一番最初に、仏教の話をするとき
話題性があるとか最近誰でも知っているニュースとか。
最近誰でも知っているニュースでなくても
相手に身近な関係のある話題がいいんだね。

さっき無口無表情の若者が多いと言ったけれど、
何を言ったらいいか分からない人が多いんですね。
相手と私との距離が開いているのを埋めるのに適切な話題ってのがあります。

その大前提は相手と自分が会話することで、何かを伝えたい、それもいいもの、
相手がちょっとでも幸せになってほしい、というものを持っていることが前提。
嫌われる勇気とは逆の心がけですね。

これがないから会話できない。
しかし私たちは伝えなければならない、
届けたい幸せ喜びが十分にあるんですね。
その上で相手にどう届けるか。

花束を持っているわけですね。
その花束を相手にどう届けるか。
相手に届けるためにはさっき言いましたように
話題性があるとか身近であるとか誰でも知っている
有名な話とかが欲しいんですね。


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by sakyamuni | 2018-07-23 12:00 | 顕正 | Comments(0)

若者は面接試験が苦手です。
会話できません。
企業が欲しいのはコミニケーション能力がある人です。
会話ができないのは、話したい事を持たないという原因もあります。

仏教には無上の妙法が説かれています。
しかも、話し方もわかります。
仏法者でよかったですね。

仏教を伝える時、ポイントは3つあります。

1.言いたいことは何か。

まず、何が言いたいかスッキリしていることです。
今苦しくてもなぜ生きてゆかにゃならんのか。
どうしたら幸せになれるのか
幸せ」とか、存在意義とか聞きなれない。
あなたの立場にたって、あんたのハートに火をつけるのが大切です。
一言で何ですかーっと話をするのが大切です。

2.どういう展開か明快か

中途半端支離滅裂はだめです。
スカーッとメリハリをつけます。

接続語や語尾が大事です。
中途半端、メリット親しみだけど
相手の心の中で確かにその通りだな、
とぎくッとします。

そういう言葉ないと上滑りします。
話は分かるけどいいです、自分で考えますとなります。
聞いてる人の問題にならないといけません。

親子の無理心中どうして細かく言うかというと、
あなたはどうでしたか?
似たような経験はほとんどの人です。
おまえもか
幸せわかんないなるほどその通り
相手の胸の中に入れます。

接続語それでどういえば、そこで、一方、順接たくさんあります。

最悪は、だけどね、ばっとマン、とはいえ、
だよねーところでワープ力。

3.最後は一対一の心と心の距離です。
反対されるのが当然です。

やたらと断言するのは愚の骨頂です。
必ず反対されます。
といわれるという人もあるみたいらしいなのだって
最初はこういう言葉が最後です。

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by sakyamuni | 2018-07-20 12:00 | 顕正 | Comments(0)

仏教を伝えることは、私達には今までにない、
素晴らしいご縁ですね。

だけど、
「負けない、逃げない、諦めない」
ということを忘れて。
「負けました、逃げました、諦めましたー。
 顔も見たくないー、内臓に穴開いちゃいました」
どちらも不幸です。

そういうのを乗り越えて苦労を求めていくと
善い種蒔けば善い結果が帰ってきます。

後輩ができると、10人後輩もつ。
そういうのを「お預かりする」という。
どなたから??

阿弥陀如来からお預かりする。
この人のご縁。
手継の、という言葉があります。
その人の手を持って、その人を極楽浄土までお連れします。
その人のご縁、親になった気持ち
どうすればよいか、色々考えます。

子育てならたまごクラブを読んで悩みます。
仏教を伝えるのはたまごクラブもない、色々と悩みます。
踏みつけたくなります。
そこをどうしたらどうしたらと悩むのが自利利他です。
仏教を伝えるのは、自利利他の素晴らしいご縁です。
そういうことをよく知っていてもたらいたい。


