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なぜ苦しくても自殺してはいけないのか。
生きる意味は何なのか?

共産主義っていうのは、かつては世界中の知識人が希望の星と思ったイデオロギーです。
資本主義は貧富の差が増大し、拝金主義となります。
共産主義はかつては世界中の知識人が仰ぎ見た希望の思想だったのです。

それが20世紀では完膚無きに潰されました。
今は共産主義者は、だっさ〜いで潰されるが、
70年前、世界中が大恐慌にまきこまれたとき、ソ連はたった一つの希望の国家でした。
当時の世界中の知識人はみんなこれに憧れました。

バーナード・ショーという口の悪い人もソ連へ行って感動して帰ってきました。
20世紀の思想界は、なんとかしてこのニヒリズムを克服しようとする試みでした。
構造主義、ポスト構造主義とか。
現代哲学の代表がフランスのジル・ドゥルーズ。
彼の一挙手一投足に世界は注目したが、彼は70才で自殺しました。

結局だれも答えられませんでした。
だから千葉大の永井さんもこう言うしかありません。
人類の歴史600万年と。
文字ができて歴史が刻まれている有史年代でも6000年。
誰も明らかにできなかったといっています。

全くこれは絶望するしかない人類の危機的状況でしょ。
しかしそうでしょうか。



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by sakyamuni | 2017-11-30 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

昔から日本の仏教徒達は、
自己の保身の為に、釈尊が徹底的に排斥なされた神を、
本地垂迹の仏説をネジ曲げて、神も仏も同じだと言って、
神仏一体という邪説をデッチあげました。

天台宗真言宗の聖道仏教の学者達が、
自己の保身の為に、仏教の本地垂迹説を都合のいいように解釈して
「神仏一体」という単語を造り、仏と日本のを同じだといった。
こんなを、権社の神、という。

自己の保身の為に、でっちあげた神。

日本にいる権力者というのは、
天皇、その権力者天皇というのは神道
自分が、人となって現れたである、としていたのですね。
現人神、なんかに後生の一大事の解決なんかできる訳ないのですけれど。

天照とか、そういうようなですね、神信心が間違っている、と。
分かっている。
ところが話は複雑でして。
奈良とか、京都とか、に行きますと、国宝とか、伝統とか、
そういうような、さも立派な僧侶が出て、良いイメージなんですね。
ところがですね、天台宗真言宗僧侶達は、
権力者ににらまれたらかなわない。
そういう所から腐敗が始まる。

それが商売人なら分かりますよ、
ところが、それを仏法に持ち込んだ。
神も仏も一緒にしてしまえ。
何の力もない神。
天皇の権力を持たせる神。
そんな神と仏を一緒にしてしまう。

こうなるとですね、後生の一大事の解決の道を、まったく、ねじ曲げたのですね。

そういうのがですね、日本中にいた僧侶なんです。

そして、仏教をして全く外道化させ、
あまねく世間に流布させました。
これでは仏教の敵ですし、地獄行きですよね。


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by sakyamuni | 2017-11-29 12:00 | 教学 | Comments(0)

お布施を案内するときに、まず自分がお布施できるか。

お布施は無理、自分とは関係ない、という事だったら、
尊い仏縁を見逃してしまう。

そういう人に、できるだけ、縁を与えて行かなければならない。
縁を与えたら、いろいろやる、人は沢山いる。
縁さえ有れば。
縁を与えるのも布施。

次から次へと、お布施はした人に幸せがやってくる。
ブッダは、お布施の御縁を、次から次へと与えなければならない。
どれだけの人が参加されて、仏縁を深められたかが一番大事です。

大金持ちがやってきて、ぽーんと全部出してしまう。
これでやれやれとして、他の人が、仏縁を求めなくなってしまう。
これでは布施の精神に反する。

一人でも多くの人がお布施したら仏縁が深まる。


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by sakyamuni | 2017-11-28 13:00 | 因果の道理 | Comments(0)

人間の生きる意味浄土真宗を開かれた親鸞聖人が教えられています。

難思の弘誓は難度の海を度する大船

親鸞聖人はこの生きる意味一つを教えていかれました。

難度海とは、苦しみ悩みの荒波が次々やってくる
人生を海にたとえられています。

現在の難度海の人生を明るく楽しく渡す大きな船があるんですよ!
生きているときに、この大きな船に乗ることが
人生の目的ですよ、と教えていかれました。
死んでからでないですよ。
生きているときに乗れるんですよ。

この親鸞が生き証人です。
全人類の苦悩の根元を弥陀の本願にぶち破っていただいて
絶対の幸福の身にさせていただくことが人生の目的ですよ。
大船に乗せていただくことが人生の目的、
本当の生きる意味の答えですよ。
それは、仏教に教えられているんですよ、
こう教えられています。



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by sakyamuni | 2017-11-27 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

私達も大学に行ったらいいことがあると思ったのに・・・、
全然楽しいことがない。
でもね我慢しないと!

