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カテゴリ:仏教( 58 )

迷うことなく自分の道を進んでゆくということは、なかなか難しい。

最近、読んだ本の中に、おけネズミの法則というものがありました。
ある大きな桶の中に、ネズミが一匹、おっこっちゃったんだって。

名前をチュータローっていいます。
そのチュータローが、何とかして桶から抜け出したい、ジャンプする。
ところが、どうがんばっても、おけが深くて、とても無理だった。
あっちへぴょーんだめ。
こっちへぴょーんだめ。
そこでチュータロウは今度は、桶の側をかじって、外へ出ようとする。
これをガリガリ亡者という(笑)。

我を忘れて、ガリガリかじり続けた。
ところが桶の側の木が厚くて、難くて食い破れそうもない。
慌てたチュータロウは、今度は場所を変えてガリガリかじり続けた。
ところがそこもだめ。

チュータロウは、また場所を変えてガリガリかじり続けた。
こっちがりがり、あっちがりがり。
こういう感じで、あっちこっち一生懸命食い破ろうとするんだけれども、
さんざん報われることのない努力をしたねずみは、
とうとう明け方近くに、心身共に疲れ果てて、死んじゃったんだって。
かわいそうだよねー。

こっちがりがり、あっちがりがり。
さんざんあっちこっちかじり続けたのに、一カ所として外まで届くことなく、
さんざん報われることのない努力をして、死んじゃったんだって。
これチュータロウの立場で言えばね。
まず歯が欠けただろう、総入れ歯にしなければならないかも。
しかし、一番イヤだったのは、やってもやってもうまくいかない、
これは精神的に追い込まれるよ。
色んな所をかじってる。
ところがことごとくダメなんだ。
これは精神的に疲れると思うね。
そしてむなしく、力尽き果てて死んじゃった。
文字通り、身も心も力尽きた、疲れ果てたと言うこと。
もし、このチュータローが、かじり始めた箇所を、
最後までずっとかじり続けていたなら、
桶の側まで通り抜ける穴ができたのに、
もし、最初からずっと同じ所をかじり続けていたら、もしずーっと、
一点に集中して、
オレここかじるんだ、あっちもこっちもかじらん、こうやっていたなら、
通り抜ける穴が空いた、そうしたらチュータローも救われた。
結局、チュータローが救われなかったのは、あっちがりがり、こっちがりがり、
身も心も歯もぼろぼろ、思い出ぽろぽろ、こんな感じで、だめになっちゃったんだね。
世間には、このネズミのことを笑うことができない人が多いと言われている。

たとえば、今ね、フリーターとか、プータローとか、チュータローとか
まあこれが言いたかったわけね。

まあとにかく、こういった人がいるんだってね。
それはね、転々と職を変える人、
1つの職をずっと続けることができない人。
転職に次ぐ転職。
気に入らないがあると、すぐにやめる。
つまらないと、すぐに飽きる。
ムカツクと、すぐにキレル。
だから何をやっても、長続きしない。
だからせっかく、大学出たのにね、
たとえばある工業大学は就職率90%以上だって聞いて、
はるばる遠くからやって来る人だっているワケよ。

たしかに就職率は高いよ、
でも就職したところにズーッといるかは問題。
だから、すぐにやめちゃう。
だからアルバイトして食いつなぐ。
一般には、転々と職を変えるって言う人は、社会的な信用がなく、
意志薄弱、薄志弱行と、言われるんだって。
あまり社会的な信用が得られないそうだ。

そうすると、お父さんとか、お母さんも、自分の子供が、
あっちブラブラ、こっちブラブラしてて、
中々決まった職に就かないとなると、大変に心配される、
こう言われている。

だから、早く本当の生きる目的を見つけて、
それに向かってまっしぐらに進んで行くのが
いいわけ。

また、目的が分からなければ手段である生き方も分からない。
生き方も、自分の強みを発見して、
周りの皆さんに喜ばれるような生き方がいいわけ。
それでこそ生きる意味がある。

その本当の生きる目的は、仏教に教えられているので
まずそれを知ることが大切です。



by sakyamuni | 2019-05-09 12:00 | 仏教 | Comments(0)

