ブッダさとりを開かれるとき、前人未踏の修行をされたと言われます。
いろんな先生のもとを探されるが正しい先生がいませんでした。
「いずれも私を満足させてくれる先生はなかった」

そして先生を持たずに自らさとりを開こうとされます。
大変な修行をされます。
地球上で未だかつてこれほど厳しい修行をした者は
私以外にないだろうと言われています。

こう言われる前人未踏の修行をなされるんです。
決死の覚悟でご修行をなされます。
そしてやがて菩提樹のもとで仏のさとりを開かれます。

こういう覚悟で臨まれたと伝えられています。
「正覚を成ぜずんばこの場を立たず」
正覚とは仏のさとりです。
命がけの覚悟です。

この場で仏のさとりを開かなければこの場を立たないと臨まれ、
そして遂に仏のさとりを開かれています。

私たちならこの一回の聴聞で信心決定するぞという思いで
仏教講座に臨ませていただくのです。

法然上人もそうですから、
報恩蔵の蔵の中で心の闇が晴れるまでは出ないぞという思いで取り組まれました。
信心決定する人はそういう覚悟で臨まれるのだから、
私たちも信心決定するまではこの場を立たずという思いで臨ませていただくのです。

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by sakyamuni | 2018-07-11 12:00 | 聞法 | Comments(0)

仏教は、疑ってでも謗ってでもいいから、
聞きなさいと言われています。

浄土真宗を開かれた親鸞聖人が
関東の稲田におられた頃、
弁円という山伏は、疑う謗るどころか、
刀を振りかざして殺しに来ました。

それというのも、
弁円の弟子に弁長という人がいます。

弁円から、親鸞聖人のところへいって様子を見てこい、
と言われて、親鸞聖人の浄土真宗の法話に変装して聞きに行きました。

最初は、聞こうと思っていなかったのですが、
聞いているうちに、うんうんなるほど、
と聞くようになりました。

そして最後には、弁円の弟子を引き連れて、
親鸞聖人の元へ行ってお弟子になってしまいます。

最初は、おかしなところがあったら
弁円のところへ行って報告しようと思っていたのです。

ところが、聞かせていただくうちに、変わっていきました。

誰しも最初は、矛盾があったら追及してやろうと思っていたかもしれません。
ところが、聞いているうちに、
そうだなあ、ということで知らされてきます。

そのため弁円自身も、
疑うどころか、報復のために
親鸞聖人を殺しに来ています。

ところが、親鸞聖人を見ただけで、
自分が間違っていたとわかり、
明法房と生まれ変わりました。

これは、親鸞聖人に近づいていったから、
生まれ変わることができたのです。


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by sakyamuni | 2018-04-18 12:00 | 聞法 | Comments(0)

御一代記聞書(137)に蓮如上人は、
談合が大切と教えられています。

「一句一言を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり。
ただよく聞き、心中の通りを同行に会い談合すべきことなり」

談合とは、信心の沙汰のことです。

そして、この「談合が大切」のもう少し後に、
「同行・善知識に近づくべし」とあります。

「同行・善知識にはよくよく近づくべし。
『親近せざるは雑修の失なり』と『礼讃』にあらわせり。
悪しき者に近づけば、それには馴れじと思えども、悪事よりよりにあり。
ただ仏法者には馴れ近づくべき」由仰せられ候。
俗典にいわく、「人の善は近づき習うによる」と。
また「その人を知らんと思わぱ、その友を見よ」といえり。
「善人の敵とはなるとも、悪人を友とするなかれ」という事あり。
(御一代記聞書150)

同行というのは、同じ道をともに行く人です。
極楽へ、極楽へと行く人です。法の友達、法友です。

談合しようにも、相手がいなければできません。
共に極楽へ往きましょうという法の友達に近づいて、
信心の沙汰をしようということです。

そのためには、まず正しい信心とは何かを聞かなければわかりません。
善知識というのは、正しい信心を伝えて下さる人のことです。
そういう、善知識や同行によくよく近づきなさい、と言われています。


