仕事や病気、借金や、人間関係など、
人生には色々な問題が起きてきます。
という本がベストセラーになるくらいです。

いかに私たちがこれらのものに煩わされているか考えると
大変です。毎日です。
これらをどんなに解決しても「有無同然」です。
有っても苦しいですが、
無くても苦しいものです。
そうしたら、どう生きればいいんですか。

どれだけやってもこれらの苦しみは死ぬまでなくなりません。
キリがないものです。

ところが人生の目的は苦悩の根元をなくすこと。
それは破ったらもうこれらが障りにならなくなります。
一瞬でなくなるものです。

ちょうどキリなく出てくるモグラ叩きやって疲れ果てる。
モグラ叩くより、機械のコンセント抜いたらいいんだ。
モグラは出てこなくなります。

苦悩の根元を破ったなら、
別の意味で「有無同然」になります。
有っても無くても、同じく喜べます。
それが本当の生きる意味です。


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by sakyamuni | 2018-08-29 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

仕事や病気、借金や、人間関係など、
人生には色々な問題が起きてきます。
という本がベストセラーになるくらいです。

いかに私たちがこれらのものに煩わされているか考えると
大変です。毎日です。
これらをどんなに解決しても「有無同然」です。
有っても苦しいですが、
無くても苦しいものです。
そうしたら、どう生きればいいんですか。

どれだけやってもこれらの苦しみは死ぬまでなくなりません。
キリがないものです。

ところが人生の目的は苦悩の根元をなくすこと。
それは破ったらもうこれらが障りにならなくなります。
一瞬でなくなるものです。

ちょうどキリなく出てくるモグラ叩きやって疲れ果てる。
モグラ叩くより、機械のコンセント抜いたらいいんだ。
モグラは出てこなくなります。

苦悩の根元を破ったなら、
別の意味で「有無同然」になります。
有っても無くても、同じく喜べます。
それが本当の生きる意味です。


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by sakyamuni | 2018-08-29 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

この坂を越えたなら幸せが待っている
そんな言葉を信じて
こえた七坂四十路坂

この坂さえ越えたら完成ある、
終わる、
終止符打てる、
と思ってのぼります。

この大学さえ入ったらピリオドを打てる
幸せが待っていると思います。
ところが実際入ると試験があります。

就職難はもっと激しい坂になります。
会社に入ったら勉強から解放されて
お金も稼げて幸せになれると思います。

ところが会社入ったら、
英語の勉強しないとやっていけません。
リストラなどもあります。
苦しいことは次から次へときりがありません。

サッカーのカズは
一時はヒーローでした。
ドーハの悲劇で生卵ぶつけられます。
トルシエ監督から代表選ばれません。

中田はどうでしょうか?
一番上手といわれるほどになっても苦しみはなくならなりません。
そうしているうちに体力の限界来ます。

永遠に繰り返します、きりもきわもなく
苦しみの連続です。
これを仏教で流転輪廻といいます。

きりがないのは勉強が一番分かりやすいと思います。
お受験、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学……
上に行けば行くほど競争が激しくなります。
結局少しも苦しみ悩みから解消されない、
どこまで行っても苦しみがなくなりません。

どこまで行けば何をどう頑張れば幸せになれるのでしょうか?
どこまでいってさいげんがありません。

際限がないのは疑情一つが原因だと
仏教で教えられています。

原因を間違っているから幸せになれないのです。
それは間違った信心です。

よくよく仏教を聞かなければなりません。



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by sakyamuni | 2018-05-19 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

