カテゴリ:どうしたら助かる?( 32 )

浄土真宗を最も正確に、多くの人に伝えられた
蓮如上人は、このように教えられています。

遠きは近き道理、近きは遠き道理なり。
灯台もと暗しとて仏法を不断聴聞申す身は、御用を厚く蒙りて、
「いつものこと」と思い、法義におろそかなり。
遠く候人は、仏法を聞きたく、大切に求むる心あるなり。
仏法は大切に求むるより聞くものなり。
(御一代記聞書129)

まず、「遠きは、近き道理。近きは、遠き道理なり」です。
遠いとか近いというのは、最初の方は、
その一座の仏教講座を聴聞する時に乗り越えた苦労の大きさ、
払った代償の大きさです。
そういう苦労のないぞという人が近い人です。

1分1秒時間を仕事しなければならないのに、
それをなんとか何とか乗り越えて求めます。

親鸞聖人の時代の平太郎さんも
お金も時間も有り余っていたわけではなくて、
私達よりも大変ななか、お金のないなか、
血のにじむような思いをして茨城から京都まで
聞法に行かれました。

そういう苦労もなく仏法聞いてきる人は、
近い人と言われて、
そういう苦労を乗り越えた人が、遠い人。

後の遠い、近いというのは、
救われるのに遠いとか近い
ということです。

ここで蓮如上人は、
大切に求めようと言う心の事を
言われています。

そういう苦労を乗り越えた人は、
大切に求めずにおれないんですね。

ですから、蓮如上人は、足できけといわれて、
仏教講座に足を運ぶのに、
乗り越えた苦労がおおければ多いほどいいんですよ。
大切に聞かせていただけるから。

しかし、残念なことに遠くにいて遠い人いますよ。
まず、代償を払った、苦労した、遠くまで聞きにいった、
お金ないなか求めた、時間ないなかそうすれば、
オートマチックに真剣に聞けるかというと、
そうでなく、遠くにいて遠い人になってしまいます。

一見大変そうでも、その人にとって
実は余りそうでなければ、大切に求める心
起きてこない。

あくまでも仏教は、心がけが大切なんです。
そのなかなか変わらん心を変えさせて頂くために
苦労させて頂いても
また、そこで心がけを変えようとせねば、
無駄になってしまいます。

どんな苦難も乗り越えて
仏教講座に足を運び、
真剣に聞かせて頂きましょう。


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by sakyamuni | 2018-06-04 12:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)

日本で最も読まれている仏教の本歎異抄には、
本当の生きる意味は、無碍の一道へ出ることだと
教えられています。

ではどうすれば無碍の一道に出れるのでしょうか。

「念仏を称えたら救われると教えられたのが親鸞聖人だ」
と教科書に書かれているものもありますが、
間違いです。

親鸞聖人の言葉が書き記されている歎異抄には
摂取不捨の利益にあづかるのは
どういう時だと教えておられますか。

「念仏申さん」と思いたつ心の発るとき、
すなはち摂取不捨の利益にあづけしめ給うなり。

念仏称えようという心の起こる時と言われています。
「すなはち」その時、同時にということです。

念仏を称えようという心の起こる時ですから、
心の問題です。

心で称えようと思って、
それから心が体に命じるのです。
ですから念仏を称える前です。

歎異抄にこんなにハッキリと教えられているのに、
どうしてそんなことになるのか。

無碍の一道へ出た体験がなければ
歎異抄を読んでいても分からないのです。

無碍の一道へ出ることが、
本当の生きる意味です。


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by sakyamuni | 2018-05-31 13:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)

親鸞聖人の教えは廃立です。
本当の幸せになるには廃立しなければなりません。

だから親鸞聖人は、
御遺言鈔に
当流は廃立肝要なり
といわれています。

覚如上人は
真宗に於ては、いくたびも廃立をさきとせり
いわれています。

これは信心決定する最も大切なことです。

廃立というのは、
廃はすてもの、
立はひろいものです。

それを信じておっては絶対に助からないから、捨てよ。

これが正しいものだからたてよ、
信じなさいという厳しい教えなんですね。


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by sakyamuni | 2018-03-28 18:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)

