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影をおそれて走る

影を畏れて走る」という故事成語があります。

中国の老荘思想で有名な「荘子」の中に出てくる言葉です。

功名を追い、理想を求め、必死に努力している孔子を批判して
漁夫(ぎょほ)が次のようなたとえ話を持ち出して言っています。

自分の影を畏れ、足跡を嫌い、
これを振り切ろうとして逃げ出した男がいた。
ところが、足を速めて、懸命に走れば走るほど、
影はいよいよピタリとくっつき、足跡の数はましていきます。

まだ、遅いと思ったその男は走るスピードをあげたが、
ついに力つきて死んでしまいました。

木陰に身をおき、影をなくし、
静かなところでとどまって
足跡をなくすということを知らなかったんだ。
愚かな男だよ。

この話から、
「影を畏れて走る」
といえば、何かに追い立てられるように、
やみくもに突っ走り、
無我夢中で生きている様をさす故事成語として
使われるようになりました。

そうすると、夢のように酔生夢死してしまいます。
一体なんのために生きるのかわかりません。
かといって、その場に留まっていることもできません。
本当の生きる目的を知らなければならないのです。
それは、「荘子」ではなく、「仏教」に教えられています。



by sakyamuni | 2019-01-12 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

八正道の8つの関係

仏教では、さとりに向かう行いを8つにまとめて
八正道が教えられています。

八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つです。

正見とは、正しい見方をする事。
正思惟とは、思惟とは考え方という事で、正しく物事を考えるという事。
正語とは、正しい言葉使い。
相手の立場に立って言葉を使う。
正業とは、業とは行為という事で、善い行為。
正命の命とは、生活という事で、時間・食事・仕事などの事。
正命とは、正しい生活。
正精進とは、正しい努力。
人生の目的、究極的には仏のさとりに向かっての努力。
正念の念とは、信心と言うこと。
信念とは、必ずやるぞーという思い。
正念とは、正しい信念。
正定とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念の七つをまとめてやるということ。

図にするとこうなります。
八正道

(1)正見
(2)正思惟
(3)正語
(4)正業
行い
(5)正命
生活—時間
食事
授業
——
——
(6)正精進
(7)正念
(8)正定

私達は、をやってさとりを得られ、人生の目的を果たせるわけではないが、
善い事やるのは非常に大切である。
善い事をやっていかなければ、ダラダラとした生活・人間になってしまう。
人生の目的に向かって進みません。

肉体があるままで本当の幸せになれる、仏のさとりを得られるというのが、有漏涅槃
聖道仏教では、もともと私達は仏性があると言われ、
その仏性のまわりには煩悩があると言われている。

その煩悩に包まれた仏性を修行で磨きあげて、
仏のさとりを得ようとするのが、聖道仏教の教えである。

浄土仏教では、苦諦は後生の一大事、集諦は後生暗い心・心の闇、
滅諦は無碍の一道・信心決定、道諦は阿弥陀仏の本願・聴聞と言われる。


by sakyamuni | 2018-12-31 12:00 | 因果の道理 | Comments(0)

世の中には、原因と結果の法則というものがありますが、
もとは仏教です。

どんなものかというと、仏教の根幹は因果の道理です。
仏教の因果をくわしく言えば、因、縁、果のことです。

それぞれどんなことかといいますと
因とは果に対して直接原因をいい、
縁とは、その間接的原因、
すなわち因が果になるのを助けるものを指します。
果とは、もちろんそれらの因と縁によって結実したものをいいます。

一切のものは必ずそうならしめた原因があってできたもので、
固有の存在や偶然のでき事などでできたものは
絶対にないとするのです。

所謂、まかぬタネは生えぬで、
原因なしの結果等はあり得るはずがありません。

因に縁が和合して結果を生じます。
これを因縁和合といいます。

お米はモミダネを因としてできるが畳の上に蒔いては
いつまで経っても米という果にはなりません。

モミダネを米という果にするには
土壌や水分や日光も必要だろうし、
空気等の助けによってようやく米になるのです。

この場合モミ種は米の果を造る因であり
土壌や水分や日光、雨、露等はモミダネを助けた縁です。

一切のものは、みなこの因縁果の道理に順って成立し、存在し、変化する
仏教で教えられます。

これによって引き寄せの法則なども生み出されているのです。



by sakyamuni | 2018-12-27 13:00 | 因果の道理 | Comments(0)

