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顕正相手は自分自身


顕正というのは正しい、真実を明らかにする。
人間の誤った考え方を正す。

一番の顕正相手は己自身です。

誤った考えをぶち破らなければ本当の幸福になれません。
自らの心を顕正する。

それには聴聞が一番重要。


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by sakyamuni | 2017-09-30 12:00 | 仏教 | Comments(0)

「餓鬼が寒林で屍をうつ」

というお話がお釈迦さまのお経にあります。
人間の時に仏縁に恵まれながら真剣に聞けなかった、
居眠り半分で聞いていて、真剣に聞いていなかった。
それを後悔している。

同じ事を善導大師が教えられている。

「一たび地獄に入りて長苦を受くる時始めて人中の善知識を憶う」

私達が後生に突っ込んでいくとき、人間界の時に本当の仏教を説かれる
善知識に会っていたときに、色々の理由で仏法を聞かなかったことに対する後悔を
教えられている。
また、

「夢の浮世を日長に思い暮れて鳴きやる寒苦鳥」

インドに寒苦鳥という鳥がいました。
寒さに苦しむ鳥で、昼間はぽかぽか暖かい。
印度は昼間と夜の気温の差が激しい。
明日こそ巣を作ろうと思うけれど、
昼間になると暖かい暖かいといって、遊んでしまう。
みんなも夜になって風邪を引くかも知れないのに布団を敷かずに寝てしまう。
今日くらい大丈夫と思っていて風邪を引いてから後悔する。

私たちは一息一息が後生を触れ合っている。
ヨーロッパでケーブルカーの事故が起こったり、
プロパンガスが爆発したりどんな事で後生へ突っ込むからない。
それを一刻も早く解決しなければならない。
それを親鸞聖人はどう教えておられるか。

「呼吸の頃すなわちこれ来生なり。
一たび人身を失いぬれば万劫にも復らず。
この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。
願わくは深く無常を念じて、徒に後悔を貽すことなかれ」

吸った息が吐き出せなかったら、吐いた息が吸えなかったら後生ですよ。
今生まれ難い人間に生まれてきたのだから、
後悔を残してはなりませんよ。


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by sakyamuni | 2017-09-29 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

私たちは一息切れたら一大事。
取り返しのつかないことを一大事という。
それに対して、取り返しのつくことを小事という。

今、テレビを騒がせている2人の人がいる。
厳密に言うと3人。
木村拓哉と工藤静香。
テレビで報道している。
木村拓哉が結婚しますと言うと、ファンは「嫌だー」という。
世間では木村拓哉が結婚する事は一大事。
ミレニアム最期の大物結婚と言われている。

同じくテレビを騒がせている事として、アメリカの大統領選挙。
一大事といわれている。
昨日ブッシュが勝利宣言をした。
ゴアは文句をいっている。
アメリカにとっては大統領が決まらないと言うことは一大事。
みんなが注目している。

日本でも同じように、一大事がある。
内閣不信任案が否決された。
そういうことに一生懸命になっている。
森内閣が新しい内閣を作ろうとしている。
新しい大臣を作ろうとしている。
日本ではそれが一大事で、野中幹事長が命を書けてやっている。
こういうことが一大事といわれている。
インドネシアのスワヒリで大洪水が起こっていて119人の死者が出ている。
名古屋でも以前大洪水があった。
テレビを見ても、名古屋、名古屋と言われていた。
洪水とか自然災害があると一大事とみんな思います。

しかし、仏教ではそれらは全部小事と言われます。
キムタクが結婚しても、離婚すればまた結婚するかもしれない。
洪水が起きてもまた修復すれば、元に戻る。
取り返しのつくことばかり。
私たちの心を見て見ると、小事といわれているものに心を奪われていて、
最大事の後生の一大事に心がかからない。

私たちは就職できないとか、試験が通らないとか、
恋人ができないとかに関心を持っている。
もうすぐクリスマスが来る。
山下達郎がクリスマスになると出てきます。
チューブは夏出てきて、冬は冬眠している。
今、山下達郎のクリスマスイブという歌がランキングに入っている。
小柳ユキがホワイトクリスマスという歌を歌ってランキングに乗っている。
そういうことを一大事としている。
一人でいると嫌だと言って、そういうことを大事にしている。
そういうことに心を奪われていて、一大事を忘れていないか。



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by sakyamuni | 2017-09-28 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

生きる目的は?