ブッダのご遺言

もうすぐ4月8日は、ブッダのお生まれになられたことをお祝いする
花祭りです。

そして80年間ご活躍なされたブッダは、
亡くなられる時、
御遺言に、こう教えられています。

僧にして、法を壊つ者あるを視ながら、これを黙視し、
更に呵責駆遣せざる者は、この僧は、これ仏法中の怨なり。
若し、よく駆遣呵責せば、これ我が真仏弟子なり。
(涅槃経)

とは、仏法者のことです。
仏法に反することを教えている人を見ながら、
見て見ぬふりをして、間違っているよ、と教えてあげない人は、
仏法者とは言えない、それどころか
仏教の中の怨である、と言われています。

ブッダが憎らしいといわれ、最も嫌われているのが
そういう者です。

他人が仏教を壊しているのをみると、
人によったら僕のせいじゃないよと、思うでしょう。

英語で言えば
Not my business.
私の知ったこっちゃない、勝手に聞いてないだけだ。
間違ったものと知らないでやってるだけ。
どうのこうの言うのはおせっかいだよと。

これは、法を壊つというのは五木寛之のように
『人生の目的』という本を書いて大衆を惑わせた、
ということだけではなく、真実を知らない人がこういう本を読んだり、
新興宗教に迷ったり、宗教というのはこんなようなものだ
とみんな思っている。

しかし、仏法者は、これは見逃せないと
間違っているよと教えてあげないといけないよ、
とブッダは教えられています。

だから自分だけ知っておればいい、また見てみぬふり、
そんな卑怯で保身的なものになってはならん。
もうすぐブッダのお誕生日の花祭りです。
まず心に留めておいてください。



by sakyamuni | 2019-04-06 12:00 | 仏教 | Comments(0)

仏教はなぜ聞くのか

死は私たちの100%確実な未来です。
死の恐怖なんかないと言っている人は
自分が死ぬと思っていない人です。

まだ死なん、まだ死なんと思ってる人が、
死んでってるじゃないですか。

以前、宇和島高校の練習船が、
ハワイで潜水艦にぶつかって沈没した事件がありました。
そして高校生の9人、死んでしまいました。

高校生なのでほとんどの人より若い人で生きていればこれから活躍した。

そんな人が、まさか、ハワイ沖に行って、潜水艦にぶつかって、、、
そんなこと考えたかってことです。

そこにいたら死ぬとわかてから、そんな船に乗るかってことですよ。
おそらく99、9%乗らない。

乗るとしたら死のうと思って乗るわけですから、自殺です。

だから、自分が死なないと思ってる人が
次から次に後生に飛び込んでってるじゃないですか。

だから、仏教を聞くとか聞かないとか、ぜんぜん関係ないですね。
100%確実に死にます。
今まで考えたこともない死後の世界に入って行く。

その死の問題を解決するのが仏教なのです。
仏教を聞く目的は、この死の問題の解決です。



by sakyamuni | 2019-03-17 12:00 | 仏教 | Comments(0)

今回は、私たちはなぜ仏教を聞かねばならないか、その仏教の原点についてです。

世間では、仏教は聞いても聞かなくてもどっちでもいい。
ひまな時は聞いたらいいけれど、忙しいとき、
例えば仕事のある時、
のっぴきならない用事があるとき、
国家試験すべったらたいへんだから、
そう言う時は聞かなくてもいい。
世間ではそう思われています。

仏教と言えば、聞いても聞かなくてもいい。
ひまがある人は聞いたらいいだろう。
為になるから。
だけど、どうしても忙しいとき、用事がある来は、聞かなくてもいい。
そう思っている人がいっぱいいる。
また、あなた方の中でもそう思ってる人ありますね。

これは、仏教説かれたブッダが教えられることと、全く違うことを言っています。
ブッダはお経のどこにも、そんなことおっしゃっていない。
それどころか、お釈迦さまは、仏教と言うのは、生きとし生ける人が必ず聞き求めなければならない教えである。
地球上60数億すべての人が、必ず聞き求めなければならない教え、聞かなければならない教え、それが仏教であると言われている。
なぜ、世間で言われていることと、お釈迦さまが教えられること、こんなに食い違うのか。

