独生独死独去独来

みんな寂しい
だから分かってもらいたい。
それでいろんなことをやる。
誰かに自分の悩みを打ち明けたい。
そしてガシッつかんでもらいたい。

自分のすべてをさらけ出して
「それでもキミを愛してる」
と言って寄り添ってくれる人。

これが「理想の男性・女性」です。
私は非常に気を遣うタイプでした。
だからいろいろ気になるんだね。
自分の周りの人がどう感じてるだろうって。
それでついつい、盛り上げなくちゃ、と頑張ります。
しゃべりたい時はしゃべれるんだけど、
自分のしゃべりたくない時はしゃべらないで隣で編物しててくれます。
サービス精神出さずに寄り添える人を求めてたね。
心をさらけ出せる人がいない。
また、どんな人にもさらけ出せないもの持っています。

三木清だったか、
孤独は山の中にない。町の中にある」
といっています。

山の中の孤独は、町にいけば、と思える。
しかし、町で孤独を感じると、どこに行ったらいいんだろう。
1人でいる孤独より、2人でいる孤独の方が寂しい
不倫ってここからくるはず。
主人は何も分かってくれない。
だけどあなたは分かってくれる。

独生独死独去独来
と説かれています。

独り生まれ独り死ぬ。
生まれてから死ぬまでひとりぼっちなのです。



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by sakyamuni | 2018-08-31 12:00 | 無常 | Comments(0)

ブッダの出家の原因

ブッダ出家された理由は、
直接の原因は女性の本当の姿をご覧になって出家されたのですが、
その前にこういうことがあったと言われます。

お経に出てくる四門出遊のストーリーです。
これは知っていて貰いたい。

どうして出家されたのか。
四つの門をくぐられる。
東の門。
南の門。
西の門。
北の門。

ある時ブッダが東の門を出られたときにびっくりされたんです。
何をご覧になったかというと、まずは老人ですね。

まずは老人を見られたんですね。
それでびっくりした。
城にはよろしくないもの、老人よろしくないといったらだめだけど、
そういう者は縁がなかった、そういう風にしていた。

ところが老人を見られたときにびっくりした。
あれは何だ。
老人でございます。
私たちもあんな姿になるのかとびっくりした。
どんなに若く綺麗な人でも、
歳を取れば、見るも無残な姿になってしまいます。

年寄り笑うな行く道じゃといわれる。
びっくりされたんですね。
ブッダは今は若いけれども
やがて年老いて行かねばならないのかと知らされた。

更に南の門を出られたときに病人を見られる。
あれは何だ。
病人でございます。
私は健康だけれどやがてあんな病人になって苦しまねばならないのか。
驚きを立てられます。

西の門を出られたとき死人を見られた。
日本では写真でもテレビでも見たら良くないということで見れない。

死人を見るとびっくりする。
やがて死んでいかなければならないのか、
死んだらどうなるのかとびっくした。
仏教講座にさしさわりがなければ
葬式無常を見つめるご縁と出たらよいのです。

そして北の門を出られた時、修行をしている人を見られて、
本当の幸せ欲望を満たす以外にあると思われたのです。


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by sakyamuni | 2018-07-10 18:00 | 無常 | Comments(0)

蓮如上人の白骨の章は、
このように白骨という言葉が遣われているので
白骨の章といわれます。

「されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」

朝、元気な顔で行って来ますと出かけた人が、
夕方には変わり果てた姿で帰ってくるということもあります。

毎日交通事故でたくさんの人が亡くなっています。
昨日も沢山の人が亡くなりました。

その人達は、朝出かけるとき、
今日が自分の死ぬ日だと思って
泣きながら洗顔したでしょうか?

