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獲信する人の多い訳

それは人間のやる事だから。
「あんなことをやったろう、こんなことをやったろう」
と過去の罪悪をあげつらう。
これを「機責め」という。

また、「今晩死んだらどうするんや」と無常で責める。
人間が人間の罪悪を責める。
また無常を責める。

人間のやることです。
そして、泣き出したら「よかったねー」となる。
みんなから言われるものだから、その気になる。

これらみんな人間がやっている。
人工信心の特徴

真実信心は、人工信心とは天と地ほど違う
ニッポンとスッポンほど違う
ハケとハゲほどちがう

そして「見ている人は感情的に真似をしようと必死になる」
つまり、ものまね信心

「号泣の念仏」
「じわじわ」

大体助かった本人が助かったことが分からん。
そんなことがあるか
「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」
と親鸞聖人が言われている。

何が真実か方便か、その水際を知らないということ。
言葉を変えれば、信前信後をしらないということ。
自力と他力を知らないということ。
真仮を知らないから、阿弥陀如来から受けている広大なご恩が
まったく分からないのだということ。
だから、まだ助かっとらんということです。
まだ他力の世界を体験していないということです。
心の闇が破れていないということです。

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by sakyamuni | 2017-10-31 12:00 | 信心 | Comments(0)

発生源

親鸞聖人は
「詮ずる所、愚身が信心におきてはかくの如し」
絶対に変わらない、弘誓の仏地にたっておられる。
それが、他力の信心、真実の信心、正しい信心。
だからその信心を明らかにされたものを「正信偈」といわれる。
「あなた、この親鸞と同じ正しい信心になってください」

これが正しい信心だが、ところが、
そんな真実の信心を知らないが故に、
間違った信心にはまってしまう人がいる。
一体なぜ変な宗教にはまってしまうのか。

難度海からの救出の叫びは充満している。
薬物や秘儀、物理的、人工的に、てっとり早く助かろうとするあせりが、
外道、邪教、異安心の発生源であることを、
オウムなど新興宗教の事件は露出したと言える。
親鸞聖人の徹底砕破されたこと、無論である。

外道や邪教や異安心はどこから生まれてくるのかというと、
何かにすがりつきたい、
それが難度海からの救出の叫び。
なにか人工的に安らぎを得ようとする。
オウムのイニシエーションというのがあったね。
結局、薬物や秘儀なんかで助かろうとする。
手っ取り早く、なにかにすがって助かろうとする
あせりが外道や異安心の発生源。
それは親鸞聖人徹底砕破された。

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by sakyamuni | 2017-10-30 12:00 | Comments(0)

親鸞聖人は、29才で人生の目的を果たされて、
大慶喜された。
その喜びのお言葉。

慶しきかな。心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。
深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。
慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。(教行信証後序)

どうしてそんなに大きな喜びを得る事ができたのか。
それは、心を弘誓の仏地にたてたからだ。
心をたてるとはどういうことか。

信ずる
たよりにする
あて力にする
ということ。

絶対に崩れないものの上に心をたてる。
だから絶対に裏切られないんです。
では、絶対に崩れないものとは「弘誓の仏地」

仏地に樹つとは、
金力にたつ者は、金力を、
権力にたつ者は、権力を、
名誉にたつ者は、名誉を失った時に倒れる。
信念にたつ人も、その信念揺らいだ時、また顛倒す。
たとえ、釈尊、善導、法然さまが揺らごうとも、
心を弘誓の仏地に樹てば、永久に倒れる無碍人となる。




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by sakyamuni | 2017-10-29 12:00 | 信心 | Comments(0)

悲しむな 是生滅法の教えあり
「是生滅法」は涅槃経に説かれています。

諸行無常 
是生滅法
生滅滅已 
寂滅為楽

諸行無常で悲しむ人に、
諸行無常は真理ですから
悲しみのない寂滅の世界に生まれなさい、
是が仏法の教えですよ。

それが無碍の一道ですよ。
早くこの世界まですすみなさい。

「憂きことも悲しきことも善巧とただひたすらに二河の道行け」

つらいことも憂きことも善巧方便としてただひたすらに二河の道を進め。
この道を進みなさい、そしてこの悲しみも苦しみも乗り越えた
無碍の世界に早くでて下さい

このお言葉でさとりを開いた雪山童子についてですが、
昔教科書にも修行者と羅刹という表題で載っていたそうです。
ちなみにいろは歌、誰がつくったか、
真言宗の空海と言う説もありますが、
この十六文字を歌ったものと言われています。

