カテゴリ:仏教( 51 )

友人や家族と一緒にいるのが疲れるから、
一人がいいって言う人も多いみたいだけど、
そういう人も本当は寂しいって思ってるんじゃないかな。

だから、友人に守ってもらいたい、
家族に優しくしてもらいたいこんな自分を愛してくれる恋人がほしいと思うんだけど、
わかってもらえなくて、やさしくしてもらえなくって、
みんな心の居場所がないんだよね。

恋人だって、好きなのに、一緒にいると苦しくて別れちゃうことあるよね。
そして、ひとりぼっちになって、あんな人もいたな、とまた寂しがるの。
携帯電話を持って寝ていたりして、電話もかかってこなかったりして。
本当は、楽しく明るく、
日々を送りたいのになんでこんなに寂しいんだろう、
その原因はいったいどこにあるんだろう。
みんなそれがしりたいんだね。

じゃあその原因はなんなのか仏教で教えられているんだね。

[PR]
by sakyamuni | 2018-11-23 12:00 | 仏教 | Comments(0)

光陰矢の如しといわれるけど、現代の日本をみてみると、スピードの時代っていわれてますよね。
情報が命。
いんな情報があふれています。

携帯にしても、昔は、家にかえらなかったら、電話なんて聞く事なかった。
それどころか、自分のいる時に電話がならなかったら、電話をとることなんて
ありえなかった。

それが、留守番電話ができ、ファックスがついて、どんどん、
忙しくなってきた。

いまは一人一台は携帯を持ってる状態だよね。
移動中でも話しができる。
用事があったら、その場で連絡ができる。
まあ便利といえば便利だけど、あわただしくなっちゃったって感じもするよね。

最近の学生なんかでは、携帯に使う、料金が毎月平均5000円以上もするんだって。
社会人の私からみれば安いけど、それでも学生としては大変な額だよね。

じゃあ節約するのかっていえばしないんだって。
その分バイトをして稼ぎますっていう人が多いんだってさ。
携帯のためにバイトして、余計忙しくなっちゃうよね。

まあインターネットもどんどん普及している。
よい情報も悪い情報も、散乱してる状態だね。

そんな時代に、眠れる獅子でいたら、
目覚めるきっかけを失っちゃって、
永眠しちゃうかもしれないね。
これじゃあなんだかまぬけだよね。

だから、自分自身で、
チャンスをつかむことが大事だっていわれているんだよ。

はやすぎてもだめ、遅すぎてもだめ。
ジャストフィットでチャンスをつかむ、
これが今の時代に臨まれていることなんだよね。

そういうことからいえば、

「なかぬならなかせてみせようホトトギス」

っていう、秀吉型の人生観が望まれてるんだって。

これを仏教では精進というんだけど、
意味は努力ということ。

努力精進が大事だよね。

[PR]
by sakyamuni | 2018-11-20 12:00 | 仏教 | Comments(0)

幸せになれない原因は?

幸せになれない原因、
実はそれは自分の中にあります。

人類は月へゆき、探査機を飛ばし、果てしなく遠い宇宙のことや
肉眼ではとても見えないミクロの世界のことまで、
今まで知らなかった多くのことを解明してきたけれど、
灯台もと暗し
自分のことは盲点だったんじゃないかな。

だから自分を知り、自分を変える、
ここに足りない何かがあり、
暗い人生を明るい人生に、
つまらない人生を楽しい人生に変えるカギがあります。

そのためには自分を知ることがまず先決です。
そういう自分に目を向けて行った哲学者達が
一様に指摘している自分の中にある原因

それを「人間存在そのものの不安」と表現されます。
そして、その解決は、仏教に明らかにされています。


[PR]
by sakyamuni | 2018-11-10 12:00 | 仏教 | Comments(0)

仏教を我がごとと聞く

本当の幸せになるためには、
仏教を我がごとと聞くことが大切です。
仏教をいかに自分の問題とするかです。

自分と関係ないと思ったら他人事で聞いてしまいます。
人生の目的は幸せになる事ですが、
ところがなれてない
というのを自分のことと分かってもらいます。

原因が自分にあることを納得してもらわなければなりません。

宗教ですかと出てくる心の出所が違います。
やっぱり聞かなければならない。
ところが不安という質問と面白半分での質問では意味ない。

次に死をどう切り出すか

人間は必ず死んでいかなければならない。
そんなこと当たり前です。
死んだらどうなるというのは、すべての人に関係のある問題です。
それを解決するのが仏教なのですから、
仏教はすべての人に関係があります。




[PR]
by sakyamuni | 2018-10-28 12:00 | 仏教 | Comments(0)