今日が死刑執行の最後の日となったら、
永遠の別れの日ですから、
泣き泣きです。

ところが、昨日交通事故で死んだ人たちは、
私たちとまったく同じように
顔を洗ってでかけたと思います。

死ぬと思っていない人がどんどん死んでいるのです。

「されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」

朝は元気だったのに、夕方には死んでいるのです。

「既に無常の風来りぬれば、即ち二の眼たちまちに閉じ、
一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬる」

無常の風とは死のことです。
仏教では死のことを無常の虎と、虎に譬えることもあります。
無常の風が吹いたならば、目は閉じ、息も絶えてしまいます。
そんな時、吸った息を出してくれと思っても、できません。
永遠に息が切れて、顔色も血の気が引いてしまいます。

そんな儚い人生、どうすれば
本当の幸せになれるのか、
仏教に教えられています。

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by sakyamuni | 2018-05-25 18:00 | 無常 | Comments(0)

賽の河原の石積み

流転輪廻をしている私たちの姿を、
徳川家康は、
人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし
といっています。

徳川家康は、私たちが欲しいと思っているようなものを
全部持っていました。
それでも喜びは続かずに、
次のものを求めます。

まるで賽の河原のようです。


賽の河原というのは、子供が石を積み上げていると
鬼が壊しにやってきます。

川のほとりの砂場でつくった山を
固めてつくっていると壊しにやってきます。

またつくっていると、また壊しにやってくる。
何とも切ない。

砂あそびだったら可愛いものだけれど、
仕事をして、
お金を稼いだり、
家を建てたりします。

砂がそういうものになっただけで、
地震などがきて、そういうものが崩れてしまいます。

以前、インドでは瓦礫の下に7万人の人が埋もれてしまった。
ここ数年で最悪の被害です。

阪神大震災、東日本大震災の比ではない。

神戸とえば100万ドルの夜景が見るも無残になってしまった。
がんばろう神戸と復興して、表面的には復興してきました。

しかし、それも表面的なものでまた地震が来たら壊れてしまいます。
諸行無常です。

インドは人口も多く、
地震はマグニチュード7.9、
大変な地震でした。

私たち壊れたらまた造る、
壊れても壊れてもまた造っていきます。

賽の河原です。


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by sakyamuni | 2018-04-08 12:00 | 無常 | Comments(0)

死後はひとりぼっち?

就職不景気の時には先を読む力というのは大事な感覚です。
死が来るとクシャクシャになってしまいます。

以前、世田谷で一家4人が惨殺されました。
年賀状を書いたが、しめなわをつけたが、もう誰もいません。
そこに年賀状がどさっと届きます。
これは当然新しい年が迎えられると思っていたのに。

ビートたけしは、「突如やってくる暴力」と言っています。

私はあの人をたよりにしている、
ほんのちょっとだけ、大事にしてくれた、
そういうものに裏切られて、
私たちの行く手に死は必ず待ち受けています。

これを仏教で、未来100%やってくるものを後生といい、
死後のことです。

全てに裏切られて、死んでゆく、
これを後生の一大事といいます。

未来を考えるとき、死角になっています。
死を考えている人はいません。
現実は逆です。

何の前触れもなく襲いかかってきます。
みんな吹っ飛びます。
だれも面倒見てくれません。
ひとりぼっちの未来です。




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by sakyamuni | 2018-02-06 12:00 | 無常 | Comments(0)

諸行無常は不安で孤独

人は、色々なものを心の支えとし、明かりとして生きています。
明かりというのは、いわば心の中で支えにしているもの。
しかし、諸行無常ですから、
遅かれ早かれ、みんな別れていくものばかりです。

無常のものしかこの世にはありません。

だからビクビクしながら結局は不安孤独な魂を
かかえながら生きています。
それが実態です。

それをお経
「人世間愛欲の中にありて、
 独り生まれ独り死し独り去り独り来たる」
と説かれています。




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by sakyamuni | 2018-02-05 12:00 | 無常 | Comments(0)

蓮如上人は、御文章に
「これによりてただ深く願うべきは後生なり、たのむべきは弥陀如来なり
と教えられています。
後生とは、死後の世界のことで、あの世です。
後生にある一大事を後生の一大事といいます。

この世のどんなものを頼りにしていても
みんな総崩れになっちゃうから
この後生の一大事を救う仏様を
この後生の一大事を解決する仏様を
後生に突っ込んで真っ暗になるときでも
その私を救ってくれる仏を信じなさいと。

