カテゴリ:実践( 28 )

教学と行学

仏教を聞く上で、教学と行学が大切です。
教学力とは教えの深い理解です。

自利利他の教えです。
そして、人に仏教の話をするときに分かりやすくなります。
色々な失敗があるがもっと勉強させて頂きましょう。

行学とは、仏教の教えの通りに実行することです。
仏法で言われる善を身に付けているかどうか。
教学で学んだことを真面目にやるのが大切です。
まずは聞法が一番大事です。
そして
六波羅蜜(ろくはらみつ)、
6つです。

そういうことを立派に心がけていく人は、
輝く存在ですから、
みんな仲間になりたくなります。

失敗する場合にはこの逆を実行しています。
けちで、約束を破り、すぐに怒り、怠けます。
仏教は伝わりません。

仏教の教えの通り実行していったら徳が身につきます。
徳のある人、誘蛾灯のような人です。
ああなりたいとあこがれる存在になりましょう。


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by sakyamuni | 2018-06-13 13:00 | 実践 | Comments(0)

私が落ち込んだとき

この記事を読んでいる人は、
仏教を疑っています、謗っていますという人はないと思います。
だけど、落ち込んだり、前向きになれない時があると思います。

こういう時に、ボーっとしているとか、
歌を歌って何も考えないようにするとか、

そういうのが自分にとってはいいんだ、
と思っている人は多いです。
しかし、縁がないんです。

そういう前向きになれないときこそ、
仏教講座に足を運んで、
同行との縁を持つと言うことが大事なんです。

同行というのは同じところへ行くと核ように、
共に、同じ本当の生きる目的を知り、
そこへ向かって進もうとしている人です。

お互い困っているときに助け合って、
大変いい影響を与えあうことができます。

どんなに落ち込んでいるときでも、
仏教講座に行く、ということが大切です。


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by sakyamuni | 2018-04-19 12:05 | 実践 | Comments(0)

金や物での団結は、使ったり食べたりしてしまえば、
それで終わりです。

世間の欲望、名利、
そういう団結はそういうものです。
目的を果たしたらバラバラになります。

仏教の団結は、世間で言われる団結とはけたが違います。
ひとえに阿弥陀如来の本願力によります。
人間のつまらぬ技術的なことではありません。

阿弥陀如来の力によっての団結であり、
人間の力ではありません。
どこまでいっても、一向専念無量寿仏の信一つです。

使命達成には
だからなぜ、一向専念なのかを、
よくよく説いて納得するならば、
誰でも喜んで仏教を伝える法戦に参加するでしょう。

法戦というのは、法蔵久遠の戦線ともいわれます。
法蔵菩薩が本願を建てられて、
そして名号を成就され、
十方衆生を救いきるまで
この闘いは続きます。

私たち仏教を伝えるとき、
なぜ一向専念なのかを話さなければなりません。

本当は最初からそれを話したいんですが、
よく納得できないと一向専念無量寿仏の話はできません。

これには後生の一大事をよく理解しないと
分かってもらえませんから。

なぜ、一向専念なのかを、
よくよく納得すれば、
誰でも聞法するのです。


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by sakyamuni | 2018-03-09 12:00 | 実践 | Comments(0)

団結を乱す

団結を乱すことを仏教では
和合僧を破るといいます。

これは恐ろしい罪です。
和合僧を破る者を仏教では五逆の者と教えます。
五逆罪は無間業の大罪です。

だから反対に言えば
しっかり団結を守っていこうとする協調性が重要です。

共に仲良く光に向かって進みます。
団結をしていく、それは素晴らしい善です。

素晴らしい善果がやってきます。

私たち我利我利亡者であり
恐ろしい罪を造っている
逆謗の屍ですから誡めて行かねばなりません。

団結を破るものを五逆罪だぞ、
無間業の大罪だと言われます。
自己虫、自己中心的なのが私たちだからです。

私達の使命は、仏教の教えを
正確にお伝えする以外にあってはなりません。

それが一番のもとです。

一糸乱れぬ団結で
仏教の教えを伝える使命を
果たさなければなりません。

この真実を自己に徹底するのと同時に
一人でも多くの人に伝えるということです。

そしてその使命を果たすには
団結を乱してはならないのです。


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by sakyamuni | 2018-03-08 12:00 | 実践 | Comments(0)

礼儀を正しくするというのは、
これは世間でも言われることですが、
仏教では、利他の精神から出てくるものです。
布施です。

大乗仏教の精神は利他の精神です。
相手の立場に立つ。
相手の立場に立った言動ができないから
非常識な言動になります。

礼儀の基本は相手の立場に立つこと。
仏法者は礼儀をただしくしていきます。

「あれが仏教の教えを聞いている人か、
なんだあれは?」
とならないようにしましょう。

非常識な言動は慎んで、
相手の立場に立ち、
正しい言葉遣いをします。
そうすると、光る存在になります。

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by sakyamuni | 2018-03-07 12:00 | 実践 | Comments(0)