心の闇

心の闇というのは暗い心です。
暗いとはどういう心でしょうか。

私たちが常日頃大切にしている、
光にしているものがたくさんあります。

生きる希望にしたり、
生きがいにしたりしている
ということです。

それがいざ死んでいく時には、
それらが一つ一つ消えていく、
それで見えてくるのが
心の闇です。

いよいよ死んでいかなければならないときには
明かりが全部消えて真っ暗になる心、
これば心の闇です。

しかも今もあります。

私たちは無明の闇に覆われています。
ところがそんなもので苦しんでいるとは思っていません。

私たちが苦しいのは、
お金や物がないからだ、
地位や名誉がないからだ、
恋人がないから苦しんでいると思っています。
つまり、煩悩で苦しんでいるということです。

煩悩とは欲望怒り愚痴の心です。
それらはなくすことができません。
私たちが苦しんでいる根本原因は、
煩悩ではなく心の闇だと
仏教では教えられています。

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by sakyamuni | 2018-04-09 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

私達も大学に行ったらいいことがあると思ったのに・・・、
全然楽しいことがない。
でもね我慢しないと!

いい企業に就職できたらきっといいことがあると思っていたのに・・・。
あるのはお茶汲みばかり。
でもね!我慢しないと。

結婚したらきっといいことがあると思っていたのに、
あるのはけんかばかり。
でもね!我慢しないと。

ああなれば幸せになれる!
そう思って頑張って手に入れても
思っても見なかった苦しみがやってくる。
そして気晴らしに出かける。
有無同然です。

有無同然は今も昔も変わらない人類の姿です。


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by sakyamuni | 2017-11-26 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

日本の宗教と神の目的

普通、合掌とか礼拝とかする時、
自分が何に向かって頭下げているのかを
確かめてみるもんですが、殊日本人は宗教に関しては、
頭を下げる相手がどんなものなのか、
またどんな働きがあるのかを知ろうともしないんですね。
全く無知蒙昧。
不思議な国日本です。

現在日本に祀られている「」というのは、
死んだ人間や畜生の霊であります。

それらの霊魂が鎮座していてミラクルパワーを持っている。
こういうのを
「鬼神」って言いますが、そういうのに頭を下げたなら
「〜祈願」っていうのが叶えられる。
神社のカタログ見たらいろいろのことを解決すると書いてるんですね。

しかしこれら一切は、相対の幸福をあげますよ、と言ってるんです。
仮に救われたとしても一時的なものです。
サロンパスみたいなもんで、
効いたの効いてないのか分からないけど
剥がしてみたら皮まで剥がれました、
拝んでみたけど金だけもっていかれました、
っての多いでしょ。

しかもそこで拝んでいる頭下げている人たちというのは
宗教に関しては無知蒙昧。
何も分かってないという人ばかりなんです。
苦悩の根元が分かってない。

仏教では苦悩の根元というのは無明の闇、
その根元を見抜かれてなくしてみせると誓われたのが
阿弥陀如来であると
お釈迦さまは教えます。

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by sakyamuni | 2017-11-12 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

阿弥陀如来の本願には無明の闇を破る力があります。
親鸞聖人の御和讃に
「無明の闇を破するゆえ、智慧光仏となづけたり」

阿弥陀如来のことを智慧光仏とも名付ける。
無明の闇を破る力があるから。
そういう大きな力があるから、阿弥陀如来のことを智慧光仏とも言う。
智恵というのは先を見通す力。

囲碁でも将棋でも先を見通す力のある人が強い。
人生の先を見通す力。
後生どうなるかハッキリさせる力。
死んだらどうなるかすかっと鮮やかにして下さる力。
それが知恵の働き。
そう言う知恵を持たれているから阿弥陀如来のことを
諸仏方が智慧光仏といわれている。


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by sakyamuni | 2017-11-09 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