いい企業に就職できたらきっといいことがあると思っていたのに・・・。
あるのはお茶汲みばかり。
でもね!我慢しないと。

結婚したらきっといいことがあると思っていたのに、
あるのはけんかばかり。
でもね!我慢しないと。

ああなれば幸せになれる!
そう思って頑張って手に入れても
思っても見なかった苦しみがやってくる。
そして気晴らしに出かける。
有無同然です。

有無同然は今も昔も変わらない人類の姿です。


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by sakyamuni | 2017-11-26 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

救われたつもりの人で、
「あれで良かったのだろうか。私は本当に救われたのだろうか」
という心がでてきたら、それは疑情です。

親鸞聖人の正信偈には
「還来生死輪転家 決以疑情為所止」
と教えられています。
これは
「生死輪転の家に還来することは、
 決するに疑情を以て所止と為す」
と読みます。

「生死輪転の家に還来する」とは
「生死輪転」とは、苦しみが限りないこと。
「家」というのは、離れきれないところです。
どんな人でも家がある。
浮浪者でもね。

そういうふうに、苦しみ悩みから離れきれないのは、
疑情一つであると。
だからこの疑情を晴らさないといけません。
この疑情が無くならない限り、助かっていないんです。

私たちが過去、現在、未来にわたって迷い苦しまなければならぬのは、
この疑情一つによるのだと、
親鸞聖人は朝夕教導されていることなのです。

疑情がはれたか、破れていないかによって、ハッキリ判断できる。
疑情とは阿弥陀仏の本願を疑う心。
だから、阿弥陀仏の本願を疑う心ほど恐ろしい罪はないのです。

 他力の信心の得否は、実に、この疑情一つが晴れたかどうかで判定される。
その人が助かったかどうかは、疑情が破れたかどうかで決まります。
信疑決判と言います。

正信偈』を読みながら、疑いがはれないのに
「獲信したつもり」になっている人がたくさんいまいす。
それを容認して正そうとしない人たちも、
同じ程度だということです。



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by sakyamuni | 2017-11-25 12:00 | 信心 | Comments(0)

間違った信心の見分け方

仏教の間違った信心を見分ける方法があります。

正しい信心にはない特徴があるからです。
それはどんなものかというと、
間違った信心は、仏教の先生が信心を認可します。

「それが信心だ」
と印可を与えます。

そうすると信心を獲たつもりになります。

信心というのは仏教の先生といえども
他人に判断できるものではありません。

先生から信心を認められると、
周りのみんなからも
「救われたのよ」
「よかったね、よかったね」
と言われてその気になります。

豚もおだてりゃ木に登ると言うけど、
みんなから救われたのよと言われるとその気になる。
人に言われて判らないようでは、真実の信心でない。

時々
「あのう、私助かったんでしょうか」
と聞いてくる人があるけど、
それは、疑って、不安だから聞いて来るんですよ。

その人にいいですよなんて言ったら、
そこでもう助かったつもりになって、
一歩も進まなくなってしまいます。

安楽椅子にどっかり腰掛けてしまいます。
何で自分の心を人に聞いてみないと分からないの?

お風呂に入っていて、なんで湯加減を人に聞かないといけないの?
ラーメン食べてて、このラーメンおいしいかななんて人に聞いてるあほがいる?
人から「うまいぞー」と言われて、
そう思いこんでいるのと同じだ。

しかし世の中そういう人ばかり。
食べた自分がわからんで、どうするの??


