十悪とは

十悪を列記せよ。
1、貪欲。
2、瞋恚。
3、愚痴。
これが意業、欲望怒り愚痴です。

4、綺語。
5、両舌。
6、悪口。
7、妄語。
これ口業です。

8、殺生。
9、偸盗。
10、邪淫。
これ身業です。

これは、どういうことかというと
わたしたち、日々、私たち、
どんなを作っているか
それをブッダは教えて下さっています。

仏教では、私たちに判りやすく、
日々どんなを作っているか。
心ではどうだ。
口ではどうだ、
体ではどうだ
と教えて下さるんですね。

まず意業は、これは判るね。
さっき言ったとおり、貪欲瞋恚愚痴はわかります。
これがもとになって、心では常に貪欲、瞋恚、愚痴だから、
これが元で口ではこうだ、
体ではこうだと教えられますね。

もとはこうです。
ちょうど河があったとしたら、
川の上流で赤いインクを流したならば、
その下流はみんな赤く染まりますように心で、
欲望怒り愚痴を作り続けるならば、
口や体も、当然、を言ったりをやったりします。


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by sakyamuni | 2018-09-30 12:00 | 罪悪 | Comments(0)

仏教で一番恐ろしい罪が謗法罪。
その次に恐ろしい罪が五逆罪です。
2番目ですね。

この五逆罪も謗法罪と同じく無間業と言われます。
五つの恐ろしい罪。
これが五逆罪です。

共にこれ無間業と言われます。
無間業とは無間地獄に堕ちる罪です。
私たちは謗法罪によって地獄に堕ちるんですか、
五逆罪によって地獄に堕ちるんですかと質問した人がありますが、
逆謗で堕ちるんです。

逆謗で私たちは無間地獄に堕ちるんです。
阿弥陀如来の本願では最も怖ろしい罪を二つ挙げて
私たちの本当の姿を教えて下さっています。

本願文では五逆罪、謗法罪という最も怖ろしい罪を出して
教えておられますが、その次の十悪も当然含まれていますね。
五逆罪、謗法罪が最も怖ろしいと言われますから、
それよりも軽い罪は当然出ています。

五逆罪とはあとででてくるように親殺しの罪。
普通の罪悪よりも恐ろしいのは何故かというと
ご恩をあだで返すからです。

ご恩を受けた人に対してあだで返す。
これはより恐ろしいです。
ご恩をご恩と感謝するものは成功する、
しかしご恩を当然と流すものは信用を失う。
ご恩をあだで返すものは身を滅ぼす
ご恩をあだで返す、それが非常に恐ろしいんだ。
十悪よりも恐ろしい。
ただいま残念なことに法律ではこれが一緒になってしまったんですね。

つい前まではこの尊属殺人。
親殺しです。
いわゆるご恩を被った人を殺す。
これは一般の殺人よりも重かったんですね。
ところが法律が改正されて、
今は親を殺しても一般の人を殺しても同じ罪だとなっている、
しかし仏教では違います。

同じ殺人でも十悪で言われる殺生
五逆罪でいわれる親殺しは、親殺しの方が恐ろしい。
なぜかというと本来親孝行すべき
ご恩を受けている方を殺すのですから。

全くご恩を受けていない人を殺すのも恐ろしいですが、
ご恩をあだで返す、身を滅ぼします。
恐ろしい結果を招きます。
恩を仇で返すのがいかに恐ろしいかを
私たち知っていなければなりませんね。

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by sakyamuni | 2018-09-28 12:00 | 罪悪 | Comments(0)

心で常にを思い続けていることを教えられた善導大師のお言葉があります。

一人一日のうちに八億四千の憶いあり、
念々になすところこれみな三塗のなり。

これは善導大師が己の本当の姿が
阿弥陀如来の無碍光に
照らし出されて知らされた姿です。

これは善導大師のみならず、私達すべての姿です。
古今東西すべての人の心常念の姿です。

私たちこれがなかなか信じられませんが
絶対の幸福になる瞬間に知らされることです。

一人が一日の間、八億四千の思いがある。
私たち日々思っていること、色々なこと思っています。

自分でも気付いてないことが多いですが、
気付かないところでも沢山のことを思っています。
八億四千と言えば物凄い回数が多いですが、
沢山のことを私たちは日々思っています。
その私たちが日々思っていること念々といわれています。