生きる事を歩く事にによくたとえられます。

歩く時には、あのうどん屋の2階にいこう
とか、目的があるのですが、

道を歩いている人に
「あなたはなんのためにあるいているのですか」
と聞いて答えられない人はいません。

タクシーにのるときも最初に目的地を言います。
生きる事にも目的がありますが、
それは幸せになる事ということができます。

不幸せになりたいと言う人はどこにもないでしょう。

では、生きる目的である幸福と言うことについてもいろいろあるのですが、
毎日会社に通って、学生なら大学に毎日通って、
毎日さかのぼって、何となく同じ事の繰り返しのような気がしていて、
そんな中で、おれは本当に幸せになれたぞ、と自信持っていえるでしょうか?




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by sakyamuni | 2017-09-27 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

生きる意味とあなたの心の関係
生きる意味とは、
なぜ生きているのか、こんなに苦しくてもいきてゆかなければならないのはなぜか、
ということです。
一言で言うなら幸せになる事といえます。
不幸になりたいという人はいないので。

では、幸せというのはどういうことか、それは心の満足、心の安心。
心の状態の事を言います。
いつ死んでも悔いなし、人間に生まれてきてよかったと
いえるものでなければ人生の目的とは言えませんが、
それは心の満足、心の安心です。

20世紀にはいって進歩してきた学問に心理学というものがあります。
西洋では心理学で20世紀に入ってから無意識の発見と言っているが、
仏教では2600年前に唯識という学問がある。

では仏教で教えられている唯識では
私たちの心のことをどう教えられているか。
八識と言います。
自分の心は一つではないのか、
と思う人もいるかも知れませんが、
ではどういうことか一つ一つ見てみましょう。

まず、眼識。
これは、目で見たものをキャッチする心。
あいつがいるぞ、と目で見た映像をキャッチして意識に送る。

次に耳識。
耳で聞こえた事をキャッチする。
トラックうるさいなとか、
隣がさわがしいな、とキャッチする。

鼻識。
これは匂いをキャッチする。
臭いな、とか。

舌で感じるのは舌識。

体で感じるのは身識。
それが意識に送られる。

その意識が判断して、また命令を下す。
普段私たちが心と思っているのは意識の事。
しかし、心というのはそんなに簡単ではないぞと言われている。
これは上の心。

上の心ともう一つ、下の心がある。

上の心と下の心の関係はどうなっているのかというと、
たとえば、コンビニで売っているバイトの兄ちゃんがいる。
その人たちが自分の好き勝手やっているわけではない。
店には出てこないといってもそれらの人に指示している
店長なりオーナーがいる。

そういう関係にある。
バイトの兄ちゃんはその店長のいう通りに動いているだけなのです。

コメディアンに植木等という人がいる。
この人の言葉に「わかちゃいるけどやめられない」というのがある。
明日テストだけれどもこのゲームをやってしまう。
だめだと頭ではわかるんだけど、やってしまう、そういう経験あるでしょう。
皆さんも。

もうかなり前にも感じるけれど、辞任した中川官房長官。
だめだとわかってはいても悪いことしてしまう。
不倫疑惑、覚醒剤疑惑とか。
まずいと分かっていても、ついつい手をだす。

また、そんな、会社の経理担当の人など、
いけないことをしてしまうような人に大きな役職を与えたりしない。
長年信頼を積み重ねた人でないと任されない。
こういう人なら任せて大丈夫、そういう人がお墨付きをもらって、大
事な仕事をまかされる。
信頼されて。
そんな人が事件などを起こしている。
そういう下の心が働いている。
頭ではわかっているつもりでもやってしまう、どうしても避けられない力が働いている。
それを業力といいますが、それは下の心で働いている。




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by sakyamuni | 2017-09-26 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

日本に、浄土真宗の寺だけで、約2万あります。
そこには、2万の僧侶がいる。

しかし、親鸞聖人の教えに明らかな人がどれだけいるか。
親鸞聖人の教えは平生業成。
平生業成とは、
人生の大事業を生きているときに完成できるということ。

その本当の生きる意味に明るい人は、いないといっていい。

多くの人が間違っているのは、
念仏を称えたら死んだら救われると思っている。

あの有名な岩波の教科書には、
「親鸞聖人の教えは、念仏一遍となえたら、誰でも極楽にいける」
とある。
本願寺の学者が記し、文部省の認可がある内容においてまちがっている。

本当の親鸞聖人の教えは、信心一つで人生の目的を完成できる。

どれだけ念仏を称えても助かりません。

浄土真宗の八代目の蓮如上人は、
御文章に「念仏となえても助かりません」
とはっきりおっしゃっています。
蓮如上人の聖人一流の章には
「聖人一流の御かんけの趣は信心をもって本とせられ候」
とおっしゃっています。

