不完全燃焼は身体に悪い。
ヒーターならCOが発生。
人間ならフリーラジカルが発生する。
安定してないので色々なものを攻撃する。
有害な物質が生まれる。

人生不完全燃焼すると心には
「つまらん、だりー、あんちくしょー、うらやましい」
愚痴分子が生み出される。

しかも自分の体内にとどめるだけでなく外に発射する。
耳に取り込まれ体内かけめぐり様々な心と融合して
聞いた人はどんどん元気を失い不幸に陥れる
恐ろしい目に見えない分子です。

それで世の中じゅうが不完全燃焼にまみれて全然幸せになれない。
自分も相手も幸せになれない。

完全燃焼、時間が足りない、クタクタになるまで種をまくことができる。
良い種蒔く、完全燃焼の日々。
もえかすなんて残りはしない。
スッキリする。

いまどき青春は死語。

体力、エネルギーがみなぎってるのに
どこに向けたらいいか分からない。
不完全燃焼で、余計なこと、爆弾投げるとか使ってしまう。

インターネット、出合いサイトにはまるのは暇。
そんな時間全然ない。
どこにどうしたら時間ができるのか。
人刺してる時間もない。
三浦海岸行く暇もない

そういう人はひまで仕方ない、やることない。
もったいない。

一回しかない人生、
そしてその年その年は一回しかない。
二度とない。

大仕事 とげて死なまし 熱情の
 若き日は 二度と来はせじ

本当の仏教を多くの人に伝えるのが一番有意義。




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by sakyamuni | 2018-10-22 12:00 | 顕正 | Comments(0)

一番最初に、仏教の話をするとき
話題性があるとか最近誰でも知っているニュースとか。
最近誰でも知っているニュースでなくても
相手に身近な関係のある話題がいいんだね。

さっき無口無表情の若者が多いと言ったけれど、
何を言ったらいいか分からない人が多いんですね。
相手と私との距離が開いているのを埋めるのに適切な話題ってのがあります。

その大前提は相手と自分が会話することで、何かを伝えたい、それもいいもの、
相手がちょっとでも幸せになってほしい、というものを持っていることが前提。
嫌われる勇気とは逆の心がけですね。

これがないから会話できない。
しかし私たちは伝えなければならない、
届けたい幸せ喜びが十分にあるんですね。
その上で相手にどう届けるか。

花束を持っているわけですね。
その花束を相手にどう届けるか。
相手に届けるためにはさっき言いましたように
話題性があるとか身近であるとか誰でも知っている
有名な話とかが欲しいんですね。


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by sakyamuni | 2018-07-23 12:00 | 顕正 | Comments(0)

若者は面接試験が苦手です。
会話できません。
企業が欲しいのはコミニケーション能力がある人です。
会話ができないのは、話したい事を持たないという原因もあります。

仏教には無上の妙法が説かれています。
しかも、話し方もわかります。
仏法者でよかったですね。

仏教を伝える時、ポイントは3つあります。

1.言いたいことは何か。

まず、何が言いたいかスッキリしていることです。
今苦しくてもなぜ生きてゆかにゃならんのか。
どうしたら幸せになれるのか
幸せ」とか、存在意義とか聞きなれない。
あなたの立場にたって、あんたのハートに火をつけるのが大切です。
一言で何ですかーっと話をするのが大切です。

2.どういう展開か明快か

中途半端支離滅裂はだめです。
スカーッとメリハリをつけます。

接続語や語尾が大事です。
中途半端、メリット親しみだけど
相手の心の中で確かにその通りだな、
とぎくッとします。

そういう言葉ないと上滑りします。
話は分かるけどいいです、自分で考えますとなります。
聞いてる人の問題にならないといけません。

親子の無理心中どうして細かく言うかというと、
あなたはどうでしたか?
似たような経験はほとんどの人です。
おまえもか
幸せわかんないなるほどその通り
相手の胸の中に入れます。