それは、目的の違いです。

世間の人は、仏教というと、道徳倫理に毛の生えたものと思っている。
道徳、倫理というのほ、人と人が摩擦なくやっていくにはどうしたらいいか、人間関係の潤滑油。
そう言うものを教えているのが道徳、倫理。
もしそう言うものを教えているのが仏教なら、聞いても言いいい、聞かなくても言いですよ。
人に迷惑かけてまで聞かなくて良い。
そうなります。
人に迷惑かけるのは、道徳倫理に反する。
だから、人に迷惑かけてまで聞かなくて良いとなる。
仏教が道徳倫理に毛の生えたようなものなら、そうなる。
けれど、断じてそういうものではない。

ブッダが言われている通り、すべての人が抱えている心の、魂の一大事、これを後生の一大事と言います。
すべての人が抱えているところの魂の一大事、これを後生の一大事と言います。
私は後生の一大事と関係ない、という人はありません。
後生とは死後の世界のことですから、後生の一大事とは死後の世界の一大事です。
どんな人も死ぬことは100%確実です。
ですからすべての人が抱える魂の一大事です。
だからブッダは、すべての人が聞かなくてはならないのが仏教だと断言されるわけです。


by sakyamuni | 2019-03-13 10:16 | 仏教 | Comments(0)

仏教という言葉

仏教という言葉があります。
しかし「仏教」というと、宗教偏見の強い人は、
その時点で心を閉ざして抵抗する可能性があります。

しかし、本来の仏教はその人の先入観にあるような、葬式法事、新興宗教などとは違います。

それだと食わず嫌いになりますから、
もし仏教という言葉に抵抗があるならば東洋哲学と言えばいいと思います。

法華経般若心経などのお経にこういう言葉がある、
といっても宗教偏見ある人は気になります。
だから最初は仏典といったらいいでしょう。
内容を聞きさえすれば、それがお経になっても抵抗がなくなっていきます。

お釈迦さまも、最初はブッダといったりします。
親鸞聖人も、親鸞という人が、とか。
言い方っていろいろ工夫しなければならないです。
有無同然も、四字熟語にこういうのがある。
といういいかたをします。

そうやっと、最終的には、仏教に明らかにされた本当の生きる意味が明らかになっていくのです。



by sakyamuni | 2019-03-07 12:00 | 仏教 | Comments(0)

親鸞聖人は、
自信教人信 難中転更難
といわれています。
これは、自分が信心決定して、絶対の幸福になることは難しい。
人が信心決定して絶対の幸福になるところまで教え導くことはもっと難しい
という意味です。

自信教人信というのは、
自ら信心決定して人も信心決定まで教え導く
ということですが、これは自利利他です。
これは菩薩道です。

なぜそれが難しいのかというと、
私たちの本性は、自利利他ではなく、
我利我利だからです。

真実知らない者が真実を伝えるから難しいのです。
自分が本当はいつまでも生きておれると思っているのに無常を伝えるのですし、
自分さえよければと思っているものが人にお伝えするのですから。

まず自分が最優先、
「私をもっと幸せにして!!」
という我利我利しかないのが自分の本心です。
自分の気持ちに逆らわないと顕正できませんので、
難しいのです。

仏教を伝えることは、
我利我利の本性を抑え、
相手の幸福を念じて
利他に徹していく無上の菩薩道なのです。


by sakyamuni | 2019-01-22 12:00 | 仏教 | Comments(0)

仏教は聞きがたい

今日、仏教を教えられた親鸞聖人は世界中で褒めたたえられています。
親鸞聖人のお徳が行き渡っています。
しかし親鸞聖人のどこが素晴らしいのか、何も語られません。

吉川英治も親鸞聖人を非常に慕っています。
だけど親鸞聖人の事を書いた本を読んだり、
映画をみたりしてもどこが素晴らしいか一つも語られていません。
肉食妻帯がクライマックス、エンディングになっています。
信心獲得については何も語られていません。
肉食妻帯の何が素晴らしいのか、一つも知りません。

夏目漱石も亀井勝一郎も三木清も親鸞聖人を慕っていますが、
親鸞聖人が何を教えたかは知りません。
無碍の一道の匂いを感じても無碍の一道がなんなのか分かりません。
ハイデッカーも今世紀最大の哲学者といわれますが、
無碍の一道の匂いを感じて、親鸞聖人を慕い、
もし10年前に知っていたら、ラテン語もギリシア語も勉強しなかった。
日本語を学び、親鸞聖人の教えを聞いて世界に広めていただろう
だが遅かった。
と言っています。
それでも親鸞聖人の教え知りません。