三塗のとは悪ですから、
ばかり思っているのが私たちだ
ということです。

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by sakyamuni | 2018-09-26 12:00 | 罪悪 | Comments(0)

凡夫の定義

浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人は、
凡夫というものをこのように定義されています。

『凡夫』というは無明・煩悩われらが身にみちみちて
もおおく瞋り腹だちそねみねたむ心多く間なくして
臨終の一念にいたるまでとどまらずきえずたえず。
(一念多念証文)

こうありますが、凡夫とはイコール人間のことです。
人間を定義された親鸞聖人のお言葉です。
これは一念多念証文にあります。

これ言葉を変えると機の深信なんです。
機の深信。
本当の己の姿。
地獄一定の私の姿をこう言うように言っておられます。

凡夫というは、あなたが信心決定しますと
これがハッキリ知らされます。

体でこれを読ませていただけます。

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by sakyamuni | 2018-09-24 13:00 | 罪悪 | Comments(0)

仏教で我慢とは

仏教で我慢というのは、忍耐のことではありません。
我慢とは明らかに自分が間違いだと知りながらその考えを貫き通そうとすること。
我を通すことです。

ここから我慢という言葉が生まれました。
意味がちょっと変形しています。

今なら我慢は忍耐ですけどね、良い意味で使われます。
本来はそうでない、
自分は間違いと知っているんだけど、それを認めない、我を通そうとする心です。
これは特に男性に非常に強い。
だからブッダは、男性はこれに気を付けよと言われます。

男は我慢のために損をする。
もっというなら、また我慢があるために仏教が聞けないことがあります。
女性はそれに対して愚痴です。
愚痴に気をつける。
愚痴で損をすると言われます。

明らかに自分が間違いだと知っていてもそれを素直に反省できない、懺悔できない。

生きる意味はこれだぞ、仏教が初めての人で、
明らかに反論できないと、
こういう立場に追い込まれても、素直に判りました、
仏教を聞きますと言う人は少ないんです。

生きる意味はこれだと言われて反論できなくても
生きる意味はとにかく子孫繁栄だという人もあるんですね。
色々なことをいって素直に認めない、素直に自分の間違いを認められないのが私達。

夫婦の会話を聞いていてもそうです。
奥さんが主人に注意をする。
「あなたここ間違っています」
と言われて、謙虚な主人ならば、
「ああそうか、そうだったね」
懺悔、反省すればよいのに、
男は非常に我が強い。

女性から注意されてもあまり聞けない人が多い。
それで女性に注意されても、
「うるさい」とはねつけます。

自分が間違い、誤りだと知っていても
素直に間違いを間違いと認められない心があります。
そして自分のおかしな主張を貫き通そうとします。
これを我慢といいます。
私たちはよくよく気を付けなければなりません。


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by sakyamuni | 2018-09-22 13:00 | 罪悪 | Comments(0)

限りある身に限りなき欲

こんな歌があります。

泣くも、笑うもぞ人の世は 限りある身に限りなき欲

人生はですよそんなの世で、命には限りがあります。
限りある身に限りなき欲。
限りない欲望を満たそうと生きています。
ところが、欲望を満たした喜びは一時的で、
のようにはかなく消えてしまいます。

馬の目の前ににんじんをぶらさげている、これが全人類です。

すべての人は、欲ばっかりもとめても満足できないのです。

馬にたとえると、にんじんはくわえられないのです。
どこまで求めても食べられません。
満たしても、たとえ満たしてもすぐに不満になります。
本当に大丈夫だろうかという不安もなくなりません。
もう心から安心も満足もできません。

欲望はキリがないということです。
そして酔生夢死してしまうのです。

では、何を求めればいいのかは、
仏教に教えられています。


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by sakyamuni | 2018-09-20 12:00 | 罪悪 | Comments(0)