阿弥陀仏のは、すべての人を救うとお約束されています。
どのように救うのかということを、
ブッダは、その名号を聞いて救われると
教えられています。

私達が助かるのは名号によって助かるのだということです。
したがって所信の体は名号となります。

そのため、本尊は、名号となります。
これは非常に大事なことです。

私達が根本に尊ぶべきものが名号なのは
名号によって助かるからです。

蓮如上人は本尊について
「木像よりも絵像よりも名号」
といわれて
名号本尊を明らかにされています。


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by sakyamuni | 2018-03-19 18:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)

仏教の真髄の出所

真宗の肝要であり淵源である一念はどこから来ているかというと、
ブッダの説かれた本願成就文です。

そしてそれを親鸞聖人が明らかにされた
信一念釈です。

蓮如上人は御文章に65回も「一念」と言われ、
祖師聖人御相伝一流の肝要は、ただこの信心一に限れり
(御文章2帖目3通)
と言われています。

「信心」とは「一念」だから、
これを知るのが真宗のしるしですよ
と明らかにされています。

これは親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人によって
脈々と説き続けられている真宗の肝要であり、
仏教の真髄です。

それを今説かれているのはこの仏教講座以外にはないです。

そこで本当の仏教を聞かせていただき、
一刻もはやく信心決定の一念の世界まで出させて頂けるよう
聞法精進いたしましょう。




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by sakyamuni | 2018-01-20 12:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)

仏教の真髄の出所

真宗の肝要であり淵源である一念はどこから来ているかというと、
ブッダの説かれた本願成就文です。

そしてそれを親鸞聖人が明らかにされた
信一念釈です。

蓮如上人は御文章に65回も「一念」と言われ、
祖師聖人御相伝一流の肝要は、ただこの信心一に限れり
(御文章2帖目3通)
と言われています。

「信心」とは「一念」だから、
これを知るのが真宗のしるしですよ
と明らかにされています。

これは親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人によって
脈々と説き続けられている真宗の肝要であり、
仏教の真髄です。

それを今説かれているのはこの仏教講座以外にはないです。

そこで本当の仏教を聞かせていただき、
一刻もはやく信心決定の一念の世界まで出させて頂けるよう
聞法精進いたしましょう。




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by sakyamuni | 2018-01-20 12:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)

親鸞聖人は、どんなものでも信じていたらいいというものではないぞ。
間違ったものは私達を幸せにすることはないから、捨てよ。
本当に私達を幸せにする。
本当に私達を救う力のあるものを信じなさいと教えられています。
こういうもので貫かれた親鸞聖人のみ教えを、
廃立法門といいます。

このように廃立が大事だぞと教えられています。

当流は廃立肝要なり。
(御遺言鈔)

真宗の門においては幾度も廃立を先とせり。
(改邪鈔)

親鸞聖人の教行信証は、徹底的に廃立で貫かれた、
三通りの廃立が教えられている教え、
三重廃立が教えられているんです。

これは、世界中の色々な宗教を三つにわけられて、
これは間違っているから捨てよ。
これは正しいからたてよと。
私達が何を信じたら本当の幸せになれるのか。
間違ったものを信じていたら絶対に助からないぞ
とこういうことなんですね。




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by sakyamuni | 2017-12-25 12:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)

救われていない人の欠点

仏教の先生はとにかく近づくことが大事だと教えられている。
近づくことが大事だと教えられた浄土真宗の蓮如上人のお言葉があります。

「同行・善知識にはよくよく近づくべし。
『親近せざるは雑修の失なり』と『礼讃』にあらわせり」
(御一代記聞書150)

仏教の先生方は、近づくことが大事だと教えておられる。
善知識・同行には近づきなさい。
善知識とは真実を伝えて下される方です。
同行とは共に真実を求める人。
近づかないのは雑修の失、助からない人の欠点。
これは、中国の善導大師が往生礼讃に教えられていることです。