病気にかかったときには、その病気がどんな病気で、どんな症状で、
何が原因かをチェックしてもらわないといけません。
病気を治すには、まず正しい診断が基礎にあります。
診断ができないのに、投薬しても、意味がないか、マイナスになることもあります。

正しい診断に基づいて、病気の原因がわかり、その原因を治療していくのです。

それと同じように、私が悪い結果を受けたときに、
私のどこにどんな原因があるのかということを知ることが、
本当の幸せになるのに大切なことです。

人生が虚しい人場合、何が原因なのか。
五月病スチューデントアパシーなのか、それとも何か別の原因があるのか。

幸せになれないのは、どんな原因があるのか。

ブッダ仏教の中に法鏡に照らし出された自分の姿はどう教えられているか、
そして何をどう変えたら、本当の幸せになれるのかということを
教えられています。

ぜひ仏教講座に足を運んでみてください。



by sakyamuni | 2018-12-23 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

哲学にない仏教の特徴

私の知る限り、スフィンクスの人間に人間を問うなぞなぞや
ソクラテスの「汝自身を知れ」や
ソフィーの世界の「あなたは誰?」など、
自分自身を知りなさいと言っているという事はあるが、
自分の本当の姿はこういう姿をしているんですということは
どんな哲学の本の中にもありません。

ところがブッダが説かれた仏教の中には、
自分自身の姿を知ることが大事だと言うことも説かれているが、
その自分の姿も説かれているし、
何がどう変わったら本当の幸せに生まれ変わるのかということも
仏教の中には説かれています。

こういう点で他のものと比べるとずば抜けて素晴らしい教えがあるから、
ブッダのことを世界最高の偉人だといわれるようになった所以です。

あなたが仏教を聞けば聞くほど、知れば知るほど、
本当の自分の姿が知らされるようになります。


by sakyamuni | 2018-12-20 12:00 | 罪悪 | Comments(0)

禅宗の有名な僧侶に道元という人がいました。
禅宗の中でも曹洞宗です。
ひたすら座禅を組みます。

心をしずめて座っています。
これは「今日のご飯はなんだろう」とか
「いとしのエリーちゃんはどこにいるだろう」
と思って座るのではありません。

自分と向き合って自分の心を知るのです。

その道元の残した言葉に、
「仏道を習うということは、自己を習うことなり」
という言葉があります。

仏教を聞き求めるということは、
自分の心を知ることなのです。
だから、仏教の教えにしたがって進んで行くと、
今まで知らなかった自分の心が知らされてきます。

なぜなら、幸せというのは、自分の心の状態ですから、
自分の心がわからないのに
幸せになるということもありません。

仏教は、本当の幸せになることを目的としていますので、
自分の心を知らないといけないのです。


by sakyamuni | 2018-12-17 12:00 | 罪悪 | Comments(0)

孫子の兵法で、
「敵を知り、己を知れば、百戦してあやうからず」
といわれます。

結婚も一つの戦いかもしれません。
私はどうも目が外に向いているので、相手のことをどうこうというが、
自分はどうかということはあんまりよくわかっていないのかもしれません。

女性に結婚する相手はどういうタイプがいいか?
と聞くと、私のことを分かってくれる人、身長は175cm以上、
見てくれがよくないと駄目ね、と条件が次から次へと出てきます。
男性に聞いても、自分のことをよく分かってくれて、
気が付いてくれて、やっぱりかわいい子がいいな。

優しい人がいいなと相手に対する注文は非常に多くあります。

その特徴としては、そういったあなたは優しいのか、
頼りがいがあるのか、人のわがままを許せる人なのか、
あなたの顔はどうかと考えてみると、
私たちの目は常に外を向いています。
自分のことは分かっているようでわかっていないのです。結婚するということは、この人といっしょになったら、
この人が私を幸せにしてくれると思っているから幸せにしてくれない
怒りの心がおきます。