「色はにおえど散りぬるをわが世たれぞ常ならん」

桜の花が香り高く咲き誇っていてもやがて散る。
この世に常成るものがある
だろうか、みな生じたら滅するものです。

「有為の奥山今日越えて」

有為とは生滅する世界のことです。
越えるとは生滅が滅するということです。

「浅き夢みじ酔いもせず」

そういう夢幻のようなものでない本当の幸せがあります。
寂静無為。
正信偈にもあります。

「速やかに寂静無為の楽に入ることは」

阿弥陀如来極楽浄土に入るには必ず信心決定してくださいよ。
辛いこと、悲しいことも縁として乗り越えて真実の道を進む、
ただひたすらに二河の道行くぞ。
あなたがまだ若ければ、友達を亡くしたことあまりないかも知れませんが。
そういうこと今後もあるでしょう。
身近な友達が病気で、事故で無くなる。
たとえそうでもそれは本当に悲しいことでありますが
友達の死を無駄にしてはならない。

目の前で厳しい無常の現実を自らの身を以て教えてくれたと思うなら
それを自分の求道聞法に拍車をかけて、自分もいつ終わるか判らない、
だから今回真剣に聞かせていただこう、
一座を大事に聞かせていただこう。


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by sakyamuni | 2017-10-28 18:00 | 無常 | Comments(0)

阿弥陀如来に救われた喜びは恩徳讃の世界。
如来大悲の恩徳は身を粉にしても足りない。
師主知識の恩徳も骨を砕きても足りません。
相済みにはなりません。

信心には完成あるが、ご恩報謝には完成はない。
死んでも終らない。
50年や100年苦労したと言っても、まだまだ足らない。
そんな程度の大恩でない、まだまだ。
極楽浄土に行くが、すぐ戻ってくる。
未来永劫恩徳讃。
ご恩報謝には終わりが無い。

その人が「青年」であるかどうかは年齢ではない。
その人がどんな夢や理想、大志をもっているか、
その質と量できまる。

十方衆生、すべての人が救われきるまでやるぞ、
それまで夢は終らない。

これ以上の理想や夢があるか?
ナイチンゲール、マザーテレサ、シュバイツァー、野口秀雄、長嶋重雄、
大したことをやったと思う。
しかしこれ以上の夢があるか?十方衆生が救われきるまで。
大きな夢。

ビルゲイツは9兆円稼いだと言っても死ぬ時に持っていけない。

そういう大きな理想に生きておられたのが親鸞聖人。
90歳なんて関係ない。
まだまだこれからだ、すぐ来るぞ。
凄いスケール。
秀吉、クリントン、森さんはどうだ。
比べ物にならない大きな夢に生きておられた。
だから、いったん極楽浄土に帰るがまたすぐ来るぞ、
まさに永遠の青年であります。


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by sakyamuni | 2017-10-27 12:00 | 仏教 | Comments(0)

市民病院で毒薬を間違えて投与されて亡くなったという事件があった。
病院も信用できない。
医療ミス相次ぐ。
医者に殺される。

「明日ありと 思う心の 仇桜
  夜半に嵐の 吹かぬものかは」
明日あると思う心、それは仇桜だ。
「仇桜」とは仇ではなく、必ずその心が裏切られるという事。
今を盛りと咲く花も明日は見れないことある。

明日も生きておれるというのは迷った心。
だからこそ私たちは死んだらどうなるのかはっきりさせねばならない。
最も大切なことになる。

それを知っている者を智者と言われる。
それ八万の法蔵を知るというとも後世を知らざる人を愚者とす。
たとい一文不知の尼入道なりというとも、
後世を知るを智者とすと言えり。(御文章五帖)

八万の法蔵を知る」とは百科事典丸暗記しているような人。
パソコンに入っていると言う人もいるかもしれないが
それにしたって水に落とせば一発でだめになる。

そんな人でも後世を知らないひとは愚者。
死んだらどこに生まれるか分からない人、
死後どうなるかハッキリしていない人、
心の闇が破れていないひとは愚者。

文字の縦横も分からない人でも後生知っている人は智者。
それは大切なことを知っているから。
沢山知っている人より、最も大切なこと、確実な未来である死後をはっきり知っている人が智恵ある人。

智慧があるとは先の読める人のこと。
経済に関して智慧ある人は来年の株や市場が読める人、
囲碁や将棋の強い人は相手の手が読める、
髪を切る人でもそう、智慧がいる。
ところが自分の人生、魂の行く先を知る者がいない。
自分の事だから一番大事、50年もすれば確実にやってくる。
将棋や経済はやってなくたって生きていける。
死んでいくのは間違いなく自分。
なぜその問題をはっきりさせないのか。
死んだら死んだときだ、とあきらめている。

それを明らかにするのが仏教



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by sakyamuni | 2017-10-26 12:00 | Comments(0)

待ちわびてうらむと告げよ皆人の
今日も今日とて急がざるらん

この待ちわびておられるのは実は阿弥陀仏
何億年も昔から待ちわびておられる。
待ちわびるとは、来るのが遅いから気をもみながら待っている。
あなたがなかなか仏法を聞こうと振り向いてくれないので、
阿弥陀様は怨んでおられると告げなさいよと。