病なら捨てておいては治るまじ
六字の薬たてかけて飲め

私たちは重い病みんな持っている。
病なら心の闇、捨てておいては治ることはないだろう。
ほったらかしにしていて、それをごまかしていては絶対に治ることはありません。
何が何でも六字の名号。
たてかけて、無理をしてでも飲みなさい。
飲めとは聞きなさいと言うこと。
聞く一つ。
普通の薬なら口から飲むがこの南無阿弥陀仏は耳から頂けるように完成されているから、真剣に仏法聞きなさい。
聞く一つで助かるのが仏法それは南無阿弥陀仏は聞く一つで頂けるように完成されているから。
ほったらかしにしてたら絶対に治りません。
この無明の闇はいくら勉強しても恋人をえても、地位を得ても治るものではない。
名号を頂く以外に、絶対に治りません。
一日も早く聞きなさいと言わずにおれない。
それを日本の和歌で五七五七七と韻を踏んで聞き易いように言われているから。
相手も私も共に顕正、共に幸せになれる歌です。

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by sakyamuni | 2017-10-22 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

苦悩の根元

阿弥陀仏は信楽の身にしてみせる、
暗い心を必ず破ってみせるとお約束されている。

苦悩の根源は疑情である、と教えられた親鸞聖人のお言葉は何か?

真の知識にあうことはかたきが中になおかたし
流転輪廻のきわなきは疑情のさわりにしくぞなき

世の中難しいことがあるけれど、難しいことの中でなお難しい。
これ以上難しい事はないと言われている。
では、なぜこれが「疑情が苦悩の根源である」ことの根拠か。

苦しみの波は治まることはない。
安心できる陸地ないかなと探すが、
その波を突破しても、また別の波で苦しむ。
難度海。
際限がない。
お釈迦さま、四苦八苦を教えられて、
「生苦・老苦・病苦・死苦の四苦があるが、生きている限り克服できる苦はない」
と仰られた。

苦しみが際限なく来るのは、疑情にしくぞなき、疑情以外にはない。
苦しみから出られないのは、疑情ひとつなのだと断言されている。

信楽とは「苦悩の根源を破ってみせる」というお約束。

お金や財産で苦しみはなくならない。
お金がないのは苦悩の根元ではない。
肛門に目薬では目がよくなる道理がない。
見当違いのことしてるから。

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by sakyamuni | 2017-10-08 12:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)

無明の闇とは?

無明の闇とは何か。
後生暗い心。

後生とは100%確実な未来。
すべての人は1日生きれば1日後生に
近づいています。
いやじゃいやじゃといいながら後生に近づいている。
私だけは後生に関係ありませんという人はいません。
すべての人の100%確実な未来です。

元旦や冥土の旅の一里塚

一年たって元旦を迎えたらそれだけ後生に近づいた。
ついこの間正月と思ったら、もう、
11月も末、年賀状を書かねばならない季節になっている。
1年といっても本当にあっという間。
それだけ後生に近づいた。

老後の心配をする人はあっても後生の心配をする人がない。
問題にする人すらありません。
これはおかしなこと。
明日のテストのことが心配で眠れないことがあっても、
人間関係で悩んで、気に病むことがあっても、
後生が心配で眠れないことはない。
あるかないかわからない老後の心配をしても
確実な後生の心配をしていません。

それどころか、そんな後生なんてないよ、
死んだら死んだときでないかという人も少なくありません。

しかし、死んだ後があるとかないとか、いうことは知識の問題です。
死んだ後がないと思っている人でも、
身近な人が亡くなると冥福を祈らずにおれない。

死んだ後、幸せになってもらいたい、
辛い思いをしているんじゃないかと感じているから、
幸せを祈らずにおれない心が出てくるんです。

慰霊というのも、死んだら霊というものがあるというのが前提。
慰めるというのも、自分より不幸な人をなぐさめる、死んだ後があって、
しかも、苦しんでいるのではないかと認めている心がある。

死んだ後があるとかないとかは知識の問題だが、
人間は知情意の存在だと教えていただいた。
知だけではなく、情と意もある。
知識で知っている納得しているだけでは
片づけられない問題がある。
冥福を祈らずにおれないのは、深い人間性からくるもの。
これを無視する人は嫌われる。


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by sakyamuni | 2017-10-01 18:00 | 苦悩の根元 | Comments(0)