接続語それでどういえば、そこで、一方、順接たくさんあります。

最悪は、だけどね、ばっとマン、とはいえ、
だよねーところでワープ力。

3.最後は一対一の心と心の距離です。
反対されるのが当然です。

やたらと断言するのは愚の骨頂です。
必ず反対されます。
といわれるという人もあるみたいらしいなのだって
最初はこういう言葉が最後です。

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by sakyamuni | 2018-07-20 12:00 | 顕正 | Comments(0)

仏教を伝えることは、私達には今までにない、
素晴らしいご縁ですね。

だけど、
「負けない、逃げない、諦めない」
ということを忘れて。
「負けました、逃げました、諦めましたー。
 顔も見たくないー、内臓に穴開いちゃいました」
どちらも不幸です。

そういうのを乗り越えて苦労を求めていくと
善い種蒔けば善い結果が帰ってきます。

後輩ができると、10人後輩もつ。
そういうのを「お預かりする」という。
どなたから??

阿弥陀如来からお預かりする。
この人のご縁。
手継の、という言葉があります。
その人の手を持って、その人を極楽浄土までお連れします。
その人のご縁、親になった気持ち
どうすればよいか、色々考えます。

子育てならたまごクラブを読んで悩みます。
仏教を伝えるのはたまごクラブもない、色々と悩みます。
踏みつけたくなります。
そこをどうしたらどうしたらと悩むのが自利利他です。
仏教を伝えるのは、自利利他の素晴らしいご縁です。
そういうことをよく知っていてもたらいたい。


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by sakyamuni | 2018-07-09 18:00 | 顕正 | Comments(0)

親鸞聖人は、
是非知らず邪正もわかぬこの身なり
といわれています。

さらに親鸞聖人のお言葉をお弟子が書き残した歎異抄には、
の二つ総じてもって存知せざるなり
とおっしゃっています。

是非もも知らない姿は、
阿弥陀如来の光明に照らし出された実機です。
これが私たちの本当の姿ですよというのが正、
私は正しいこと知っているといっているのが邪です。

そして何も分かっていない自分がすくわれたのは
弥陀の本願あってこそです。
これが正です。
自分で幸せになれるというのが邪です。

正は、そういう実機のを救うという阿弥陀仏の本願です。

これを明らかにするのが仏弟子の使命です。

こういう真実を叫ぶと非難が起きるといわれていますが、
その通りみんな自分が正しいと思っているから非難が起きます。

仏法を伝えようとしたら家族に反対された
一度聞いてみてといったら金集めだといわれた

そのときは根競べです。
いつまで仏教を聞けるか、
仏教を聞くのは、阿弥陀如来のお力によるものですから、
必ず向こうは負ける勝敗は明らかです。
向こうはくたくたになる
しばらくの間のことです。

阿弥陀如来のご念力に勝てるものはありません。
あきらめきれんと諦める
阿弥陀如来の根気に勝てる人いない

悪口受けたくなければ破邪顕正しなければいいのだ
ともいわれた。
非難攻撃の中さけばれたのが親鸞聖人です。


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by sakyamuni | 2018-06-17 12:00 | 顕正 | Comments(0)

仏法者のすべきこと

ブッダは遺言に
「破邪顕正せざるものは仏弟子にあらず」
といわれています。

破邪顕正とは、邪を破り、正をあきらかにする
ということです。

ですが、破邪顕正しようにも何が邪、正かを知らなければなりません。
あいまいなら気が起きないですし、できません。

まず、何がで、何がすべきことなのでしょうか?
あの人は万引きした、
殺人した、あの人のアリバイがある。
これは仏法者の仕事ではありません。

うちの妻は浮気しているのか。
していないか。
スキャンダルを問題にして仰ぐのがマスコミです。
仏法者がすることではありません。

「我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫のみ」
といわれています。
他人をみてあの人間違っているということできません。

ではここで邪とは何か、
邪正とは何かといいますと、
これは世間事ではありません。

真実の仏法をねじ曲げるものが邪で、
真実の仏法が正です。

真実の仏法には、
本当の生きる意味が教えられていますから、
本当の生きる意味を伝えましょう
ということです。



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by sakyamuni | 2018-06-15 13:00 | 顕正 | Comments(0)

