カテゴリ:実践( 34 )

布教とは施しの一つ

布教というのは、仏教が初めての人に、仏教の紹介をすることです。
これはあらゆる商売、サークル、予備校、不動産会社でも行います。
仏教が初めての人になれない人の勧誘は
予備校、英会話、キャッチセールスなども勧誘します。

案内は案内でも、色々あちこちでやってますが、
私達が仏教が初めての人に仏教の案内をする目的は何でしょうか。

金儲けでもない、英会話でもない。
ラグビーの為でもない、海外旅行、ボートでもない。
この目的が最も大切です。

何のため

仏教の教えをお伝えする。
これ以外にはありません。

これは布施の一つです。
仏法をお施すことで、
法施といわれます。

法施とは破邪顕正ということです。

私達の色々なでも最高、
これ以上素晴らしい種まきはないのです。

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by sakyamuni | 2018-10-20 12:00 | 実践 | Comments(0)

『父母恩重経』の説法後、予想外の反響に驚いています。
現在、ほとんど教えられてないことだからかも知れない。
親の恩に感動、感謝できるかどうかは、人間に生まれた喜び、
仏教を聞いている幸せを、感じられるかどうかで分かれます。

敗戦前の日本では“忠孝”が徹底された。
ところが戦後“忠”の否定から“孝”まで排斥された。

今日、親孝行を説くのは、先祖供養を売り物にする新興宗教か、
日本神道ぐらいであろう。
“先祖はエライから敬え”ではなく、
“先祖も一生造悪の極悪人”であることも明白にしながら、
親の恩を説くのは、特異な存在であろう。

仏法が、どこかの先祖供養宗教や新興宗教と全く違うものというのは、
別に親が偉いから親に感謝せよ!!
というのではなく、
仏教では親も一生造悪の極悪人と知って感謝するのですから
特異な存在なのです。

なぜ感謝するのかというと、
先祖の一人でも欠ければ人間に生まれることができかなったからです。
人間に生まれられなければ、仏教を聞いて、
極悪人がそのまま迷いの解決をすることも
できなかったからなのです。


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by sakyamuni | 2018-10-06 12:00 | 実践 | Comments(0)

世の中には、
劣等感をまったく持っていない人もありますが、
どちらかというと劣等感を持っている人は
多くあると思います。

周りの人と比較します。
テストでもみんなは平均80点、
この人は平均8点。

周りの人と比べて点が悪いからと言って
引け目を感じています。
誰でも周りの人と比べれば劣っている点があります。
実際に問題があるところもあります。
それだからと言って、
その人の全人格が悪いということではありません。

少し劣ったところ、できないところがあると、
もうだめだと思い込む傾向がなきにしもあらず。
ちょっとした引け目、負い目でも。

たとえば何かの回数とか。
別にこれがその人の人格に直結するわけではありません。
お金や家庭などのそれぞれの事情があります。

こういったことを周りの人が思っていなくても、
本人が思い込んでいることもあります。

そう思っている人に、
そんなことは関係ないよという雰囲気を作ってあげる、
そういうサインを送る。
これも仏教でいう布施になります。

また上から目線でも印象がよくないので、
苦労をねぎらったり、
何かあれば
ありがとうと感謝します。


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by sakyamuni | 2018-09-12 13:00 | 実践 | Comments(0)

餓鬼と旦那の実践編

前回、餓鬼旦那についての記事を書きました。
旦那とは、布施をする人であり、与える人です。

じゃあ、具体的に相手に与えるとはどういうことでしょうか。

今回は実践編です。

持っている私が相手に与える。
これが布施と思っています。

自分が持っているものは、
お金、もの、情報など、色々あります。

ところがそれだと、与える人が、
与えられる人よりも勝っている、
優れていることになります。

どう?暖かくなったか?
こういう、おまえは仙崖かってなモードに入っちゃいます。
これはいやらしいですね。

これも大事だけど、むしろ思いやりとか、
相手の心が和むとか満足するとか、
良い点を評価するとか、誉めるとか。
こっちの方が相手の満足度は高くなります。
こっちのほうが大事です。

これができればすごく豊かな人生となります。
しかも元手はいらないのです。


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by sakyamuni | 2018-09-10 18:00 | 実践 | Comments(0)

餓鬼と旦那と布施


仏教では、自分も苦しいけど先に相手を渡す度量のある人を、
布施者と言いまして、サンスクリット語でダーナと言います。

先に相手に布施をする、先に相手に満足させる、先に相手に与えます。
そういう行為そのものか、そういう行為をする人を指します。
そういうダーナが転じて、旦那さんという言葉が生まれたそうな。
旦那さんとは、先に相手に譲る、先に相手をたてる、先に相手を満足させる。
これが自分にとっていやなことであり、苦しいことであっても。
こういう人を旦那さんと言う。

勝ちにこだわっている人なら、勝たせてさし上げる人、
負けにこだわっている人なら、負けてさし上げる人。
立場を与えてあげる人、居場所を与えてあげる人。

その反対に、自分が先に譲ってもらわなければやっていけない人、
我慢ならない人、こういう人を餓鬼といいます。
仏教では、布施の功徳の足りない人。
そういう人が落ちるのが餓鬼界
とにかく自分が先に認めてもらいたい、先に満足したい。

仏教を聞き求めている私たちは、なかなか難しいけれども
少しでも餓鬼を脱して旦那さんとなれるよう、
光に向かって進ませて頂きましょう。




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by sakyamuni | 2018-09-08 13:00 | 実践 | Comments(0)

