仏教書で最も読まれている、鎌倉時代の
歎異抄の最初に、
「弥陀の誓願不思議」
とありますが、
「不思議」は、
なぜつけられているのでしょうか?
そこには何かの教えがあるのでしょうか。

不思議というのは今救われるということです。
今絶対の幸せになれるというのは、
想像を絶します。

あと10年はかかるだろうと思う人もあるかもしれません。
今あなたが絶対の幸せになるというのは想像を絶します。
今救われる誓願を説かれる人というのは稀です。

こういうことを意識して書かれているのではないかと思います。
一言一言にも深い御心があるのではと思わずにはおれません。

一座一座が勝負ということです。
仏教では、今回聞きぬくんだという心、
この心が一番大切です。

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by sakyamuni | 2018-06-06 12:00 | 歎異抄 | Comments(0)

仏教書で最も読まれている、鎌倉時代の
歎異抄の最初に、
「弥陀の誓願不思議」
とありますが、
「不思議」は、
なぜつけられているのでしょうか?
そこには何かの教えがあるのでしょうか。

不思議というのは今救われるということです。
今絶対の幸せになれるというのは、
想像を絶します。

あと10年はかかるだろうと思う人もあるかもしれません。
今あなたが絶対の幸せになるというのは想像を絶します。
今救われる誓願を説かれる人というのは稀です。

こういうことを意識して書かれているのではないかと思います。
一言一言にも深い御心があるのではと思わずにはおれません。

一座一座が勝負ということです。
仏教では、今回聞きぬくんだという心、
この心が一番大切です。

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by sakyamuni | 2018-06-06 12:00 | 歎異抄 | Comments(0)

無常の幸せとは

歎異抄で、この世は火宅無常の世界といわれます。
歎異抄には親鸞聖人のお言葉が書かれています。

親鸞聖人は、無常の世界だとおっしゃるんです。
無常とは常がないということです。

ずーっと変わらずにあるもの、
そういうものはないんですね。

刻一刻と変わっています。
この世の物は常がない、変化していきます。
私たちは幸せになりたいです。
みんながそうです。

仮に幸せということを定義しますと、
こう言えると思います。
安心と満足。

幸せとは本当の安心、本当の満足です。
これをみんな求めているのです。

仏教ではこの世の幸せを相対の幸福と言います。
私たちが知っているこの世の幸せをすべてを言います。
簡単に言えば、比べてみて喜べる幸せのことです。

具体的にいうと、健康、家庭とか、お金とか、地位、名誉、財産とか。
他にもたくさんありますが、こういったものを追いかけています。
学問とかスポーツとかいろいろあるでしょう。
私たちが住んでいる世界は無常の世界。

すべてのものが移り変わっていく世界。
ずーっとこのままであって欲しいと思っても、
崩れてしまうのです。

では本当の幸せは何か
ということが仏教に教えられています。


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by sakyamuni | 2018-04-24 13:00 | 歎異抄 | Comments(0)

仏教書で一番読まれているのは、
鎌倉時代の歎異抄です。
歎異抄には、親鸞聖人のお言葉が記されていることと、
大変美しい文章で書かれていることで有名です。

その中に、親鸞聖人は、
私たちすべての人を、
煩悩具足の凡夫といわれています。

凡夫とは人間のことです。

煩悩とは、欲望怒り愚痴など、
私たちを煩わせ、悩ませるものです。
具足というのは、それでできている、塊だということです。

歎異抄は親鸞聖人のお弟子が書いたものですが、
親鸞聖人ご自身が書かれてたものにも
同じように書かれています。

親鸞聖人が私たち凡夫というものを
どのように言われているかというと、
『一念多念証文』の中に言われています。

「凡夫」というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、
もおおく、瞋り腹だち、そねみねたむ心多く間なくして、
臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず。
(一念多念証文)

死ぬまで煩悩というのは変わらない、
なくならないのだということをおっしゃっています。

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by sakyamuni | 2018-04-23 12:00 | 歎異抄 | Comments(0)