独生独死独去独来

みんな寂しい
だから分かってもらいたい。
それでいろんなことをやる。
誰かに自分の悩みを打ち明けたい。
そしてガシッつかんでもらいたい。

自分のすべてをさらけ出して
「それでもキミを愛してる」
と言って寄り添ってくれる人。

これが「理想の男性・女性」です。
私は非常に気を遣うタイプでした。
だからいろいろ気になるんだね。
自分の周りの人がどう感じてるだろうって。
それでついつい、盛り上げなくちゃ、と頑張ります。
しゃべりたい時はしゃべれるんだけど、
自分のしゃべりたくない時はしゃべらないで隣で編物しててくれます。
サービス精神出さずに寄り添える人を求めてたね。
心をさらけ出せる人がいない。
また、どんな人にもさらけ出せないもの持っています。

三木清だったか、
孤独は山の中にない。町の中にある」
といっています。

山の中の孤独は、町にいけば、と思える。
しかし、町で孤独を感じると、どこに行ったらいいんだろう。
1人でいる孤独より、2人でいる孤独の方が寂しい
不倫ってここからくるはず。
主人は何も分かってくれない。
だけどあなたは分かってくれる。

独生独死独去独来
と説かれています。

独り生まれ独り死ぬ。
生まれてから死ぬまでひとりぼっちなのです。



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by sakyamuni | 2018-08-31 12:00 | 無常 | Comments(0)

仕事や病気、借金や、人間関係など、
人生には色々な問題が起きてきます。
という本がベストセラーになるくらいです。

いかに私たちがこれらのものに煩わされているか考えると
大変です。毎日です。
これらをどんなに解決しても「有無同然」です。
有っても苦しいですが、
無くても苦しいものです。
そうしたら、どう生きればいいんですか。

どれだけやってもこれらの苦しみは死ぬまでなくなりません。
キリがないものです。

ところが人生の目的は苦悩の根元をなくすこと。
それは破ったらもうこれらが障りにならなくなります。
一瞬でなくなるものです。

ちょうどキリなく出てくるモグラ叩きやって疲れ果てる。
モグラ叩くより、機械のコンセント抜いたらいいんだ。
モグラは出てこなくなります。

苦悩の根元を破ったなら、
別の意味で「有無同然」になります。
有っても無くても、同じく喜べます。
それが本当の生きる意味です。


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by sakyamuni | 2018-08-29 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

仕事や病気、借金や、人間関係など、
人生には色々な問題が起きてきます。
という本がベストセラーになるくらいです。

いかに私たちがこれらのものに煩わされているか考えると
大変です。毎日です。
これらをどんなに解決しても「有無同然」です。
有っても苦しいですが、
無くても苦しいものです。
そうしたら、どう生きればいいんですか。

どれだけやってもこれらの苦しみは死ぬまでなくなりません。
キリがないものです。

ところが人生の目的は苦悩の根元をなくすこと。
それは破ったらもうこれらが障りにならなくなります。
一瞬でなくなるものです。

ちょうどキリなく出てくるモグラ叩きやって疲れ果てる。
モグラ叩くより、機械のコンセント抜いたらいいんだ。
モグラは出てこなくなります。

苦悩の根元を破ったなら、
別の意味で「有無同然」になります。
有っても無くても、同じく喜べます。
それが本当の生きる意味です。


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by sakyamuni | 2018-08-29 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

アフリカは暗黒大陸?

アフリカは、暗黒大陸と言われていました。
白人の人たちが、文明がないとか、野蛮だとか、黒人は頭が悪いという理由で
勝手に名づけていただけです。

白人は、奴隷貿易のかたわら、
暗黒大陸へ光をということで
いろんなものを持ち込みました。

その結果、昔は石と木で戦争してたのが
今では戦車でやっています。
白人達のおかげで
もっと暗黒大陸になりました。

みんな
「科学は人間を幸せにするもの」
これをもう大前提で考えているのです。
しかし、問題は目的です。

どんな目的に科学を使うかによって
いいものにもなれば、悪いものにもなります。

科学は人間が便利に生きるためにあるのですから、
生きる意味がわからなければ、究極的には
科学の意味もわかりません。

そうやって生きてどこへいくのか。
これを明らかにされるのが仏教です。
仏教はスゴイことを教えているのです。


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by sakyamuni | 2018-08-27 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