トルストイは10年間一切の執筆を止めてなぜ生きるの答えを探したが見つかりませんでした。
よく仏教が初めての人の中で「哲学を知ったかぶり」する人いますが、ヘッポコです。
そう考えますと大変、真実を知らされるということ素晴らしい事です。

しかもその中で真実を求める人、真実知らされた人の中で10人に1人といわれます。
真実知らされてもあなたのように体にかけて仏法を求める人いません。
いかに仏教を聞くことが難しいかがわかります。



by sakyamuni | 2019-01-19 12:00 | 仏教 | Comments(0)

友人や家族と一緒にいるのが疲れるから、
一人がいいって言う人も多いみたいだけど、
そういう人も本当は寂しいって思ってるんじゃないかな。

だから、友人に守ってもらいたい、
家族に優しくしてもらいたいこんな自分を愛してくれる恋人がほしいと思うんだけど、
わかってもらえなくて、やさしくしてもらえなくって、
みんな心の居場所がないんだよね。

恋人だって、好きなのに、一緒にいると苦しくて別れちゃうことあるよね。
そして、ひとりぼっちになって、あんな人もいたな、とまた寂しがるの。
携帯電話を持って寝ていたりして、電話もかかってこなかったりして。
本当は、楽しく明るく、
日々を送りたいのになんでこんなに寂しいんだろう、
その原因はいったいどこにあるんだろう。
みんなそれがしりたいんだね。

じゃあその原因はなんなのか仏教で教えられているんだね。

by sakyamuni | 2018-11-23 12:00 | 仏教 | Comments(0)

光陰矢の如しといわれるけど、現代の日本をみてみると、スピードの時代っていわれてますよね。
情報が命。
いんな情報があふれています。

携帯にしても、昔は、家にかえらなかったら、電話なんて聞く事なかった。
それどころか、自分のいる時に電話がならなかったら、電話をとることなんて
ありえなかった。

それが、留守番電話ができ、ファックスがついて、どんどん、
忙しくなってきた。

いまは一人一台は携帯を持ってる状態だよね。
移動中でも話しができる。
用事があったら、その場で連絡ができる。
まあ便利といえば便利だけど、あわただしくなっちゃったって感じもするよね。

最近の学生なんかでは、携帯に使う、料金が毎月平均5000円以上もするんだって。
社会人の私からみれば安いけど、それでも学生としては大変な額だよね。

じゃあ節約するのかっていえばしないんだって。
その分バイトをして稼ぎますっていう人が多いんだってさ。
携帯のためにバイトして、余計忙しくなっちゃうよね。

まあインターネットもどんどん普及している。
よい情報も悪い情報も、散乱してる状態だね。

そんな時代に、眠れる獅子でいたら、
目覚めるきっかけを失っちゃって、
永眠しちゃうかもしれないね。
これじゃあなんだかまぬけだよね。

だから、自分自身で、
チャンスをつかむことが大事だっていわれているんだよ。

はやすぎてもだめ、遅すぎてもだめ。
ジャストフィットでチャンスをつかむ、
これが今の時代に臨まれていることなんだよね。

そういうことからいえば、

「なかぬならなかせてみせようホトトギス」

っていう、秀吉型の人生観が望まれてるんだって。

これを仏教では精進というんだけど、
意味は努力ということ。

努力精進が大事だよね。

by sakyamuni | 2018-11-20 12:00 | 仏教 | Comments(0)

幸せになれない原因は?

幸せになれない原因、
実はそれは自分の中にあります。

人類は月へゆき、探査機を飛ばし、果てしなく遠い宇宙のことや
肉眼ではとても見えないミクロの世界のことまで、
今まで知らなかった多くのことを解明してきたけれど、
灯台もと暗し
自分のことは盲点だったんじゃないかな。

だから自分を知り、自分を変える、
ここに足りない何かがあり、
暗い人生を明るい人生に、
つまらない人生を楽しい人生に変えるカギがあります。

そのためには自分を知ることがまず先決です。
そういう自分に目を向けて行った哲学者達が
一様に指摘している自分の中にある原因

それを「人間存在そのものの不安」と表現されます。
そして、その解決は、仏教に明らかにされています。


by sakyamuni | 2018-11-10 12:00 | 仏教 | Comments(0)