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by sakyamuni | 2018-04-17 12:05 | 聞法 | Comments(0)

浄土真宗を日本全国に伝えられた
蓮如上人の言行録にこのようなお言葉があります。

「一句一言を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり。
 ただよく聞き、心中の通りを同行に会い談合すべきことなり」
(『御一代記聞書』137)

この「得手に法を聞く
ということがよくわかる
こんな話があります。

乙姫がガラス玉を持ってきて、
この玉の色を見分けたら褒美をあげよう、
と言いました。

青い魚は、「その玉は青いよ」
赤い鯛は「その玉は赤いよ」
クラゲは「透明だよ」
と言いました。

乙姫は「この玉は無色です」
と言いました。

玉は無色なのにみんな違う色を答えました。
その魚の色が玉に映って見えただけです。

ちょうどそのように私たちが仏教を聞いたときでも、
自分の色眼鏡を通して仏法を聞いてしまいます。

自分の都合の良いように法を聞いてしまうのです。

そんな聞き方ではいけませんよ
と蓮如上人はいわれているのです。
だから、他の人と、どう聞いたかをよく
話合わなければなりません。



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by sakyamuni | 2018-04-16 18:00 | 聞法 | Comments(0)

阿弥陀如来は48のお約束をなされています。
これを阿弥陀仏の四十八願といいます。

その中でも、18願が阿弥陀仏の本心です。

たとえていえば、
18願は、阿弥陀仏はどんな世界に導くのかという目的です。
ねらい、本心をまず言われたのです。
これを誓われたのが18願です。

そしてどのようにして救おうかと
19・20願を建てられたのです。
阿弥陀仏が遠大無類の計画を立てられました。

2階に上ってきれいな景色を見させる、
その為にははしご、階段を付けなければなりません。

阿弥陀仏は全人類を18願の世界まで導く為に
19・20願の遠大無類の計画を建てられたのです。


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by sakyamuni | 2018-03-21 20:31 | 聞法 | Comments(0)

智慧と慈悲とに導かれ

本年も 智慧と慈悲とに 導かれ
  法灯かかげ みてらん火をも

昨年もそうですが、私たちは阿弥陀如来智慧と慈悲に導かれて。
その阿弥陀如来の御心を知らせていただきます。

智恵と慈悲に導かれて
です。

智慧と慈悲が渾然一体となったのが
南無阿弥陀仏です。

それを私たちは体得させていただくのです。

今年も厳しさと優しさ。
厳しさだけではだめ。
智慧の裏には慈悲がなければなりません。

その智慧と慈悲に導かれて決勝点まで進ませていただきます。
「法灯かかげ」とは、
無明長夜の灯炬が阿弥陀仏の本願です。

阿弥陀仏の本願だけが
私たちの苦悩の根元を破る力があります。

灯炬は灯火、その法灯かかげて私たちは進んでいきます。

人に伝えるときはそうです。
自ら求めるときは満てらん火をも過ぎゆきてです。
大宇宙に火が充満していても火中を突破して聞くのです。

説くものも求めるものも命懸けでなければなりません。
決意を新たにしなければなりません。
大宇宙が火の海原で満ちていても
今年こそは聞かせていただきましょう。


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by sakyamuni | 2018-03-03 12:00 | 聞法 | Comments(0)

除夜の鐘 聞き終わりけり 出陣だ

除夜の鐘が鳴り終わったと同時に出陣だ。
求道は戦いです。
自力と他力の戦いなのです。

闘いという言葉は求道において、適切な言葉です。
正に斬るか斬られるかの闘いが
仏教講座の聞法の場です。

あなたが座っているところが外陣、
お仏壇が内陣と言います。

私たちも光に向かうときは闘い、
命懸けと言うことです。
後生の一大事の解決成し遂げようとするなら
命懸けで取り組まなければなりません。


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by sakyamuni | 2018-03-02 12:00 | 聞法 | Comments(0)