虚無感の根元である心の闇は、
後生暗い心とも言います。

後生とは死後のことです。

暗いというのは、よく分からない、ハッキリしないことをいいます。
科学に暗い、政治に暗い、パソコンに暗い
という言い方をしますが、
科学についてよく知らないことを
科学に暗いといいます。

後生暗い心とは、死んだらどうなるのか
ハッキリしない心のことです。
死後の世界はあるのか、無いのか。

無いなら無いでハッキリすれば不安はないのですが、
どちらもハッキリしません。

死んだ後なんか無いよと言っていながら、
親しい人が亡くなると冥福を祈るといいます。

冥福とは冥土の幸福ということです。
冥土とは死んだ後の世界のことですから、
死後を認めていないと出てこない言葉です。

また、慰霊祭というのがありますが、
死んだあと霊魂が残ると思っているのです。

死んだ後、何もなくなってしまうとは思えないのです。
その後生暗い心をぶち破って下されるのが
慧日、智慧の太陽です。

これを浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人は、
「無明の闇を破する慧日」
といわれています。

それは太陽が一つしかないように、
たった一つです。


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by sakyamuni | 2018-05-28 12:00 | 無常 | Comments(0)

人生は儚い邯鄲の夢

「人間はただ電光・朝露の夢幻のごとくなり」

蓮如上人が御文章で言われています。
1帖目11通。

電光」とは稲妻、稲光のことです。
ほんの一瞬です。速いです。

あの人は90才、100才といっても、
その人の人生はあっという間なんだと。

朝露」もあっという間に消えてしまいます。
儚いのです。儚い代名詞です。

私たちの一生涯、思い通りにいったとしても、
邯鄲の夢のようにあっという間に消えて行くものが
私たちの一生なんですね。

夢の中で宝くじ1億円あたったとします。
目が覚めてしまえばもう何にもありません。

それが私たちの一生涯なのだと。
無常の風、それが吹くと
どんな人でもばたばたばたと死んでしまうのです。
いつ死んでいかねばならないか分からないのです。

今死んでいかなければならないとなった時、
これは自分の体だ、とか
自分の家族だとか、
自分の金だといったも、
全部おいていかねばならないのです。

もし、今日死んだら、
この体が3日後には灰となってしまうんです。


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by sakyamuni | 2018-04-25 12:00 | 無常 | Comments(0)

仏教についてわかりやすく解説している
長南瑞生氏という人がいます。

今度、KADOKAWAから新刊を出すそうで、
ネット上でも話題になっています。



『不安が消えるたったひとつの方法』の目次も公開されていますが、
仏教のかなりつっこんだ内容になるようです。

変な仏教学者よりも、
長南瑞生氏のほうが、
仏教について伝統的で正確です。

「仏教ではこう教えられていると思う」
ということではなく、
根拠があるオーラがあります。

しかもわかりやすく学べます。

仏教離れが進む現代では、
仏教の流れが変わっていくといいですね。

3月15日に発売だそうですが、
期待の新刊です。




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by sakyamuni | 2018-03-06 12:00 | 無常 | Comments(0)

寝ても覚めても忘れてはならないのは
後生の一大事の解決です。

後生の一大事とは、
死後の世界にある一大事です。

仏法は後生の一大事に始まり
後生の一大事の解決で終わります。

この後生の一大事、寝ても覚めても
忘れてはなりません。

今晩死んだら
常に我が身の無常を問いつめて
仏法を聞かねばなりません。

この無常と罪悪、
因果応報、これらは厳粛な事実ですから、
あなたの都合で驚く驚かないは、関係ありません。

昔こんな歌を作った人があった。

とりつめて聞く気もあらぬ身なれども
無常の風は急げとぞ吹く

こう歌った人がありますね。
後生、無常を問いつめて聞かねばならないのが
仏法ですがなかなか聞きません。

なかなか驚かない鈍感な自分だが、
驚く驚かない関係なく無常の風は
急げと吹いています。

今度は自分の晩ですよ。
風はやんでも吹雪はやんでも、
無常の風は止みませんから。

無常を風に喩えているのは
風は目に見えないもので、
突然襲ってくるからです。

元気なのも全然当てにはなりません。

ある人がくも膜下出血で亡くなりました。

昨晩までは何ともない状態だったのが、
翌朝頭ががんがん痛いといわれたのが最後だったそうです。

だからあなたが大丈夫だと思うのは全然当てになりません。
無常の風は急げと吹いています。


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by sakyamuni | 2018-03-04 12:00 | 無常 | Comments(0)

死後の世界は夢物語?