地球上で三大聖人、二大聖人と言われてもトップのブッダ
そのブッダが頭を下げられる方が阿弥陀如来です。

阿弥陀如来一つへ、向かえと言われています。
私の力では助けられない、だから阿弥陀如来の方へ行け。
このブッダ45年間の教えの説法の結論です。
このように説かれています。

一向専念 無量寿仏(大無量寿経)

一切経7000余巻が、この8文字におさまります。
これを教えて行かれたのがブッダです。

ブッダ阿弥陀如来の光明の素晴らしさを、
大無量寿経に教えておられます。

無量寿仏の威神光明は最尊第一にして、
諸仏の光明の及ぶこと能わざるところなり(大無量寿経)

威神とは、ものすごい、ということ。
光明とは仏の力です。
ものすごいお力、これが威神光明といわれています。

その直後に
ただ我今其の光明を称するのみにあらず、一切の諸仏・声聞・
縁覚・諸菩薩衆もことごとく嘆誉したまうこと、亦復是の如し。
(大無量寿経)

我とはブッダのことです。
諸仏の中から特に優れている。
だから諸仏は阿弥陀如来を誉めたたえておられるのです。
「またまたかくのごとし」ですから、
大宇宙の仏がたは、大日如来薬師如来も、
ブッダと同じように、阿弥陀如来一つに向きなさい
と教えられているのです。


[PR]
by sakyamuni | 2018-10-14 12:00 | 仏教 | Comments(0)

仏教で不思議とは

本願の不思議をもって、生まるべからざるものを生まれさせたればこそ
「超世の悲願」とも名け、「横超の直道」とも聞えはんべれ。(改邪鈔)

これは浄土真宗の3代目の覚如上人のお言葉です。

仏教で不思議というと、
世の中にはいろいろ不思議なことはありますが、
仏教ではそういったものは不思議とは言いません。

仏教で不思議といったら、イコール本願、または名号、
それらに救い取られた信心を指すかのいずれかです。
不思議といったら本願、こう思っていれば間違いありません。

生まるべからざるものとは、極悪人のことです。
阿弥陀如来は五劫の思惟で、十方衆生を煩悩の塊で、
絶対助からぬ五逆と謗法の極悪人と見抜き、本願を成就されているのに、
自分がその逆謗とは誰も気がつきません。

絶対に助かる縁手掛かりのないものです。
そういうものが本願の不思議によって、
生きているときに生まれ変われさせて頂きます。

信楽の心に生まれ変わるんですよと。
これが若不生者のちかい、不体失往生です。
不体失というのは、身体を失わずしてですから、
生きているときです。

この水際がついたのが、体失不体失往生の諍論です。
生きているときに、心が往生するのです。


[PR]
by sakyamuni | 2018-09-04 12:00 | 仏教 | Comments(0)

約800年前、浄土宗を開いた善恵房と
浄土真宗を開いた親鸞聖人の論争がありました。

善恵房は、念仏を称えたら死んだらお助け
という話をしていました。

それに対して親鸞聖人が、
私は今救われたことを喜んでいる
と反論しました。

確かに、今溺れている人に、舟に乗ってやってきて
「おーい、苦しいか?お前が溺れて浮いてきたら助けるぞ」
と言う人があるでしょうか。

こんな人はいるはずがありません。
助けられたくてもがいて溺れているのです。

腹痛の例もそうです。

今苦しんでいる人に、
死んだら助けるというのでは、
阿弥陀如来は無慈悲な方になってしまいます。

善慧房だけじゃなくて、この世の宗教、全部
死んだらお助けです。
キリスト教もそうです。

善慧房の話を聞いて
「ありがたい!」
と言ってたおばあちゃんがありますよね。
「死んだら極楽に往ける。ありがたい!」
そういう人です。

仏教はそんなにありがたいものなのでしょうか。
「ありがた屋」というのが世にあるそうです。
あのおばあちゃんです。
ありがたくない心に
ありがたいと暗示をかけているようなものです。

舟の例えなら
「死んだら助けるぞ!」
ありがとうございます!」
というようなものです。
「本当ですか?」
「本当だぞ!」
それで安心する。
これの繰り返しです。

死んだら極楽という浄土宗では、
死ぬま不安はなくならないのです。
浄土真宗は、今救われる平生業成です。


[PR]
by sakyamuni | 2018-08-21 13:00 | 仏教 | Comments(0)

浄土真宗の東本願寺では、なぜか
死後の世界なんて、分からない。
そんなのを扱うのは「宗教」だ。
として遠ざける傾向があります。

仏教を始めて聞きに来た人がいる時も、
今日は仏教の講師が死後のことを話す、
となったらふだん聞きに来ている人たちが緊張しています。
しかし、死後を論じない限り、仏教は始まりません。

