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『ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度の海を度する大船、
無礙の光明は無明の闇を破する慧日なり』(教行信証総序)

これは、親鸞聖人の『教行信証』の総序の始めのお言葉です。

難思の弘誓とは想像のできない不可思議の弥陀の本願のこと。
難度海とは渡るに渡れない苦しい海と言うことで
この人生を言われています。

この難度海。
私たちの人生のことなんですね、難度海とは。
苦しみの人生。
そんなに人生苦しみでしょうろうか。
中には楽しそうにしている人もいるがなと思う人が
あるかも知れません。

あなたはどうですか。
人生難度海だと思う?

あなたはいつも楽しそうね。
易度海でしょ?

もう12月、すぐみんな年末実家へ帰省します。
あなたは帰省しますか?

普通大晦日は炬燵に入って年越しそばを食べて紅白歌合戦を見る?

そうやってまったりとくつろいでいる携帯がぴろりんぴろりん。
「大変です、あなたの子供さんが事故で病院に運ばれました。
 すぐに来て下さい」
一気に年末のまったりした雰囲気が崩壊。

病院から帰ると紅白は終わっていた。
明日は正月だ。

私は正月にはお年玉あげないといけないから、帰らないようにしている。
『お年玉ちょうだい』
うちは本家で、従兄弟がたくさんくる。
子供をみんな連れてくるから、お年玉頂戴とうるさい。
10万円くらいなくなる。

正月から難度海が大波で押し寄せてくるから、もう帰らない。
その程度の難度海ならお金で解決できるから良いけど
人生には色んな苦しみがあります。




# by sakyamuni | 2017-12-02 12:00 | 仏教

永井さんの日経新聞のコラムを通して学びましょう。

この問いに社会科学的水準で、すなわち人間社会の構成原理から簡明に答え
ているのは、
『なぜ人を殺してはいけないのか』の小浜逸郎と
『なぜ悪いことをしてはいけないのか』の執筆者の一人である
安彦一恵である。

前者を読めば、人間社会には一般的に
「人を殺してはならない」という規範が存在する理由は理解できる。
もし、存在するその規範になぜ従うべきなのか、とさらに問う者がいたなら、
後者によって、その規範に従う方が一般に自分自身にとって利益になるからだ、
と答えればすむ。

犯罪は社会にとって不利益なので、社会はそれを犯す者が不利益を被るような
システムを作ったのである。

つまり社会科学的に言うならば、社会というのは人間の集まり。
多くの人は社会の安定秩序を望みます。
そこには当然秩序を守るためのルールが必要です。
それを規範といいます。
約束事です。

交差点で四方八方から入り乱れて入ったら必ず事故を起こすから赤信号で止まります。
青信号で進みましょう。
黄色では遠慮します。
結果的には安全に通行できます。

そういう交通のルールに分かるように社会には社会の規範があります。
ルールがります。
それが例えば法律。
それを守らないものは社会の秩序を乱す、社会に不利益をもたらします。

社会秩序を乱すと言うことは社会に不利益をもたらすから、
そういうものには不利益を与えます。
罰を与えます。
善か悪かではなく、ハッキリ言えば損か得か。

17才のバスジャックの少年が人を殺した。
取り調べをしていたときに少年が言ったそうです。
『おじさん、どうして人を殺してはいけないの?』

そのおじさんは、『法律で決まっているからだ』、といったそうです。

何という馬鹿なおやじかと思うかも知れないがこれは正しいとも言えます。
これは決まりだ、お前はそれを破っただろう、だから罰を受けます。
一時の感情で罰を受けて二十年も刑務所で暮らすのはいやでしょう。
だからするな。

それは善とか悪とかではなくて、青信号で進む、赤信号で止まるのはルールです。
善悪ではなく損得です。
人を殺すと損をするから人を殺すなということです。

そういう次元の話はエゴイズムの次元です。
エゴというのは自分の利益。
エゴイストは自分の利益を忠臣に考える人。
自己虫。
じこちゅうというのはぴかちゅうのお父さん?
曾おじいちゃん?