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by sakyamuni | 2018-07-09 18:00 | 顕正 | Comments(0)

親鸞聖人は、
是非知らず邪正もわかぬこの身なり
といわれています。

さらに親鸞聖人のお言葉をお弟子が書き残した歎異抄には、
の二つ総じてもって存知せざるなり
とおっしゃっています。

是非もも知らない姿は、
阿弥陀如来の光明に照らし出された実機です。
これが私たちの本当の姿ですよというのが正、
私は正しいこと知っているといっているのが邪です。

そして何も分かっていない自分がすくわれたのは
弥陀の本願あってこそです。
これが正です。
自分で幸せになれるというのが邪です。

正は、そういう実機のを救うという阿弥陀仏の本願です。

これを明らかにするのが仏弟子の使命です。

こういう真実を叫ぶと非難が起きるといわれていますが、
その通りみんな自分が正しいと思っているから非難が起きます。

仏法を伝えようとしたら家族に反対された
一度聞いてみてといったら金集めだといわれた

そのときは根競べです。
いつまで仏教を聞けるか、
仏教を聞くのは、阿弥陀如来のお力によるものですから、
必ず向こうは負ける勝敗は明らかです。
向こうはくたくたになる
しばらくの間のことです。

阿弥陀如来のご念力に勝てるものはありません。
あきらめきれんと諦める
阿弥陀如来の根気に勝てる人いない

悪口受けたくなければ破邪顕正しなければいいのだ
ともいわれた。
非難攻撃の中さけばれたのが親鸞聖人です。


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by sakyamuni | 2018-06-17 12:00 | 顕正 | Comments(0)

仏法者のすべきこと

ブッダは遺言に
「破邪顕正せざるものは仏弟子にあらず」
といわれています。

破邪顕正とは、邪を破り、正をあきらかにする
ということです。

ですが、破邪顕正しようにも何が邪、正かを知らなければなりません。
あいまいなら気が起きないですし、できません。

まず、何がで、何がすべきことなのでしょうか?
あの人は万引きした、
殺人した、あの人のアリバイがある。
これは仏法者の仕事ではありません。

うちの妻は浮気しているのか。
していないか。
スキャンダルを問題にして仰ぐのがマスコミです。
仏法者がすることではありません。

「我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫のみ」
といわれています。
他人をみてあの人間違っているということできません。

ではここで邪とは何か、
邪正とは何かといいますと、
これは世間事ではありません。

真実の仏法をねじ曲げるものが邪で、
真実の仏法が正です。

真実の仏法には、
本当の生きる意味が教えられていますから、
本当の生きる意味を伝えましょう
ということです。



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by sakyamuni | 2018-06-15 13:00 | 顕正 | Comments(0)

自分がすばらしい教えにあわせていただいたとなれば、
自分一人だけで聞かせて頂いてはあまりにももったいない、
それで、縁のある人にお伝えせずにはおれなくなります。

自分が幸せになったら、
人も幸せにせずにおれなくなります。

法を施さずにはおれなくなります。
これは布施の中でも法施です。

言葉をかえれば
顕正せずにはおれなくなります。

一人でも多くの人に仏教をお伝えしたい。
生んでくれた両親、昔の友人、
あの人にもこの人にも、
という気持ちになります。

たまたま、そば屋に入って、
そのそばが今まで食べたことのないような
美味しいそばをたべたら、黙ってはおれなくなります。

「あそこのそばは美味しいよ」
無口な人でもいわずにおれなくなります。

本当に美味しいと思ったら、
人に伝えずにおれなくなります。
顔中口にして言わずにおれなくなります。

家族に反対を受けるから言わないほうがいいと思っても、
本心は言わずにおれないのです。

私たちも仏教の教えを聞かせ頂いて、
聞かせていただいた喜びがあったならば、
人に伝えずにおれなくなります。


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by sakyamuni | 2018-04-20 12:00 | 顕正 | Comments(0)