親鸞聖人の教えの、趣とは、最も大切なところということです。
それは、信心だ。
信心が本ですよ。
とおっしゃっています。

では、念仏は、

その上の称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし
御恩報尽の念仏と心得べきなり

とおっしゃっています。

はっきりおっしゃっていますがわからない。
それほど、まちがいやすいのです。


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by sakyamuni | 2017-09-25 12:00 | 仏教 | Comments(0)

歎異抄に
煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は萬のこと
みなもって空事たわ言真実あることなし
という言葉があります。

煩悩とは、怒り妬みの心をいいます。
が妨げられると、怒りや、憎しみの心が出てきます。
煩悩具足の凡夫とは、これらの煩悩でできているのが私、人間ということです。
妻子、財産をたのむ、信じる、その心は、煩悩です。
煩悩具足の凡夫の姿です。
こういうものしか、信じられない。
なぜか。
煩悩具足の凡夫だから、朝おきて、女性が、
一生懸命に化粧をする、これは、名誉欲です。
壁に塗っている。
男でも同じ。
朝おきて、くしを入れる、名誉欲、人からよくみられたいという
それしかない。
私たちが思っていることといえば、どうしたら、
お金が儲かるか。
どうしたら、人からよく思われるか。
これしかありません。
煩悩具足の凡夫ですから。

朝から、何を考えているか。
一日24時間頭の中は、あれがほしい、
これがほしい、と夢の中も同じです。
を離れて、一瞬として私はありません。

「火宅」とは、火のついた家ということで、隣の家から火が出た、
そして、自分の家のひさしに、火が移って燃えている。
そんな家にいて、安心できますか。
いま12時だから、食事済ませてから、逃げよう。
そんな人ありますか。
こんな格好で逃げたらどう思われるか。
みな、外で見ているから、どんな服を着ていこうか、
そんな余裕ありません、そのまま飛び出していきます。
これが火宅。
驚いてこころがどきどきする。
私たちが生きている世界は、いつどうなるかわからない。
無常の世の中です。
無常、みな常がないのですが、最もはげしい無常は、人が死ぬことです。
ですから、人が死ぬことを、無常といいます。
私たちは、死に近づいています。
そんな、死に向かって生きていますから、不安なのです。
「萬のこと」といわれています。
例外はないんだ。
みな、裏切る者ばかりです。
裏切らないものは、何一つありません。
しかし自分が信じているものだけは、裏切らないと思っています。
「あの人は、年を取っていたから、死んだんだ。
自分は、まだ若いから大丈夫」
「あの人は、酒を飲んでばかりいたから、事故になったんだ。
自分は、酒を飲んでいないから」
「あの人は、暴飲暴食していたから」
自分だけは違うと思ってます。
すり替えている。
ごまかしている。
しかし、ごまかしは解決ではありません。
実際に、死んでいく時に、後悔する。

「みなもって」も同じです。
自分だけはちがう。
これが間違いのもとです。
「空事」というのは、裏切るものということ。
当てにならないもの、たよりにならないもの。
「たわ言」もだまされるということ、「真実あることなし」
真実とは、絶対に裏切らないもの、変わらないもののことです。
そんなものは、なにひとつありませんよ。
しのなかしかし、絶対に裏切らない者が、一つだけあるぞとおっしゃっています。
「唯念仏のみぞまことにておわします」
このねんぶつとは、弘誓、弘誓の仏地のことです。
弘誓の仏地とは、阿弥陀仏の本願のことです。
弥陀の誓願ともいわれ、阿弥陀仏のなされたお約束のことです。


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by sakyamuni | 2017-09-24 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

親鸞会と西本願寺との間に、
宿善をめぐって法論がなされたことがある。

本願寺から、間違っていると言ってきた中に、宿世について。

本願寺は、宿世とは、生まれる前のことだから、
今生は入らないと言ってきた。
そうなると、過去世の宿善で、
信心決定できるかどうかが決まってしまう。

これは、宿作外道と言われる外道の教えである。
運命論になってしまうたいへんな間違い。

生まれた時に、宿善が厚い、薄い決まっているから、
薄い人は、これからどれだけ善を求めても、宿善は厚くならない、
助からないということになってしまう。

親鸞会は、宿世とは、信心獲得するまでの全ての過去であると明らかにされた。
そうでないと宿善薄い人は救われないことになる。

本願寺は間違っていた。
生まれるとは、肉体のことしか分からなかった。
だから、この世に生まれるまでの世界、としか思えなかった。

親鸞会は、生まれるとは、肉体のことではなく、
心が生まれるまで。

まるで善慧房証空と親鸞聖人の
体失不体失往生の諍論のようである。


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by sakyamuni | 2017-09-23 12:00 | 因果の道理 | Comments(0)