自分がすばらしい教えにあわせていただいたとなれば、
自分一人だけで聞かせて頂いてはあまりにももったいない、
それで、縁のある人にお伝えせずにはおれなくなります。

自分が幸せになったら、
人も幸せにせずにおれなくなります。

法を施さずにはおれなくなります。
これは布施の中でも法施です。

言葉をかえれば
顕正せずにはおれなくなります。

一人でも多くの人に仏教をお伝えしたい。
生んでくれた両親、昔の友人、
あの人にもこの人にも、
という気持ちになります。

たまたま、そば屋に入って、
そのそばが今まで食べたことのないような
美味しいそばをたべたら、黙ってはおれなくなります。

「あそこのそばは美味しいよ」
無口な人でもいわずにおれなくなります。

本当に美味しいと思ったら、
人に伝えずにおれなくなります。
顔中口にして言わずにおれなくなります。

家族に反対を受けるから言わないほうがいいと思っても、
本心は言わずにおれないのです。

私たちも仏教の教えを聞かせ頂いて、
聞かせていただいた喜びがあったならば、
人に伝えずにおれなくなります。


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by sakyamuni | 2018-04-20 12:00 | 顕正 | Comments(0)

僧にして、法を壊つ者あるを視ながら、
これを黙視し、更に呵責駆遣せざる者は、
この僧は、これ仏法中の怨なり。
若し、よく駆遣呵責せば、これ我が真仏弟子なり。
(涅槃経)

呵責駆遣とは誤りを打ち破る事。
破邪すること。

あなたは仏法壊して、何をやっているんだ、
ということです。やっつけるということです。

これは仏法を壊す、法を曲げる事が大変な重い罪である、
ということです。
これを謗法罪といいます。

昔、韓国で橋がおちた事件があった。
韓国の町に行くには、この橋を通らなければならない。
そしていつも渋滞する。

これしか通る橋がないのに、これが壊されることになったら、大変な罪。
これが壊れて、たくさんの車が沈んだ。
そして、それ以後渡る事ができない。
その当時の建設大臣とか全部くび。

よく幸せの架け橋、といいますが、
仏教では川のこちら側にいる、私たちの方、これを此岸。
娑婆。穢土。
そしてあちらの岸、それを彼岸、浄土、極楽、
あちらへの架け橋。たった一本の架け橋。
これを通っていったら、すべての人が幸せになれるんだよ、そういうもの。

この橋を通って、救われた人はその橋のあることを伝えずにおれなくなるのです。
本来、僧とはそういうことを伝える人のこと。
靴下に穴があいていたって。

この道を通らなければ幸せになれない、という橋をぶっこわすのですから、
大変な罪なのです。

交通ルールを守らない人、破る人、これは必ずひどい目にあう、
恐ろしい結果になる。
この交通ルールのことを交通法規、といいます。
真実の仏法、この法を破る、というのは恐ろしい目にあう。

そういう人があるのに、黙ってみている奴がおるか、駄目じゃないか、
そんな所に爆弾をしかけて。
わたれなくなっちゃうじゃないか。
と破る、やっつける、これが仏法者の使命だぞ、黙ってみている、
にんまりしている、とか。
遠くの方から眺めて酒飲んでいるとか、とんでもない話だぞ、
こういうことを教えられたお言葉なのです。

ことわざにも、ネロのごとき暴君なり、という言葉がある。
民衆に火をつけて、よく燃えるわい、といって酒を飲んでいた、
と言われる人なのです。
本来は国民の生命と財産を守るのが使命なのに。

この橋を守って、一人でも多くの人を渡そうとしなければならないのに、
壊すのはもっての外、また何もしないものは考えられない。
破ってやっつけなければならないということなのです。
呵も責もせめる、と言う意味。誤りを破る、ということですね。

最近はどちらかというと穏やか、けんかしない、つかれるのはいや、
こういうような風潮がある。

逆に誰かを責める、やっつけるというところにはタッチしたくない。
そういう傾向があるのじゃないの。

ハワイのアロハの心って知っていますか?
アロハ、これはこんにちはだけじゃない、さようなら、
とか愛しているとかいろんな意味があるのです。
ハワイは人種のるつぼ。いろんな人が移民している。
それらの人が共通して持っているのが、
他の人たちの持っている考え方を否定してはならない、
そして、他の人の宗教を否定してはならない、
ということなのです。