「後の世と聞けば遠きに似たれども知らずや今日もその日なるらん」
という古歌があります。

「後の世」とは、死後の世界、後生の問題です。

後生と聞くと、遠い先のように思う人がありますが、
「知らずや今日もその日なるらん」
「今日だったのか」と知らされる時が必ず来ます。

死というのは、だんだん迫ってくるという理解の人が多くあります。
ジョーズが近づくように。
こんな風に思っていたら大間違いです。
生と死はそんなに離れていないのです。
突然やってくるのが後生です。
「そんなのあり?」
予想もしていない、突然です。

遠い先だと思っていたのに、
「今日がその日だったのか」
突然やってきます。

平均寿命を聞くと、
自分はそれよりちょっとは生きられると思います。
でも、その保証はありません。
諸行無常です。

私たちは、毎日ロシアンルーレットをやっているようなものです。
弾は必ず込められています。

「今日がオレの死ぬ日だ」
と家を出る人はどこにもいません。
それなのに死んでいる人は沢山います。
本当に自分が死ぬ日だと思ったら、
洗顔なんかできません。

そのいつやってくるか分からない
死の大問題を解決は仏教に教えられています。




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by sakyamuni | 2018-02-16 12:00 | 無常 | Comments(0)

面影の変わらで年のつもれかし
たとえ命に限りあるとも(小野小町)

六歌仙の一人、小野小町の歌です。
この小野小町の歌、これは全ての女性の願望でもあります。
男性よりも女性は美しくなりたいという思いは強いと思います。
男性には考えられないほどの思いがあります。
しかしどんなに美しい人でも、年を取ると共に失われていきます。
その無常を嘆いている歌です。
面影」とは姿です。

若いときなら今の美しさいつまでもたもちたい。
しかし諸行無常という現実の前にはどうしようもありません。
いくら化け物みたいなパックしても無駄な抵抗に過ぎません。
無常の嵐の前には勝つことはできません。
若いときの美しい姿のままで年を取りたい。
命に限りがあっても醜くなりたくない。
美しいままで死にたい。
そういう女性の思いです。

非常に美人であれば顔に一本皺が入っただけで、ショックです。
男性ならそうは思わないと思いますが。
もともと壊れている顔なら、気にしませんが、美しい人ほど皺があるのがショックです。

ブッダは本当の美しさは男女を問わず、心の美しさ、
これが真実の美とおっしゃっています。
男女を問わず養うべきは心の端正だと。
これはブッダがおっしゃっています。
心の端正こそが真実の美です。
つまり真実の美というのは信心です。

阿弥陀仏より給わる清らかなまこと。
男女を問わず養うべきは心の美であると言われています。
肉体は亡びていくのですから。
一切の亡びる中で滅びないまことを体得しなければ幸福になれません。


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by sakyamuni | 2017-12-08 12:00 | 無常 | Comments(0)

あべこべの一大事

あなたも大学受験をしていた頃は、
受験の一大事に一生懸命だったかもしれません。

予備校行ったら何とかして受かりたいという人が多い。
どうして自分が落ちたのかわからない。
そういう人にとっては、1月2月しかないという人にとっては大変な一大事になっている。
しかし、小学校や幼稚園の人たちはそんなに真剣に聞きやしない。

結婚ってことを考えても、小さいころは気楽に応えられる。
だけど、男は37才になったら、そんな気楽には答えられない。
そんなことをしたら大変。
人生かかっている。
ここで外したら、もう大変。
そんなときは真剣、逼迫感がある。
そういうような一大事を抱えた人にとっては、ゼミをする。
先生の言葉っていうのはとても大事なことになる。

結婚の一大事をかかえている人にとっては、相手の言葉一つが大事になってくる。
その一大事が問題になっていない人にとってはどうでもいい。

考えてみると仏法で教えられている後生の一大事は結婚や受験の一大事とは問題にならない。
この一大事を解決しなかったら、大変。
それだけではない。
未来永劫八万劫中苦しまなければならないという一大事。
後生の一大事の方がはるかに大事。
しかし、私たちは後生の一大事は全然感じていない。
あなたのところにはもうすんでのところで命が消えるという人もあるかもしれない。
私たちの神経はまったくしびれていて自分のことだとは思わない。

仏法を聞いている人でも、その就職や勉強のことが迫ってくると身体でわかる。
感覚でのってきてわかる問題。
ところが後生の一大事は善知識から仏法を聴聞しなければわからない。

聴聞しないと私たちの肉体の方がよくわかるので受験などほうにいってしまう。
それで絶対犠牲にしなければならないことを犠牲にせず、犠牲にしなくてもいいことを犠牲にしている。
あべこべになっている。

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by sakyamuni | 2017-11-14 12:00 | 無常 | Comments(0)

パスカル

パスカルという哲学者。
『人間は考える葦である』
考えなくちゃいけない。
幸福を考えよう。
しかしどう考えてもこの世の中に幸福はない。

もしこの世で本当の幸福になるのであれば、
この世の本当の幸せは、死後の完全なる幸せが保証されない限り得られない、
といっているんですね。

これが実に凄い言葉だ。
死んだ後自分は間違いなく幸福になれると保証されない限り
この世は幸福になれない。

さすがは考える葦。
何しろ考えるのが好き。
頭痛がすると数学の難問を解いて、治したそうです。

こっちは絶好調でも、数学の難問を見ると頭が痛くなるのに。
この人は頭痛がすると数学の難問を解いて治したんだから、凄まじいね。
ところがそのパスカルさん、人生の結論としていたことは、この世はどう考えても幸せになれない。
不安ばかり。