まず三悪道を離れて人間に生るること、大なるよろこびなり。
身は賤しくとも畜生に劣らんや、
家は貧しくとも餓鬼に勝るべし、
心に思うことかなわずとも地獄の苦に比ぶべからず。
(横川法語)

地獄餓鬼畜生の三つの世界を三悪道といわれている。
三悪道を離れて人間界に生まれたること大いなる喜びなり
といわれているのは、
畜生界と人間界を比べてみても、数において相当違う。

人間が人口爆発といっても、アリよりは少ない。
種類だけでも沢山ある。
海の中のサケといっても、沢山卵をうむ。
マンボウの仲間には10億もの卵を産む。
そうすると畜生界の数は測り知れない。

ハツカネズミは1週間で5匹くらい産む。
ハツカに一回増えていく。
1年間に15回産むらしい。
こういうような計算をすると一年間で276億になる。

畜生界においても数え切れないほど数がある。
まして単細胞生物まで数えていたら、人間界の衆生には比べ物にならない。

昆虫対人間の比が10億対1といわれてた。

そういう所をなぜ私はアリに生まれてこなかったのか。
そういうところから有
ること難い。

仏説によると、畜生界より餓鬼界のほうが圧倒的に数が多く、
その餓鬼界より圧倒的に多いのが地獄界

涅槃経には
「三悪道に生まれるものは大地の土の如し、
人間界に生まれるものは爪の上の土の如し」

生物的な確率からいってもそうとう有ることが難い。

さらに、身分が卑しいことを悩んでいる人があっても、
人間の残飯をあさっている野良猫や野良犬よりはるかにマシであり、
思いどおりにならないといっても、
朝から晩まで地獄の責め苦を受けるのに比べたらはるかにマシである。

ちなみに修羅界というのは激しい争いの世界。
天上界というのは、楽しいことが比較的多い。
天人の5衰といわれて、やがて必ず衰えていく。
いづれも迷界。
本当の幸せがない。
だからぐるぐる経巡っている世界。
これを六道輪廻という。
輪廻転生ともいう。

これらの世界はいづれも心が生み出す世界。
肉体が消滅世界があとにその世界
にいくということもできますが、今人間界にいるあいだにも、
今日は心が修羅界にいるとか、
同じ人間であっても、その心によって流転している。


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by sakyamuni | 2017-09-22 12:00 | 仏教 | Comments(0)

お釈迦さまが「人身受け難し」と言われたのは、
生まれ難い人間に生まれることができてよかった
ということ。

人界受生の門。

様々な生物がいる。
烏を見るとぞっとするという人もいる。
そういうような生を受けている。
考えてみると、鳥や獣、いろんな生き物がいる。
人間として生を受けるのは大変に有り難い。
大変に狭き門を突破している。

最近よく人間の命が尊いとか、
もっと人命を尊重しなくてはならないとか言われる。
17歳の少年が一家を惨殺するとか。
どうしてそんなに簡単に命をなきものにしてしまうのか。

ところが考えてみると、粗末にしているのは人の命だけでなく、自分の命も。
いやなことがあると首をくくる。
中学生が自殺するかと思いきや、大人たちがバタバタと自殺していく。

子供たちに命を大事にしろと言っている大人たちが自殺している。
命を粗末にするというのは、時間を無駄にする。

一般教養の授業を喜々として聞いている人がいなくて、休講でバク転している。

会社はどうかといえば、お金がほしいから仕方なくしている。
元気一杯力一杯している人はあまり見受けられない。

そうかと思うと、日本もアメリカもヨーロッパも、誕生日を祝う。
誕生日が嬉しいというのは景品がくるから。
物欲。
損得考えて儲かる。
なぜ人間に生まれてきたことを祝うのか。
そんなこと分からないんだけども、
とりあえずケーキがほしいプレゼントがほしい。

釈尊が一番最初にいわれたのは、
私達が人間として生を受けるということは大変に有り難いことで、
人間に生まれることがなかったならば、
果たすことのできない尊い目的があるから。
犬や猫に生まれたら聞くことができなかったから、
求めることも果たすこともできない目的があるから。

その目的が尊いから、人間に生まれてきたことが有り難い。
本当の生きる意味は、その尊い目的を果たすこと。




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by sakyamuni | 2017-09-21 12:01 | 生きる意味 | Comments(0)