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by sakyamuni | 2017-11-24 12:00 | 信心 | Comments(0)

浄土真宗に土蔵秘事という異端がある。
土蔵秘事の僧侶は、一体どう言うことを言うのか。

「こんな説法、いくら聞いても信心決定できない」
これは、聴聞しても信心決定できないと言うことです。

この言葉をきいただけで、
いかに彼らがでたらめを言っているか判ります。

本当にそうか。
お釈迦さまは、本願成就文に教えておられます。

本願成就文はお釈迦さまのお言葉です。
お釈迦さまが、ご自分の先生である
阿弥陀如来の本願を、わかりやすく教えて下さったものです。
四十字。

諸有衆生聞其名号|諸有の衆生、其の名号を聞きて、
信心歓喜乃至一念|信心歓喜せんこと乃至一念せん。
至心廻向願生彼国|至心に廻向せしめたまえり。彼の国に生れんと願ずれば、
即得往生住不退転|即ち往生を得、不退転に住す。
唯除五逆誹謗正法|唯五逆と正法を誹謗せんとをば除かん。

この中に大変重要なことが書かれています。
どうすれば信心決定できるのか。
本願だけではそれが判らない。
それを本願成就文では、聞其名号と教えられています。

諸有衆生とは、あらゆる人々。
すべての人よ、其の名号を聞いて助かるんだよと、教えられている。
南無阿弥陀仏の名号を聞きなさいと。

だから
仏法は聴聞に極まる
と言われます。

聴聞に極まるとは、聴聞一つで助かるということです。
ところが彼らは、いくら聞いても信心決定できないと言います。
そんな馬鹿なこと、お釈迦さまはどこにもおっしゃっていません。
お釈迦さまの教えに反するものは仏法ではないから、
土蔵秘事は仏法ではないことになります。

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by sakyamuni | 2017-11-23 12:00 | 善知識 | Comments(0)

他力信心ではない信心

他力の信心について蓮如上人は、このように教えられています。

信心という二字をばまことのこころとよめるなり。
まことのこころと読む上は、凡夫自力の迷心に非ず、全く仏心なり。
(御文章)

他力信心は、世間で言われる信心とは全く違う。
信心とはまことのこころとよめる。
まことのこころとよむからには、迷った凡夫が自分でこしらえた信心ではない。
それは自力の信心です。
他力の信心は、自分の心でこれだけは間違いないと思って信ずる自力の信心ではない。
仏の心であると。
阿弥陀如来から頂く心であると。
だから他力の信心と言うんです。
仏心とは他力の信心。

ですから、親鸞聖人の教えて下された
金剛不壊の信心が人生の目的であるということを
よく知らねばならない。

しかし、凡夫自力の迷信を
他力の信心だと勘違いしている人がたくさんいる。
本当の金剛の信心を知らないかわいそうな人たちがたくさんいるんです。
こういうのを異安心といいます。

異安心とは、親鸞聖人・覚如上人・蓮如上人の信心と異なった信心をいいます。
この三人の方の信心は同じですから、
この三人の方の教えを通る線はたった一本です。

それぞれの人について、いろんな事を言う人がいます。
それぞれバラバラに、私はこう思うとか、
こう味わっているとかいろいろいいますけど、
一味の信心を貫く線は一本しか引けない。

それと異なるものを異安心といいます。
一味の安心ではない。
そういう異安心の一つなんだね。

正しい仏教講座で、金剛の信心とはどういう信心か、
はっきり知って貰いたいと思います。

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by sakyamuni | 2017-11-22 12:00 | 信心 | Comments(0)

鈴木その子の葬式

私達は何かに心をたてて生きている、
心をたてるとは信ずる、たよりにする、
あて力にするということです。

私達は何かを信じて生きている。
何かをたよりにして生きている。
何かをあて力にして生きている。

お金を信じている人はお金の上に心が立っている人。
地位や名誉もそうです。

しかし、そう言う信心では立っている土台が崩れたときに、
心も倒れてしまいます。
ブッシュさんとゴアさんが大統領になろうと立候補して、
ブッシュが勝ちましたね。
ゴアさんが負けた。
大統領という地位を手に入れようと思ったけど、その心が倒れたんだね。
昔、鈴木その子さんが亡くなったけど、あの人は美しさに心をたてていた。
資産はなんと150億。
家だけでも50億の豪邸。
きれいになりたいという女性にいろいろなものを提供していたのでしょう。
ところがその人もなくなってしまった。
葬式には、夫も娘も出なかったそうです。
きっと家族はさておいてお金儲けに走っていたんでしょう。
しかし、そんなお金も、1円ももっていけない。

では、絶対に崩れない信心を何と言うか。
これを真実の信心と言います。

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by sakyamuni | 2017-11-21 12:00 | 信心 | Comments(0)