『その不安を誤魔化すために気晴らしばかりを求めている』
『この世で幸せになるには、来世の完全な幸せが保証されなければ得られない』
その通り。

そして、「死んだらどうなるかということは、
全生涯かけてでも明らかにしなければならない問題である」
と言っています。
そして更に、人生が後一週間だとしたらあなたは何をする?
その時得られた結論は、もし人生が70年あるとしても同じ結論である。
もしあなたが人生が後一週間だとしたら何をしますか。
金儲けしますか。
名誉を求めますか。
地位を求めますか。
一週間で。

何をする。
思いっきり漫画を読むか。
思いっきり甘いものを食べて体重倍にして死ぬか。
どうする?後一週間。
その時に得られた結論は70年の人生であっても最優先してやらなければならないこと。

こう言っている。
その通り、実に真面目な人ですね。
残念ながらパスカルは39歳で死んでいる。
名を成したと言われる人。
あるいは哲学を極めたような人達。

生きる意味を必死に考えた人達、いずれもどうしても分からない。
死んだらどうなるかハッキリしない。
死んだらどうなるかの一大事が、残念ながら解決できていない。

世間的には素晴らしい作品を残し富や名声を得て歴史に名を残していても
自分自身の後生の一大事の解決ができていない。


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by sakyamuni | 2017-11-07 12:00 | 無常 | Comments(0)

芥川龍之介は、自殺の動機を『ぼんやりとした不安』だと。
あれだけの輝かしい名声を得て、作品を残し、
今でも芥川賞と言えば新人作家の登竜門。

その芥川が36歳で自殺している。
将来に対するぼんやりした不安
何が不安なんだろう。
食べることか、着ることか、住む家か。
何もかも充たされながらどうしても心が不安
それで死を選んだ。

ぼんやりした不安
死に臨んで明るい心境を語っている人なんて一人もない。

正宗白鳥という人は無神論者で有名で、大変な毒舌家。
ところが死んでいくときになんて言ったかというと、
『アーメン』宗教なんかどうせ人間の作ったまやかしだ、死んだら無だ。
ないものをあるようにして金を巻き上げてるだけだとキリスト教を批判していた人が、
死ぬときは『アーメン』

意地も我慢もない。
何かにすがらずにおれない。

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by sakyamuni | 2017-11-06 12:00 | 無常 | Comments(0)

悲しむな 是生滅法の教えあり
「是生滅法」は涅槃経に説かれています。

諸行無常 
是生滅法
生滅滅已 
寂滅為楽

諸行無常で悲しむ人に、
諸行無常は真理ですから
悲しみのない寂滅の世界に生まれなさい、
是が仏法の教えですよ。

それが無碍の一道ですよ。
早くこの世界まですすみなさい。

「憂きことも悲しきことも善巧とただひたすらに二河の道行け」

つらいことも憂きことも善巧方便としてただひたすらに二河の道を進め。
この道を進みなさい、そしてこの悲しみも苦しみも乗り越えた
無碍の世界に早くでて下さい

このお言葉でさとりを開いた雪山童子についてですが、
昔教科書にも修行者と羅刹という表題で載っていたそうです。
ちなみにいろは歌、誰がつくったか、
真言宗の空海と言う説もありますが、
この十六文字を歌ったものと言われています。

「色はにおえど散りぬるをわが世たれぞ常ならん」

桜の花が香り高く咲き誇っていてもやがて散る。
この世に常成るものがある
だろうか、みな生じたら滅するものです。

「有為の奥山今日越えて」

有為とは生滅する世界のことです。
越えるとは生滅が滅するということです。

「浅き夢みじ酔いもせず」

そういう夢幻のようなものでない本当の幸せがあります。
寂静無為。
正信偈にもあります。

「速やかに寂静無為の楽に入ることは」

阿弥陀如来極楽浄土に入るには必ず信心決定してくださいよ。
辛いこと、悲しいことも縁として乗り越えて真実の道を進む、
ただひたすらに二河の道行くぞ。
あなたがまだ若ければ、友達を亡くしたことあまりないかも知れませんが。
そういうこと今後もあるでしょう。
身近な友達が病気で、事故で無くなる。
たとえそうでもそれは本当に悲しいことでありますが
友達の死を無駄にしてはならない。

目の前で厳しい無常の現実を自らの身を以て教えてくれたと思うなら
それを自分の求道聞法に拍車をかけて、自分もいつ終わるか判らない、
だから今回真剣に聞かせていただこう、
一座を大事に聞かせていただこう。


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by sakyamuni | 2017-10-28 18:00 | 無常 | Comments(0)