 13:00 | 生きる意味 | Comments(0)

本当の生きる意味というのは
孔子の言葉をかりれば、
「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」
というものです。

この孔子の言葉では、「」が本当の生きる目的にあたります。
つまり、これ一つ得たならば、
もういつ死んでもかまわないといえるものです。

それを得たならば今晩死んでもかまわないということです。
だから、この木曜日でいつ死んでも後悔なし、
と思えたならば、あとは大満足になれるんです。

命懸けという言葉があります。
何に命をかけるかです。

だらだら生きた人。
だらだらと命をかけてきた。
命をかける、何に命をかけたらいいか。

最後は死にますから、
どっちみち何かに命をかけるのです。
だから何に命をかけるか、それが大事です。
それについて教えられているのが仏教です。
儒教ではありません。

仏教を知らない場合、
有名な人や歴史に名を残した人でも、
後悔している人はたくさんいます。



by sakyamuni | 2019-02-21 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

初めて仏教を聞きに来た人と話をするのが怖い場合、
どうしたらいいのでしょうか。

このような人は、結構います。
そういう場合は、相手の立場に立つことが大切です。

そうすると、むしろ向こうが怖がっていると思います。
多分怖がっています。

自分のこと嫌われるのではとビクビクしています。
立場関係からいうと初めて聞きにきた人より、
すでに聞いている人が有利です。
経験も豊富で友人もたくさんいます。

初めての人のほうは、10人ぐらいなら別ですが、1人きりです。
そこでこちらが怖がっていて避けていたら、余計怖がって行きたくなくなってしまいます。
実際には向こうが怖がっているのです。
初めての人のところへ行ってあげることが
「あーよかった。安心していいんだ」
と思ってもらえます。
向こうのほうが怖がっているのだから恐れることはありません。

安易に
「何か質問ある?」
と聞くのはプレッシャーを与えてしまいます。
こちらが思っているのとは逆です。
向こうの不安のほうが大きい。

前から聞いているこちらが是非教えてあげて欲しい。
不安に思っていること、そういうことを話して欲しいところです。
そうすると仏縁が結べて、本当の生きる意味を伝えることができます。


by sakyamuni | 2019-02-14 12:00 | 顕正 | Comments(0)

自利利他の菩薩の精神

おおよそ、心のコントロールができないということは、
大人とは言えません。

子供はいいことがあると喜ぶし、
嫌なことがあるとすぐに腹を立てます。

仏教がすばらしいから伝えたいと思っても、
言い返してくれないと悲しむし、
腹を立てることをおそれて言えないというのが多くあります。

仏教を伝えるのは、そんな自分の殻を破るいいチャンスです。
縁がなければ破れないからです。

また、考え方を変えると楽になります。
ダメでもともとです。
「断られてもともと、でも、声をかけてみるか」
こういう風に声をかけてみましょう。
それでダメだった、
こういう気持ちです。

「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」
下手だとあたる確率が低い、
だけど撃っているうちにだんだん上手になる。
そういう精神が大事です。

そうすると、相手に幸せを伝えるままが、
自分の仏教の理解が深まって、
自分が本当の幸せに向かって進むことになります。
これが自利利他です。

子供は餓鬼といわれるように、我利我利亡者です。

菩薩の精神は、
自利のままが利他、
利他のままが自利という
菩薩道です。

教える人は、2倍学ぶのです。


by sakyamuni | 2019-02-12 00:00 | 顕正 | Comments(0)