2種類の疑い

六大煩悩の中に、疑がありますが、注意して貰いたいのは
仏教には、なくなる疑いとなくならない疑いがあるということです。

信心決定してもなくならない疑いを疑煩悩といいます。
信心決定してなくなる疑いは疑情と言います。
疑いと言っても疑煩悩と疑情があります。

私達は信心決定してなくなる疑いは疑情と言われるもので
阿弥陀如来の本願を疑っている心、つまり心の闇です。

同じ疑いでも疑煩悩と言われる疑い。
人やものを疑ったりする心。
これは信心決定しても死ぬまでなくなりません。

これを疑といわれます。
煩悩は死ぬまでなくならない、
疑情は救い摂られると綺麗になくなります。

六大煩悩にある疑は、疑煩悩です。


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by sakyamuni | 2018-09-18 12:00 | 罪悪 | Comments(0)

今がわかれば過去世に戻らなくても
今の姿が判れば過去世のことがわかります。
因果応報だからです。

過去世に戻らなくても、タイムマシンがなくても、
そんなものないけど、
今の姿がわかれば過去世のことがわかります。

自分の過去のたねまきが、
自分の現在の運命を生みだしたからです。

今の姿がハッキリすればハッキリします。
だから仏教の出発点は自己自身を知ることです。

短い言葉ですが大変な御心が込められています。
だから親鸞聖人の教えは現在の教え。
三世は一念におさまります。
信の一念で、心の闇が破れて大安心大満足の絶対の幸福になれます。

常に親鸞聖人の教えは現在を明らかにする、
現在の教えです。
三世因果が仏教の根本です。

平生業成、現生不退、不体失往生が親鸞聖人の教えです。
実に仏教の根幹である因果の道理をもとにして、
親鸞聖人は三世因果を根幹に置かれて
私たちに本当の仏教を明らかにされています。


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by sakyamuni | 2018-09-16 12:00 | 因果の道理 | Comments(0)

過去も未来も現在に収まっているいるという
『三世因果』を説かれた
ブッダのお言葉と根拠は何か。

汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。(因果経)

因果経というお経が一切経にありますが、こういうお言葉があります。
「汝ら」のとは、あなたに対してということです。

お前達よ、過去の因を知りたければ、
欲するとは求めると言うことですから、知ろうと欲する。
過去の原因を知りたければ現在の結果を見よ、

現在の結果を見れば判るんだ。
現在の中に過去の一切が収まっている。
現在は結果ですから、現在の結果があるから過去に原因があるからです。
また、未来の結果、自分未来どういう結果を受けるか知りたければ、
現在の因を見よ。

未来どうなるか知りたければ
現在自分がどういうことを言ったりやったりしているか。
現在が判れば過去も未来も全部判るんだ。

仏教で、因果応報といわれるのは、
過去、現在、未来の三世を貫くのです。



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by sakyamuni | 2018-09-14 12:00 | 因果の道理 | Comments(0)

世の中には、
劣等感をまったく持っていない人もありますが、
どちらかというと劣等感を持っている人は
多くあると思います。

周りの人と比較します。
テストでもみんなは平均80点、
この人は平均8点。

周りの人と比べて点が悪いからと言って
引け目を感じています。
誰でも周りの人と比べれば劣っている点があります。
実際に問題があるところもあります。
それだからと言って、
その人の全人格が悪いということではありません。

少し劣ったところ、できないところがあると、
もうだめだと思い込む傾向がなきにしもあらず。
ちょっとした引け目、負い目でも。

たとえば何かの回数とか。
別にこれがその人の人格に直結するわけではありません。
お金や家庭などのそれぞれの事情があります。

こういったことを周りの人が思っていなくても、
本人が思い込んでいることもあります。

そう思っている人に、
そんなことは関係ないよという雰囲気を作ってあげる、
そういうサインを送る。
これも仏教でいう布施になります。

また上から目線でも印象がよくないので、
苦労をねぎらったり、
何かあれば
ありがとうと感謝します。


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by sakyamuni | 2018-09-12 13:00 | 実践 | Comments(0)