本当は仏様は怨まないけど。
人間なら、どうしても聞いてくれないと怨む気持ちとなる。
なかなか仏法聞こうとしない。
逃げようとする。
しかし後生の一大事絶対に諦められないから、
でも聞いてくれないから待ちわびて。
薬はできているんです。
あとは飲むだけ。
飲めば全快できる。
大宇宙の幸せ者になれるのにどうして飲もうとしないのか。
なぜ急がないのか。
今日とも明日とも知れない無常の命を持ちながら
なぜ急がないのだろうか。
一日も早く、信心決定を急ぎなさい。
あまりにもなかなか振り向こうとしないから待ちわびて怨んでおられると言われている

待ちわびてうらむと告げよ皆人のいつをいつとていそがざるらん

と言う聖徳太子の歌がありますが、ここと同じ。
早く信心決定して貰いたい。
このように教えておられる。

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by sakyamuni | 2017-10-25 12:00 | 仏教 | Comments(0)

良寛の辞世

良寛に辞世あるかと人問わば
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

良寛に辞世の句はないかと聞かれたら禅宗の僧侶でありながら、
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏。
といった。

だから高僧といわれている人でも自力のお粗末さを知らされて
やはり阿弥陀如来の救いを求めなければ救われないと知らされる。
この世の最後。
辞世は南無阿弥陀仏。

禅宗の良寛に最後の言葉は何ですかと質問したときに南無阿弥陀仏、
これを読んだら救われているような感じがしますが
実際はどうかわかりませんが。

本人にしか信心決定できたかどうかは分かりませんから。
だからあの人が信心決定しているかどうかは推量しかできない。
断定はできない。
思いはあるよ。
あの人はしているに違いない。
まだだろうな、とか。
しかし断定はできない。
あくまで推測。
本人と阿弥陀如来しか分かりません。
また良寛にはこういう歌がある。
辞世の句、実際残っている。


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by sakyamuni | 2017-10-24 12:00 | Comments(0)

無常の命のはかなさ

露の身を嵐の山に置きながら
又来ん春をいうぞはかなき

私たちの命は露の身。
露は朝起きると草の上にぽつんと露ができている。
太陽が昇ると同時にパッと消えてしまう、非常儚いもの。
それが私たちの命。
アッという間に終わってしまう。
その露の身を嵐の中におきながら。
嵐は無常の嵐。
なぜ風、嵐を使うか。
風は眼に見えないが突然くる。
眼に見えないが吹かれてしまったら大変。
突然襲ってコロリ死んでしまう。
眼に見えないから嵐であり風。
無常の風は吹いています。
今日とも明日とも知れない命が私たちの命。
その露のみを激しい嵐に置きながら、来年はないかもしれない。
いや今年も生きられるか分からないのに来年の話をしている。
自分が死ぬことを計算に入れていない。
儚いことだなあ。

昔からこう言われる。
来年の話をすると鬼がわらう。
なぜか。
お前ら来年の今頃は俺達に責めたてられ地獄で苦しまねばならないのにそれを知らないで生きている。
馬鹿かと笑っている。
鬼とは我利我利の心。
怒りの心で、この世も死んでからものたうち回って苦しむ。
来年ないかも
しれないのにまだ死なないと自惚れている。
地獄に堕ちる自分であることを忘れている。
来年はこうするんだ、ああするんだと計画を立てている。
儚いことだぞ、仏法に明日はないんだぞ、いつまで生きて入れると思っているのかと救い摂られた人は叫ばずにおれません。
無常を訴えた歌。

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by sakyamuni | 2017-10-23 12:00 | Comments(0)

病なら捨てておいては治るまじ
六字の薬たてかけて飲め

私たちは重い病みんな持っている。
病なら心の闇、捨てておいては治ることはないだろう。
ほったらかしにしていて、それをごまかしていては絶対に治ることはありません。
何が何でも六字の名号。
たてかけて、無理をしてでも飲みなさい。
飲めとは聞きなさいと言うこと。
聞く一つ。
普通の薬なら口から飲むがこの南無阿弥陀仏は耳から頂けるように完成されているから、真剣に仏法聞きなさい。
聞く一つで助かるのが仏法それは南無阿弥陀仏は聞く一つで頂けるように完成されているから。
ほったらかしにしてたら絶対に治りません。
この無明の闇はいくら勉強しても恋人をえても、地位を得ても治るものではない。
名号を頂く以外に、絶対に治りません。
一日も早く聞きなさいと言わずにおれない。
それを日本の和歌で五七五七七と韻を踏んで聞き易いように言われているから。
相手も私も共に顕正、共に幸せになれる歌です。

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by sakyamuni | 2017-10-22 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)