中野ダイビングスクールの生徒が、
パラオに行ってスキューバダイビングを楽しんでいました。
海に船を浮かべてそこから潜ります。
船はそこにじっとしてなくちゃいけません。
ところがその時、船が動いていました。
エンジンの切り忘れです。
浮いて来た時は360度水平線です。
どこに泳いでいいか分かりません。
そのまま、生徒さんは死んじゃいました。
水中ボードが遺書として残っていた。
スキューバダイビングする人達は海の中で板に文字を書いて情報交換します。
どう書かれていたか。
「遠くに船が見える。飛行機が見える。
しかし自分の存在は見えないだろう」
どんな心境だろうね。

360度水平線を泳がねばならない不安です。

さらに面白い話があります。
浜辺から沖の方に行くと、ブイがあります。
ほんとはここから行っちゃいけないのです。
しかし「勇者」はブイを越えます。
冒険します。
もっと遠くに泳ぎます。
そしてフッと振り返ると、砂浜もブイも見えません。
たちまち頭に血がのぼります。

生きることを泳ぐことにたとえると、
私たちの人生も、どこに向かって生きればいいのかわかりません。
目先の目標を達成しても、それからどうするの?
最終的な生きる目的がわからなければ、
中野ダイビングスクールの生徒と同じで、
最後死ぬだけです。

どこ向にかって生きればいいのかわからなければ
モラトリアムになるという人も一理あります。


その本当の生きる目的仏教に教えられています。





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by sakyamuni | 2018-08-25 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

『虚しさの心理学』という本の最初にこうあります。
「私はカウンセラーである。
色んな人の悩みを聞いてきた。
最近気になることがある。
それはハッキリとした悩みの形を持たない、
漠然とした・・・実際大学生の八割以上の人が、虚しいという気持ちを
感じているというアンケート・・・」
これは五月病とか、スチューデントアパシーだけではありません。
学生を卒業してもある虚無感です。

芥川龍之介「狂人主催のオリンピック」と言ってるのもこれです。
人生は、ゴールなしに走り続けなければならないということです。
これは虚しくなるわけです。

このゴールのない虚しさを東洋哲学では「心の闇」と教えます。

ですから、自分を見つめて、自分を変えねばなりません。
ソクラテスも「汝自身を知れ」、
孫子の兵法にも「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず
といっています。

自分を知ることが大切です。
自分が変わればまわりを変えなくても、世界が変わります。
自分の心はどうなっているのか、世界はどう変わるのか。

自分の心がガラッと変わる、
虚しい寂しい孤独と言っていた心が、大安心大満足、
生きてて良かったと言える心に変わります。
それが仏教に教えられています。


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by sakyamuni | 2018-08-23 13:00 | 生きる意味 | Comments(0)

約800年前、浄土宗を開いた善恵房と
浄土真宗を開いた親鸞聖人の論争がありました。

善恵房は、念仏を称えたら死んだらお助け
という話をしていました。

それに対して親鸞聖人が、
私は今救われたことを喜んでいる
と反論しました。

確かに、今溺れている人に、舟に乗ってやってきて
「おーい、苦しいか?お前が溺れて浮いてきたら助けるぞ」
と言う人があるでしょうか。

こんな人はいるはずがありません。
助けられたくてもがいて溺れているのです。

腹痛の例もそうです。

今苦しんでいる人に、
死んだら助けるというのでは、
阿弥陀如来は無慈悲な方になってしまいます。

善慧房だけじゃなくて、この世の宗教、全部
死んだらお助けです。
キリスト教もそうです。

善慧房の話を聞いて
「ありがたい!」
と言ってたおばあちゃんがありますよね。
「死んだら極楽に往ける。ありがたい!」
そういう人です。

仏教はそんなにありがたいものなのでしょうか。
「ありがた屋」というのが世にあるそうです。
あのおばあちゃんです。
ありがたくない心に
ありがたいと暗示をかけているようなものです。

舟の例えなら
「死んだら助けるぞ!」
ありがとうございます!」
というようなものです。
「本当ですか?」
「本当だぞ!」
それで安心する。
これの繰り返しです。

死んだら極楽という浄土宗では、
死ぬま不安はなくならないのです。
浄土真宗は、今救われる平生業成です。


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by sakyamuni | 2018-08-21 13:00 | 仏教 | Comments(0)

スポーツに完成はない

スポーツには、どこまで行っても完成がありません。

山下泰弘っていう柔道家があります。
あの人3ケタの連勝記録を持ってるんです。
その一言「私は運が良かった」
運のよさだけで勝ってきたと言っています。

千代の富士は、
「相撲は第二関節で決まる」
といいました。
前褌(マエミツ)取れるかどうかで決まるんです。
そこが勝負です。

塚原って体操の選手がいる。
あの父は、モントリオールで金メダル。
当時はウルトラCの技を出した。
世界は驚きました。

しかし今ではそのジュニアが、
その飛び方に1つヒネリを加えたウルトラEの技を狙っている。
それができたらシドニーでも金だった。
父の技はもう今では古典的な技。
どこまでいってもキリがない。
そのうちウルトラGとかになるはずです。

スポーツにはどこまでいっても完成はありません。
常に満足できず、不満がなくならないということです。

世の中の道は、どんな道でも同じです。
政治も経済も、科学も医学も完成はありません。
君たちはどう生きるかといっても、嫌われる勇気といっても完成はありません。

じゃあ何のために生きるんですか?