まず近づきなさい。
それにはまず仏教講座に足を運びましょう。

近づいて謗る人はどうしましょう。
弁円も日野左右衛門のそうでした。
すーと信じる人もいる、そうでない疑ったり謗ったりする人もいます。

そういう人に親鸞聖人は数珠一連をもたれて済度されました。
私たちも、真実知らない人に笑顔で話をしましょう。
濁った水しか知らない人に、清らかな水のあることを。
自分だけ聞いておればというのでは勿体ないことです。

・ハイデッカーの日記に
「東洋の聖者親鸞を知った。もし十年前に知ったギリシア語もラテン語も
勉強しなかった。日本語を学び、親鸞聖人の教えを世界中に広めることを
生き甲斐としたであろう。だが遅かった。
日本から私の元に勉強しに来ている人がいるのに、なぜ彼らは
親鸞聖人のことを教えてくれないのだろう。私をして言わしめれば
立派な建物も美術品もいらないから、親鸞聖人のみ教えを宣伝してもらいたい」
親鸞聖人の教えのすばらしさが分かったからハイデッカーもこんな言葉を残しています。

死んでいくときには何も持っていけません。
死ぬとなっても壊れない明るい未来を求められた親鸞聖人が、ここに答えがあると教えられました。
その教えを聞かせて頂いた私たちが、伝えなければ。
私たちが伝えねば聞けない人がいます。
その人にふれたら、真実の薫りのする光る人になってもらいたいと思います。

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by sakyamuni | 2017-12-16 12:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)

真実の仏教とは

仏教には七千余巻の膨大な一切経があります。
一切経は分類整理されて、その中で唯一の真実は何か、
現代までにすでに分かっています。

これが真実と言えば、なんでそうなるのかと聞く人がいる。
子供は何でも「何で何で」と聞きます。

それを親鸞聖人がいろいろ聞く人のことを考えられ、
こうだからですよと書かれているのが主著の『教行信証』6巻です。

いろんな宗教を分類され、信ずべきものと捨てるべきものを教えられました。
教行信証は本当の信ずべきものを教えられたものです。
その教行信証の真髄を教えられたのが正信偈です。
ブッダの一切経を凝縮され教えられています。

では、教行信証で何が教えられているか。
一言で言うと「三重廃立」です。
「三重対弁」ともいいます。

「三重」とは3通りの、
「廃」とは捨てるべき、
「立」とは信ずべきもの。
すべての宗教を3通りに分けられ、教えれおられます。


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by sakyamuni | 2017-12-15 12:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)

極楽の門の扉は何であく
南無阿弥陀仏の声の一声

極楽の門の扉、これは信心決定のこと。
信心決定した人だけが、極楽往生できるから。
どうしたら往生できるのか、それは阿弥陀如来より給わる南無阿弥陀仏によるしかありません。
そのまま救うぞ、そのまま来い、落としはせぬぞ。
そのまま来い、落としはせぬぞ、
これが南無阿弥陀仏です。
教行信証に本願招喚の勅命と言われています。
声なき声がわれわれの五臓六腑を貫きます。
弥陀の呼び声一つ、聞くために私たちは生まれてきたので人生は聴聞なり。
聞法のための勉強であり、仕事です。
聞法のための衣食住、遊びです。
全ては聞法のためにあります。
だから人生は聴聞なり。

この呼び声を聞くために生まれてきたのです。
阿弥陀仏は十劫以来呼びづくめ叫びづくめです。
久遠の昔から久遠の呼び声を聞かせていただきます。
それは言葉では表現できないから、声なき声です。

聞くというのは私たちが思っている聞くと言うことに近いのでしょうか。
それとも聞くそのものなのでしょうか。
そんな疑問が起きませんか?

答えはどちらでもありません。
でも聞けば分かります。
これも表現できません。
私たちが思っている聞くではありません。
しかし表現できないから、聴聞の聞。
聞くに極まる。
親鸞聖人は言うだけ言って、説くだけ説いて、
最後は言うことも説くことも、想像もできない、
不可称不可説不可思議とおっしゃっています。


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by sakyamuni | 2017-12-09 12:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)