自己虫というのは自分のことさえ考えたらいい。
人を殺すと損だからやらない。
それが結局は社会の安定につながる。
そういう考え方を社会科学的水準といいます。




# by sakyamuni | 2017-12-01 13:00 | 生きる意味

なぜ苦しくても自殺してはいけないのか。
生きる意味は何なのか?

共産主義っていうのは、かつては世界中の知識人が希望の星と思ったイデオロギーです。
資本主義は貧富の差が増大し、拝金主義となります。
共産主義はかつては世界中の知識人が仰ぎ見た希望の思想だったのです。

それが20世紀では完膚無きに潰されました。
今は共産主義者は、だっさ〜いで潰されるが、
70年前、世界中が大恐慌にまきこまれたとき、ソ連はたった一つの希望の国家でした。
当時の世界中の知識人はみんなこれに憧れました。

バーナード・ショーという口の悪い人もソ連へ行って感動して帰ってきました。
20世紀の思想界は、なんとかしてこのニヒリズムを克服しようとする試みでした。
構造主義、ポスト構造主義とか。
現代哲学の代表がフランスのジル・ドゥルーズ。
彼の一挙手一投足に世界は注目したが、彼は70才で自殺しました。

結局だれも答えられませんでした。
だから千葉大の永井さんもこう言うしかありません。
人類の歴史600万年と。
文字ができて歴史が刻まれている有史年代でも6000年。
誰も生きる意味を明らかにできなかったといっています。

全くこれは絶望するしかない人類の危機的状況でしょ。
しかしそうでしょうか。



# by sakyamuni | 2017-11-30 12:00 | 生きる意味

昔から日本の仏教徒達は、
自己の保身の為に、釈尊が徹底的に排斥なされた神を、
本地垂迹の仏説をネジ曲げて、神も仏も同じだと言って、
神仏一体という邪説をデッチあげました。

伝教大師の天台宗弘法大師真言宗の聖道仏教の学者達が、
自己の保身の為に、仏教の本地垂迹説を都合のいいように解釈して
「神仏一体」という単語を造り、仏と日本のを同じだといった。
こんなを、権社の神、という。

自己の保身の為に、でっちあげた神。

日本にいる権力者というのは、
天皇、その権力者天皇というのは神道
自分が、人となって現れたである、としていたのですね。
現人神、なんかに後生の一大事の解決なんかできる訳ないのですけれど。

天照とか、そういうようなですね、神信心が間違っている、と。
分かっている。
ところが話は複雑でして。
奈良とか、京都とか、に行きますと、国宝とか、伝統とか、
そういうような、さも立派な僧侶が出て、良いイメージなんですね。
ところがですね、天台宗真言宗僧侶達は、
権力者ににらまれたらかなわない。
そういう所から腐敗が始まる。

それが商売人なら分かりますよ、
ところが、それを仏法に持ち込んだ。
も仏も一緒にしてしまえ。
何の力もない神。
天皇の権力を持たせる神。
そんな神と仏を一緒にしてしまう。

こうなるとですね、後生の一大事の解決の道を、まったく、ねじ曲げたのですね。

そういうのがですね、日本中にいた僧侶なんです。

そして、仏教をして全く外道化させ、
あまねく世間に流布させました。
これでは仏教の敵ですし、地獄行きですよね。


# by sakyamuni | 2017-11-29 12:00 | 教学

お布施を案内するときに、まず自分がお布施できるか。

お布施は無理、自分とは関係ない、という事だったら、
尊い仏縁を見逃してしまう。

そういう人に、できるだけ、縁を与えて行かなければならない。
縁を与えたら、いろいろやる、人は沢山いる。
縁さえ有れば。
縁を与えるのも布施。

次から次へと、お布施はした人に幸せがやってくる。
ブッダは、お布施の御縁を、次から次へと与えなければならない。
どれだけの人が参加されて、仏縁を深められたかが一番大事です。

大金持ちがやってきて、ぽーんと全部出してしまう。
これでやれやれとして、他の人が、仏縁を求めなくなってしまう。
これでは布施の精神に反する。

一人でも多くの人がお布施したら仏縁が深まる。


# by sakyamuni | 2017-11-28 13:00 | 因果の道理