唯一完成があるのは、仏教に教えられる
本当の生きる目的だけです。



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by sakyamuni | 2018-08-19 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

浄土真宗の東本願寺では、なぜか
死後の世界なんて、分からない。
そんなのを扱うのは「宗教」だ。
として遠ざける傾向があります。

仏教を始めて聞きに来た人がいる時も、
今日は仏教の講師が死後のことを話す、
となったらふだん聞きに来ている人たちが緊張しています。
しかし、死後を論じない限り、仏教は始まりません。

東は浄土も弥陀も私達の心にあるんです」と言います。
のうのうと言っています。
そして聞く者も「それなら分かります」と安心している。
しかし親鸞聖人はこうした「自性唯心」を徹底的に破られた方です。

「然るに末代の道俗近世の宗師、自性唯心に沈んで浄土の真証を貶し」
(教行信証信巻)

「弥陀も浄土も心にある」と言う。
自己開発セミナーみたいなものと教えます。
あなたの脳はまだ15%くらいしか使われていませんよ、
もっと潜在したものがあるんです、
それを昔の人は“阿弥陀仏”と呼んだんです。
と教える。
そして「あ〜、そういうことですか」となる。
しかしそんな者へ親鸞聖人は
「お前達は浄土の真証を貶しているぞ!
頭で考えて出てくるようなものじゃないんだ!」
と言われているんです。
前の部分を読めばわかります。

「信楽を獲得することは如来選択の願心より発起す。
真心を開闡することは大聖矜哀の善巧より顕彰せり」

信楽とは他力信心です。
信楽は「獲得」するものであり、自分で創り出すものではない。
それはすべて弥陀と釈迦のお導きによるんだ。
と言われているんです。

だから『恩徳讃』になるわけで「釈迦弥陀は慈悲の父母」となるんです。
自分でどうにかなったのなら、ご恩は感じられません。

こうした教えを、自分の頭で解釈して、分かるように勝手に理解している。
帽子に合わせて頭を削っている。
東の主張するように、死んだ後がない!というのは間違いです。

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by sakyamuni | 2018-08-17 13:00 | 仏教 | Comments(0)

浄土真宗に東と西があります。
おおまかに言うと、
東本願寺は、生きているときの救いだけを説きます。
西本願寺は、死んでからの救いだけを説きます。

東の主張というのは、
宗教偏見のある人とかにでも受け入れられやすい。
この世での心の変換を説いた、だから親鸞聖人は素晴らしい、
と言います。
親鸞聖人が「この世の救いのみ」を説かれたかどうか、
それはエピキュロス派に聞かなくても、
親鸞聖人がどう書かれているか、
どうおっしゃっているか、そこに立たなければなりません。

どこに書かれていますか。
末灯鈔です。

信心の定まると申すは摂取にあずかる時にて候なり。
その後は正定聚のくらいにて、まことに浄土へ生まるるまでは候べし」
(末灯鈔)

ここでの「生まるる」は
肉体が死んでから生まれるとしかとれませんね。
その前にもあります。

「この身は今は歳きわまりて候へば定めて先立ちて往生し候わんずれば、
浄土にて必ず待ちまいらせ候べし」(末灯鈔)

ここでも「この親鸞もう死ぬぞ、そして浄土で待っているぞ」
と言われていますので「往生」は死んで極楽へ往くということになります。

彼らがエピキュロス派がどうのこうの、と言ってきたら、これを出せばいいです。
親鸞聖人が死んだ後の往生があるとハッキリ説かれています。
浄土真宗の看板を掲げるからには、親鸞聖人のお言葉によらねばなりません。

他にもあります。
「この世にて真実信心の人を護らせたまえばこそ『阿弥陀経』には
「十方恒沙の諸仏護念す」とは申すことにては候へ。
「安楽浄土往生して後に護りたもう」と申すことにては候わず。
「娑婆世界に居たるほど護念す」とは申すことなり」(末灯鈔)

どんなに強引な解釈をしようと、
ここでの「往生」は死んでからの往生です。
この世でも護られる。
そして死んでからも護られる。
という文書ですから。


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by sakyamuni | 2018-08-15 13:00 | 信心 | Comments(0)