浄土真宗の報恩講とは

報恩講というのは浄土真宗では最も大切な行事です。
親鸞聖人の御恩を知り感じその御恩にお応えする。

 11月28日のご命日を勝縁として努められるご縁です。
親鸞聖人は私達に90年の 御生涯なにを望んで叫ばれたのか。
祖師は紙衣の90年と言われるが、
これ一つ訴えて いかれたのが皆々信心決定あれかし、
このこと一つです。

 今言ったのは蓮如上人の御遺言ですが
それはそのまま親鸞聖人の90年のご生涯の熱 い熱いお叫びなんです。
ですから、親鸞聖人の御恩に報いると言うことは
親鸞聖人が最も私達に望まれたこと、信心決定させて頂く、
これが報恩講の最も大切な目的なんですね。

それで昔から、報恩講に信を獲れと。
信を獲れと言うのは、信心獲得。
それが親鸞聖人 の御恩に報いることになるんだ。
信心決定信心獲得してこそ本当の報恩講なんだ。
このことがですね、絶対に忘れてはならない原点です。


[PR]
by sakyamuni | 2017-07-25 12:00 | 浄土真宗 | Comments(0)

二心とは?

阿弥陀仏の本願を疑う心を疑情と言う。
阿弥陀仏の本願を疑っているということは、
阿弥陀仏の本願にまだ一向専念になっていない。
心が一つに向いていない。一つになっていない。
一向専念になっていない。

花子さんが年頃になった。
お母さんが花子さんを呼んだ。
お前ももう年頃だ。
二人のいい人から縁談が来た。
一人はクリントン、もう一人はプーチン。
クリントンはいい男だ。だが金がない。
ハンサムでいい男だが貧乏だ。
雨漏りするところに住んでいる。

もう一人のプーチンは、金持ちだ。
だけれどもこのプーチンはひどいブ男だ。
これが写真だ。ひどい。
ところが金は持っている。

花子、お母さん向こう向いているから、
クリントンが良いなら右肩の着物を脱げ。
プーチンが良いなら左の着物を脱ぎなさい。
そうしたら、花子さんは両方の服を脱いだ。
花子、どちらか一人にしなさい、というが、
昼は金持ちが良いし、夜だけいい男のところに通いたい。
一つに定まらない。

阿弥陀仏がよいが、お釈迦様も、菩薩も、あの神も捨てがたい。
阿弥陀仏一仏に定まっていない。
これが二心イコール疑情。

蓮如上人は「二心なく一心一向に弥陀たのめ」
と言われている。
一心イコール専念。
一心一向イコール一向専念。


[PR]
by sakyamuni | 2017-07-02 12:00 | 浄土真宗 | Comments(0)

信心決定するコツ

一つ重要な事 
親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人のお三方の安心は一味 
それと異なった安心が異安心。
信心獲得急ぎなさいよといわれると、
信心獲得急がねばならんと言う人が増えてくる 
だが人生の目的だからそんなに簡単にいかない 
焦り 危険なわな 
人工信心 土蔵秘事 それに類するもの 
他力の信心とは雲泥の差 
溺れるものはわらをもすがる

善鸞という男が発祥 
日蓮が非難攻撃してくる 
みんなが善鸞を頼ってくる 
まじめな信者さんほど頼ってくる 
ついつい一時的な安心を与えようとしてしまう 
それが金儲けになる 
秘密の法門があるといいだした 
邪義、邪な教え 
義別されるほど 
その教えの本体は人工信心

オウムのイニシエーション 薬物、ドラッグ 
「どうだ、光が見えたろう」
そりゃあ見えるだろう 
土蔵秘事は薬物ではないが、体をたたいたり、言葉で攻め立てたり 
善知識といわれる、本当は悪知識ですが、そういう連中が信心を認可する 
人が作って与える信心だから

「それでよいといわれて獲信したつもり」
「お念仏申すしかない、腹のそこから唱えなさい」
「よかった、よかった」
「後からジワジワーッとわかってくるようになりました」

「〝当流には捨て物と拾い物が…〟」
廃立肝要なんだから当たり前 
この人何にも知らない 
「落ちるという体験をしたわけであります」こんな程度 
大事な書類落とした、彼女に振られた、おちる体験 
それと大差ない

「真仮を知らぬ 定散自力の信心」
彼らの主な特徴 人工信心 
号泣しなければならない 
信心決定した人はいつも初ごと初ごと
「裸で踊ったのが獲信」 
一念の体験でない 
「一念というは、信楽開発の時尅の極促を顕す」
人に聞かなきゃ分らん信心ではない 

2帖目14通「秘事法門」
「それ越前の国にひろまるところの秘事法門といえることは、更に仏法にてはなし。
 あさましき外道の法なり。これを信ずる者は、永く無間地獄に沈むべき業にて徒事なり」
全くこれは仏法ではない 
これを信ずる者は、永く無間地獄に沈むべき業にて徒事なり」大変ですよ
蓮如上人が信心決定した人と信心決定してない人がいると叫ばれると、
はやく信心決定したいと言う人が増える 
真面目な人が騙されやすい 
十劫安心と土蔵秘事、両極端の異安心