反対に、私がこの人に幸せを与えられる人物かどうかということを考えないと、
相手に高望みする一方では、幸せにはなれません。
鏡の法則でいれるように、
相手がやっていることは、自分の心の現れです。

私たちは他の誰かに期待する。
それで当然でしょうと思っている。
孫子の兵法によれば、相手も大事だが、目を内側に向けることが
私たちが幸せになる鍵です。

では、自分を知って自分を変えるということはどういうことか。
それは仏教に教えられています。


by sakyamuni | 2018-12-10 18:00 | 罪悪 | Comments(0)

母が優しくなりました。

私が子供の頃、風で、インフルエンザで、40度の熱だして寝てたことがあります。
孤独でした。
その時、優しくしてくれました。

いつもは
「ライオンが我が子を千尋の谷に落とす」
が口癖の母が
「食べたいものがあったら何でも言いなさい」
と言ったんです。

それで、「エビ天が食べたい」と言いました。
不景気だから、ケーキが好きだった。
でも、普段の母は自分の分しか買いません。

それで「ケーキ食べたい」とも言いいました。

ビフテキも食べたかった。
すき焼きの時は兄貴と争ったもんだ。
「肉が食べたい、あれが食べたい、これが食べたい」
と言いました。

ところが、それが出てきても、
40度の熱では味わえませんでした。
まったく美味しいと思えません。

だから、まず、自分が美味しいと味わえないでいる病気の原因を突き止めて、
解決しなければなりません。

病気を治した上で、健康になれば、お茶漬けでも美味しく頂けます。
エビ天、ビフテキ、ケーキならもっと楽しむことができます。

みんな幸せを求めながらなれずにいる原因は、外側にあるのか?
内側にあるのか?

答えは内側にあるのです。
心にあるということです。
その幸せになれない心の原因と
その解決法を教えられたのが仏教です。

だから仏教を聞けば、本当の幸せになれるのです。


by sakyamuni | 2018-12-07 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

ところであなたね。
これをキャッチするのが大事だってとこまで話したよね。
たとえばあなたが結婚するときに、どう相手を選びますか?

でも男性から女性に「あなたが結婚するとき」というのは失礼ですけどね。

たいていの人は、そのとき近くにいた人と結婚してしまいますけど、
できればなるべく沢山の人と出会って、
その中から愛してくれる人を厳選したいですよね。
相性とか、経済的なこととか、色々な面でよく考えます。

生きる意味というと、人間に生まれて来た意味だから、
何のために生まれて来たのかという
人生全体の目的のこと。

それと同じように、
生まれてから死ぬまでに何をするのか、
これもよく考えなければなりません。

仏教の話をするときは、気取らないほうがいいですね。
自然さが好きです。
ナチュラリズム万歳。

あと口の両脇にえくぼができるといい。
最初はハイテンションでどうなるかと思うけど、
真面目な話の時にはしびれをきかせるスローバラードになるといいです。


by sakyamuni | 2018-11-30 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

友人や家族と一緒にいるのが疲れるから、
一人がいいって言う人も多いみたいだけど、
そういう人も本当は寂しいって思ってるんじゃないかな。

だから、友人に守ってもらいたい、
家族に優しくしてもらいたいこんな自分を愛してくれる恋人がほしいと思うんだけど、
わかってもらえなくて、やさしくしてもらえなくって、
みんな心の居場所がないんだよね。

恋人だって、好きなのに、一緒にいると苦しくて別れちゃうことあるよね。
そして、ひとりぼっちになって、あんな人もいたな、とまた寂しがるの。
携帯電話を持って寝ていたりして、電話もかかってこなかったりして。
本当は、楽しく明るく、
日々を送りたいのになんでこんなに寂しいんだろう、
その原因はいったいどこにあるんだろう。
みんなそれがしりたいんだね。

じゃあその原因はなんなのか仏教で教えられているんだね。

by sakyamuni | 2018-11-23 12:00 | 仏教 | Comments(0)