気楽に行け、肩肘はるな、となる。
人の事を悪くいう、その時点で、どんなに立派なことを持っていても、だめな人、
となってしまうのです。

どちらかというと日本もそう。
倫理道徳上からいうと仲良くしよう、
人のことを悪く言ったらよくない、そういうこと大事。

仏法を説かれたお釈迦様は、法を壊すものがあったら、
それを黙って見ている人があったら、大変だぞ、
全人類の一大事、
未来ずっと沈む身になってしまうのか。
全人類の浮沈がかかっている。
すべての人達にその幸せの架け橋を伝えなければならないのに、黙ってみている、
それは仏弟子ではない、と言われているのです。
その根本にあるのは、仏様の大慈悲心なのです。
苦を抜くを慈という、楽を与うるを悲という、と言われて抜苦与楽。
自分だけ救われればいい、というような思いではだめ、
みんなにわたってもらわなければならない、という御心なのです。
そういう意味で邪を破れ、ということなのです。


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by sakyamuni | 2017-08-13 12:00 | 顕正 | Comments(0)

「かの吉水の  一流は」

法然上人初め阿弥陀仏の本願教えられた
吉水の一流とは阿弥陀仏の本願も

「時機相応の  法なれば」

時機相応、今日末法では弥陀の本願以外助かる道はない。
末法の極重の悪人が救われのが弥陀の本願、
それで多くの人が吉水に集まる。

「そねみのあらし ふきおこり」

そうなると、そねみ、ねたみ、嵐が吹き起こってきた。
これはいつの時代でもある。
高木は風にねたまれる、出る杭はうたれる。

あなたもいつも一番出る杭、たたかれるでしょ?

いつの時代でどんなに素晴らしい人といわれても非難する人はいる。
みなにて誹る人も成し みなにてほむるひともなし 法句経

全ての人から称讃される、非難されることもない
多くの人が集まるとねたみの嵐が起こった。
これは仏法以外でもそう。
  
お釈迦さまでもそう、当時の印度、三分の一しか信じてない、
のこり三分の一は無関心、
残り三分の一は疑惑のまなざしで見ていた
聖徳太子に守屋ともいう

「三十五歳の  おん時に」

このとき法然上人は何歳か→七十五歳、
丁度親鸞聖人と四十歳離れていた

「南北僧の  ざん奏に」

南僧とは奈良、北僧は京都、の坊主ども、
親鸞聖人は仏教のイロハ、ブの字も知らない者と攻撃、

歎異抄には 

「ゆゆしき学匠達、多くおわせられてそうらえば」

しかし歎異抄をそのまま解釈する学者がいる
親鸞聖人はそこに行かれるようにすすめられたと解釈そうでない、
これは大変な皮肉。
南北僧が天皇にあることないこと告げ口した

「評議は不利に  落いりて住蓮安楽  
 両人は第一死刑を おこなわる」

住蓮、安楽房、どっちがいい男だったでしょう、
どっちもいい男だったんです。
特に安楽はハンサムで凄くいい男、
住蓮房はごっつい方、凄い雄弁家、
大変な情熱家だった。
その二人が松虫鈴虫を深夜に寺に入れたということで
誤解されて死刑になる。

首をはなられたときはねられた後も念仏を称えていた、
三日三晩念仏の声がこだましたといわれる。
親鸞聖人は死刑と、法然上人は歳だからということで流刑に。
親鸞はまだ若い、これからどんなことをしでかすかわからないと
殺さなければならないと死刑、法然上人は流刑になった。

最初はお供しますといっていた法然上人のお弟子も
手のひら返すように裏切っていった、
いかに親鸞聖人が厳しく一向専念無量寿仏説いておられたかが判る。



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by sakyamuni | 2017-07-07 12:00 | 顕正 | Comments(0)