浄土真宗イコール仏教

浄土真宗の親鸞聖人の仰せは
ブッダのお言葉と同じなんですね。
全く同じです。
その根拠は、

更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法を
われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり。
(御文章)

あまりにも有名なお言葉です。
御文章一帖目第一通に出ていますね。
これは非常に大事なことです。
親鸞聖人の教えを学ぶ、
親鸞学徒もこうあるべきです。

常に戒めていかなければならないことです。
親鸞聖人の教え、これが獲信の最短距離であり、最も近道ですから。
この親鸞の説くことは今までだれも説かなかった珍しい教え、
変わった教えを広めているのではない。

この親鸞のお伝えすることはただ如来の教法。
如来は釈迦如来。
教法は教え。

ブッダの教えをもう間違いないと親鸞明らかに知らされ、
それをあなたにお伝えしているだけなのだ。
これ以外にないのだ。

ブッダの教えは仏教ですから浄土真宗イコール仏教です。


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by sakyamuni | 2018-07-30 12:00 | 実践 | Comments(0)

教学と行学

仏教を聞く上で、教学と行学が大切です。
教学力とは教えの深い理解です。

自利利他の教えです。
そして、人に仏教の話をするときに分かりやすくなります。
色々な失敗があるがもっと勉強させて頂きましょう。

行学とは、仏教の教えの通りに実行することです。
仏法で言われる善を身に付けているかどうか。
教学で学んだことを真面目にやるのが大切です。
まずは聞法が一番大事です。
そして
六波羅蜜(ろくはらみつ)、
6つです。

そういうことを立派に心がけていく人は、
輝く存在ですから、
みんな仲間になりたくなります。

失敗する場合にはこの逆を実行しています。
けちで、約束を破り、すぐに怒り、怠けます。
仏教は伝わりません。

仏教の教えの通り実行していったら徳が身につきます。
徳のある人、誘蛾灯のような人です。
ああなりたいとあこがれる存在になりましょう。


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by sakyamuni | 2018-06-13 13:00 | 実践 | Comments(0)

私が落ち込んだとき

この記事を読んでいる人は、
仏教を疑っています、謗っていますという人はないと思います。
だけど、落ち込んだり、前向きになれない時があると思います。

こういう時に、ボーっとしているとか、
歌を歌って何も考えないようにするとか、

そういうのが自分にとってはいいんだ、
と思っている人は多いです。
しかし、縁がないんです。

そういう前向きになれないときこそ、
仏教講座に足を運んで、
同行との縁を持つと言うことが大事なんです。

同行というのは同じところへ行くと核ように、
共に、同じ本当の生きる目的を知り、
そこへ向かって進もうとしている人です。

お互い困っているときに助け合って、
大変いい影響を与えあうことができます。

どんなに落ち込んでいるときでも、
仏教講座に行く、ということが大切です。


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by sakyamuni | 2018-04-19 12:05 | 実践 | Comments(0)

金や物での団結は、使ったり食べたりしてしまえば、
それで終わりです。

世間の欲望、名利、
そういう団結はそういうものです。
目的を果たしたらバラバラになります。

仏教の団結は、世間で言われる団結とはけたが違います。
ひとえに阿弥陀如来の本願力によります。
人間のつまらぬ技術的なことではありません。

阿弥陀如来の力によっての団結であり、
人間の力ではありません。
どこまでいっても、一向専念無量寿仏の信一つです。

使命達成には
だからなぜ、一向専念なのかを、
よくよく説いて納得するならば、
誰でも喜んで仏教を伝える法戦に参加するでしょう。

法戦というのは、法蔵久遠の戦線ともいわれます。
法蔵菩薩が本願を建てられて、
そして名号を成就され、
十方衆生を救いきるまで
この闘いは続きます。

私たち仏教を伝えるとき、
なぜ一向専念なのかを話さなければなりません。

本当は最初からそれを話したいんですが、
よく納得できないと一向専念無量寿仏の話はできません。

これには後生の一大事をよく理解しないと
分かってもらえませんから。

なぜ、一向専念なのかを、
よくよく納得すれば、
誰でも聞法するのです。


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by sakyamuni | 2018-03-09 12:00 | 実践 | Comments(0)

団結を乱す

団結を乱すことを仏教では
和合僧を破るといいます。

これは恐ろしい罪です。
和合僧を破る者を仏教では五逆の者と教えます。
五逆罪は無間業の大罪です。

だから反対に言えば
しっかり団結を守っていこうとする協調性が重要です。

共に仲良く光に向かって進みます。
団結をしていく、それは素晴らしい善です。

素晴らしい善果がやってきます。

私たち我利我利亡者であり
恐ろしい罪を造っている
逆謗の屍ですから誡めて行かねばなりません。

団結を破るものを五逆罪だぞ、
無間業の大罪だと言われます。
自己虫、自己中心的なのが私たちだからです。

私達の使命は、仏教の教えを
正確にお伝えする以外にあってはなりません。

それが一番のもとです。

一糸乱れぬ団結で
仏教の教えを伝える使命を
果たさなければなりません。

この真実を自己に徹底するのと同時に
一人でも多くの人に伝えるということです。

そしてその使命を果たすには
団結を乱してはならないのです。


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by sakyamuni | 2018-03-08 12:00 | 実践 | Comments(0)