東は浄土も弥陀も私達の心にあるんです」と言います。
のうのうと言っています。
そして聞く者も「それなら分かります」と安心している。
しかし親鸞聖人はこうした「自性唯心」を徹底的に破られた方です。

「然るに末代の道俗近世の宗師、自性唯心に沈んで浄土の真証を貶し」
(教行信証信巻)

「弥陀も浄土も心にある」と言う。
自己開発セミナーみたいなものと教えます。
あなたの脳はまだ15%くらいしか使われていませんよ、
もっと潜在したものがあるんです、
それを昔の人は“阿弥陀仏”と呼んだんです。
と教える。
そして「あ〜、そういうことですか」となる。
しかしそんな者へ親鸞聖人は
「お前達は浄土の真証を貶しているぞ!
頭で考えて出てくるようなものじゃないんだ!」
と言われているんです。
前の部分を読めばわかります。

「信楽を獲得することは如来選択の願心より発起す。
真心を開闡することは大聖矜哀の善巧より顕彰せり」

信楽とは他力信心です。
信楽は「獲得」するものであり、自分で創り出すものではない。
それはすべて弥陀と釈迦のお導きによるんだ。
と言われているんです。

だから『恩徳讃』になるわけで「釈迦弥陀は慈悲の父母」となるんです。
自分でどうにかなったのなら、ご恩は感じられません。

こうした教えを、自分の頭で解釈して、分かるように勝手に理解している。
帽子に合わせて頭を削っている。
東の主張するように、死んだ後がない!というのは間違いです。

[PR]
by sakyamuni | 2018-08-17 13:00 | 仏教 | Comments(0)

浄土真宗史上空前絶後の事件といわれる
「三業惑乱」という事件が江戸時代にありました。
これは、三業帰命の異安心です。
心と口と身体で阿弥陀如来にお願いしなければ助からないという異安心です。

当時「能化」というのがありました。
西本願寺の教学の学者集団の中の最高責任者で、
歴代の能化というのは有名な人ばかりです。
西吟・知空・若霖・法霖・義教・功存・智洞です。
全部で7人です。
一度能化になったら終身制です。
相当深い教学力をもっている者ばかりです。
いずれもものすごい権力をもっていました。

それに対して法主はデクノボウが多かったそうです。
親鸞聖人の血をひいているというだけですので、教学に関しては能化まかせ。
また、これは異安心だ、と決めるのは能化でしたので、
能化に異安心だと言わたらその寺はつぶれてしまいます。

その能化の6代目の功存の時、十劫安心が流行りました。
それを何とか正そうと、本を書きました。
願生帰命弁』です。

これには、後生の一大事と、それを解決するには信心決定しなければならない、
ということが徹底的に説かれています。
「願生帰命」というのは「信心決定」ということですから。

そして、十劫安心はなくなった。
ところが功存は早死にしてしまいまして、
その後、能化を継いだのが、弟子の智洞でした。
後生の一大事とその解決は信心決定しかない、こう聞かされた人達は、
ではどうすれば信心決定できるのですか、と聞いてきます。
僧侶に聞きます。
僧侶は分からないから、能化に聞きます。

そして7代目の能化の智洞がとんでもないことを言い始めました。
それが三業帰命の異安心だったのです。
これは自力です。

浄土真宗は他力本願ですから正反対です。
能化の言葉は大変重いですので、智洞が三業帰命を説いたら、日本中で、
「私はいついつにたのみました!」
と言う人がいたるところに現れました。



[PR]
by sakyamuni | 2018-07-17 13:00 | 仏教 | Comments(0)

ブッダはどこの国の人?

仏教を説かれたブッダはどこの国の人でしょうか。
仏教学ぶものは最低限知っていなければならない基本中の基本です。
どこの国の人かというと、インドの人です。

中にはネパールで生まれられたではないかという人があります。
確かにその通り。
しかしさとりを開かれたのはインドです。
インドで活躍されたのでインドの人です。

ブッダキリスト教とは違う。
キリスト教で、イエスはマリアの結婚前に、処女から生まれたといいます。
仏教では因果の道理を無視した奇跡は認めません。

当然生まれたときは最初から仏様ではありませんから、
お父さんお母さんの元で生まれられました。
それでお父さんの名前は浄飯王、お母さんはマーヤ—夫人です。

この時、参考までに言っておきますと、
なかなかこの二人の間には子供が産まれなかった。
このマーヤー夫人が出産したとき非常に高齢出産でした。

それで高齢出産だったためブッダを、
悉達多太子を生んだ後一週間で、
残念ながら、なくなっておられます。

その後マーヤー夫人の妹さんですマカマヤ夫人が養母となっておられます。
ブッダは、マカマヤ夫人に育てられました。

[PR]
by sakyamuni | 2018-07-07 12:00 | 仏教 | Comments(0)