他力信心を教えてくれる善知識は少ない。
親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人と同じ一味の信心を獲得する。


[PR]
by sakyamuni | 2017-06-30 19:12 | 浄土真宗 | Comments(0)


善導大師一人仏の正意を明らかにされた。
もう一つ問題になっていたのは南無阿弥陀仏の解釈です。

これを同じ時代の人たちは、唯願無行と言っていた。
願はあっても行はない。

韋提希が51段目まで出たと書かれていて、
南無阿弥陀仏と称えなさいと書かれているが、それは別時意趣。
一日一円ずつためていけば億万長者になれるぞ。がんばれ。というようなもの。
よく考えて見ればどれくらいの時間がかかるか判らないが、それは言わずに、頑張れという。
この南無阿弥陀仏は別時意趣だといった。それは遠生の結縁になるといった。
遠生の結縁というのは、長い間たっていつか仏になれるということ。
それに対し善導大師は願行具足の南無阿弥陀仏だといった。

ここで大事なのは、天台・浄影・嘉祥が見ている人間観と、
善導大師が見ておられる人間観が違うということ。

天台・浄影・嘉祥は願ぐらいはある。
阿弥陀仏の極楽浄土に往きたいという心ぐらいはある。
そういう清らかな心ぐらいはあるというのが願。
それに対して善導大師は、それさえないと観た。そこが違う。
聖道仏教で登っていくのは、願ぐらいはあると思っているから。
これは天台・浄影・嘉祥だけじゃなくて、浄土真宗以外の全宗教はそう。
よく信心しなさいと言うが。そういうこと。

ある夫婦が、子供が7人いて、これ以上授かると困るとおもっていた。と
ころが授かってしまい、しかし産婆さんを呼ぶ金もなかった。奥さんは
産婆さんも呼べずにうんうん唸っていた。見るに見かねた夫が金比羅に、
もしうまくうちのかかぁが産むことができたら銅の鳥居を寄進します。
といった。すると奥さんが、どこにそんな金あんの。といった。ところ
が夫が、うるさいだまってろ、俺が金比羅だましている間に早くうんじ
まえといったという話がある。

私たち何か信じていると言ってもこの程度。清らかな心なんていない。
韋提希夫人はものすごいことをしていたが、私たちも同じ。

以前こんな事があった。
アメリカのオハイオ州で子供の授からない女性がいた。
主人には妊娠したと言う。
そして臨月近くなると、臨月の近い女性に近づき、
二人きりの時にその女性を殺して、腹から胎児を取り出して、
自分の子供だといっていた。警察がいったがしらを切っていた。
しかし、その女性は自殺してしまった。
そしてガレージの下から殺された女性が見つかったという。
韋提希夫人だけでなくて、私たちも縁さえ来ればそういうことをやる。
子供欲しさに人を殺す。そんな私に何かを信じる清らかな心などない。
善導大師は願も行も阿弥陀仏の願と行だといった。
古今楷定の六字釈という。妙釈ともいう。
今までの間違っていた解釈を正しく解釈された。

「南無」と言うは、即ち是れ帰命なり。亦是れ発願廻向の義なり。
「阿弥陀仏」と言うは即ち是れ其の行なり。
斯の義を以ての故に、必ず往生することを得。 (玄義分)

蓮如上人の御文章では5帖目13通

「南無阿弥陀仏」と申す文字はその数わずかに六字
なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、
この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の
広大なること、更にその極まりなきものなり。 (御文章五帖)

そんな功能があるとも思えない。功能というのはパワー。
幸福にする働き。功は功徳の功。宝ということ。
能というのはお力。大宇宙の万善万行がおさまった、ものすごいお力。
無上というのは最高。無限ともいわれる。
甚深、深さの知れない利益。

利というのは施す。益というのは幸せ。
言葉を尽くして仰有っておられる。言葉の限りを尽くしておられる。
この後に善導大師の古今楷定の六字釈が書かれている。
南無というのは機。それは帰命。阿弥陀仏を信じるこころ。
これは発願回向。
これは阿弥陀仏が願を発して与えて下された。ということです。
信じる心も造って下された。ということ。
阿弥陀仏というのはその行。これは帰命する者を助ける力。法ですね。
南無というのは信じる心、機。阿弥陀仏というのは法。
信じる心、助ける力。
信じる心も造って下されて、そして信じる心を与えて助けてくれる。
願行具足している。
だから韋提希夫人のような人でもこの阿弥陀仏の願と行が具足して助かる。
阿弥陀仏が信じる心も造って下されて、助けて下さる。
その後に詳しく書いてある。

で、善導大師は阿弥陀仏の本願にすくい取られてハッキリと体験で知らされた。
体験しての経典を読まれて書かれた観無量寿経疏。
天台・浄影・嘉祥は歯が立たなかった。
これが南無阿弥陀仏。



[PR]
by sakyamuni | 2017-06-23 12:00 | 浄土真宗 | Comments(0)