意見と批判の違い

最近は個人の力も強くなっていますが、
やはり個人の力は限られているので、
大きなことを成し遂げるには、
組織的な団結が必須です。

特に団結というのは重要です。
トップダウンの組織では、トップの器ですべてが決まります。
トップの判断が正しいときはいいですが、
間違えれば崩壊します。

そのような、組織の中で、
意見を言うのと
批判するのはどう違うのでしょうか。

例えば会議であれば、
まだ採決がとられていないときに
建設的な意見を言うことは、
大変いいことです。

組織の目的に対してプラスになります。

ところが、一度採決されて結論がでたら、
それに対して意見を言うのは、
批判となります。

それは団結を乱すので、
組織の目的に向かってマイナスになります。

仏教では、正しい教えを伝える団体の和を乱すのは
「和合僧を破る」という
大変重い罪になります。

まずは何が目的なのかを知り、
それに向かってプラスかマイナスか
というのが判断基準になってきます。


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by sakyamuni | 2018-03-01 12:00 | 実践 | Comments(0)

仏教を伝える先生の気持ちを教えられた
浄土真宗の親鸞聖人の御和讃があります。

三朝浄土の大師等
 哀愍摂受したまいて
 真実信心すすめしめ
 定聚のくらいにいれしめよ(正像末和讃)

三朝浄土の大師等というのは、三朝とは
インド、中国、日本のことですから、
三朝浄土の大師等とは、七高僧のことです。

七高僧とは、インドの龍樹菩薩、天親菩薩
中国の曇鸞大師、道綽禅師、善導大師
日本の源信僧都、法然上人のことです。

法然上人は、浄土宗を開かれた方で、
親鸞聖人の直接の先生です。

哀愍摂受とは、この親鸞を哀れんで、
真実信心すすめてあげて下さい、
定聚の位に入れてあげて下さい。

親鸞聖人、全力で話をされています。
余裕のよっちゃんで、
何の苦労もせずに、
こんな言葉は絶対に出ません。

努力しているが、なかなか聞いてもらえない、
みんなが分かってくれない。
これだけ叫んでいるのに。

何とか本当の幸せになってもらいたい、
それには仏教の教えを伝えなければならない
と全力を尽くされた親鸞聖人の嘆きのお言葉です。

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by sakyamuni | 2018-02-15 12:00 | 実践 | Comments(0)

仏教を真剣に聞く方法

ある日学校で、クラスの隣の席の人が風邪で休みました。

先生から、
「学校に出てこないと授業が遅れるから、
ノートを取って話をしてもらいたい」
と言われます。

それからは聞き方が変わります。
自分の為ではなくて、彼に伝えなければなりません。

そういう責任を担うと自分もよく授業を聞かずにおれなくなります。
世の中には、本当に授業を聞かないと困るようなことが
いくつあるかと思うと、大いなる疑問符です。

しかし、仏教には、
など、人生で重大な問題について教えられていますから。

ほかの誰かに話をするという役割があると、
思わず、真剣に聞かずにおれなくなります。
正確に聞き取らずにおれなくなります。

だから一字一句間違いの無いように話をします。
だいたいではダメです。

接続語、語尾、助詞、これも違うと意味が変わります。
だいたい合っているように思うけど、違っています。
思い切り真剣に聞かずにおれなくなります。

たとえば、
北海道の札幌と函館、だいたい一緒と思います。
どちらも北の方、どちらもラーメンが有名、
どちらも寒いです。

しかし実際は車で8時間です。
だいたいあんな方面のことだろうというのは、
大きく異なります。

仏教ではいざ誰かに話をするとき、
真剣に聞かずにおれなくなります。
接続詞や語尾にも、そこまで正確に聞き取ろう、
こういう気持ちになるものなんですね。




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by sakyamuni | 2018-01-31 12:00 | 実践 | Comments(0)

生きる力の元

こんな言葉があります。
「法財施生きる力の元と知れ」
法施財施をして元気になったこと沢山あると思います。
そのような布施をせずに、
けちで貧乏になったこともあると思います。

ブッダは、
欲望の為に使うのは髭をなでるより簡単、
仏法にお金を使うのは生爪剥がれるより辛い
と言われますが仏法の為にお金を使うまでが大変です。

お金を使って聴聞に言って後悔することないと思います。
欲の為にお金を使って後悔したこと多いと思います。

仏法の為に、時間を使いますと、
他の時間も充実してくることあります。

欲望のことに時間をつかっても元気でません。
欲望を満たす喜びは続かないからです。
一過性のもので、何も残りません。

ところが、お金も時間も
人の為、仏法の為に使えば
幸せがやってきます。

善いたねをまけば善い運命が引き起こされる。
因果応報です。

布施が元気の元になるのです。


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by sakyamuni | 2018-01-30 12:00 | 実践 | Comments(0)

坊主と泥棒

ある仏教の先生は
親鸞聖人の非僧非俗の精神をご自身の精神とされています。

著作に
「おれは坊主じゃない!!」
と書かれています。

昔よく
「おい坊主!!」
と言われたそうです。

そんなときは
「おい泥棒!!」
と言い返すそうです。

「なんだそれは」
と聞き返されると、
「坊主じゃないものを坊主というから
お前のことも泥棒といったのだ」
と言いかえされたそうです。

坊主とは本来は素晴らしい意味なんです。
昔はBOSSの語源にもなったぐらい尊敬されていたのに。
今は坊主頭、坊主めくり、・・・・。
よい意味ではありません。

そこで、
「そんな死体に集まる禿げたか坊主じゃない!!」
と言われているのです。

僧侶というのは、すべての人を幸せに導く
尊い仏教の教えを伝える使命を持っているのです。




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by sakyamuni | 2018-01-29 12:00 | 実践 | Comments(0)