これを弥陀をたのむと書かれている。
「たのむべきは弥陀如来なり

この世の一切のものは死んでいくときはたよりにならんぞ、
しかもその死はいつやってくるか分からないぞ。

その死を解決して下さるのは阿弥陀如来しかないから、
『ただ深く』と教えられています。

あなたがよく知っている御文章でこういう展開で
蓮如上人があなたが一生涯頼りにしていたものは
臨終にはおいていかなければならないから、
そういう後生の一大事はみんな持っているから
だから弥陀一仏をたのみなさいと。

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by sakyamuni | 2018-01-15 12:00 | 無常 | Comments(0)

仏教の出発点

いつまでも変わらず当てになるもの。
すなわち、絶対に私たちのことを裏切らないものが
果たしてあるのでしょうか?

これについて、仏教では、諸行無常と教えられております。
諸行と言いますのはこの世の全てのものはみんな諸行ですから、
この世の一切のものは諸行の中に入らないものはありません。

これ無常と言いますのは続かないと言うことですからこの世の一切のものは
何でもあなたが心の中で当てにしていても
みんな続かない壊れるものばかりですために、
諸行無常なる故に信じていたものに裏切られて
全人類は必ず苦しみの世界に沈んでいかなければならない未来を持っています。

これを必堕地獄の一大事と言って
これを仏教では後生の一大事といいます。

心の中でどんなものを頼りにしていても
この世の一切のものはみんな続かない物ばかりですから、
全人類が頼りにしていたものが壊れてしまって苦しみ
の中に突っ込んでいかなければならない
必堕地獄の一大事を持っているんです。

これが仏教の出発点です。

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by sakyamuni | 2018-01-14 18:00 | 無常 | Comments(0)

私が仏教を聞く理由

人生は薄氷を踏むようなものです。

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、
4才でお父さんを、
8才でお母さんを亡くされました。

ということは、親鸞聖人は
4歳の時お父様の氷が割れたんです。
8歳の時お母様の氷が割れたのです。

親鸞聖人は
「次は私の氷が割れる番だ!!」
と驚いて、出家されたわけです。
この死に対する驚きが仏教を聞く原点です。

お母さんを火葬して一人ぼっちになった親鸞聖人は、
雁の飛ぶ夕焼け空をみながら
伯父である藤原範綱に、
「どこに行くのでしょうか」
と尋ねています。
「さあ、雁も家に帰るのだろう」
「いいえおじさま、人は死ねばどこへ行くのでしょう」
「どこか、遠いところだろうな……
 そなたは藤原家の立派な跡取りとならねばならんぞ」

これでは全然話が話が合っていません。

これは親鸞聖人は後生の事を考えていますが、
藤原範綱は何も考えていないからです。
実に会話がかみ合っていません。

親鸞聖人からしますと何とか明らかになりたいと
薄氷のこと死後の世界のことを考えていますが、
範綱は藤原家の跡取りとかこの世のことばかりです。
薄氷の事、後生の一大事のこと少しも考えていません。

私たちも、死ぬことは100%確実です。
その死の大問題が仏教を聞けば解決できるのです。
だから私は仏教を聞くのです。


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by sakyamuni | 2017-12-24 12:00 | 無常 | Comments(0)

死後の世界の大切さ

蓮如上人は、御文章にこのように教えられています。

『人間はただ夢幻の間のことなり、後生こそまことに永生の楽果なり』と思いとりて、
『人間は五十年・百年のうちの楽なり、後生こそ一大事なり』と思いて

また、最も有名なのが御文章五帖目十六通「白骨の章」。
一番最初に
「人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、
この世の始中終、幻の如くなる一期なり」
とあります。

私たちはその都度その都度入学試験の一大事期末試験、
就職試験、結婚の一大事と色んな事を大変なことと思っているけれど、
アブクができてあっけなく消えるような瞬きするような間のことなのよと。

それよりもアブクが消えて、
死んだらどうなるの方が大変な一大事なのですから。
ところが私たちは目先のことが見えないために
この世の50年100年のことでさえ
先をよく見ていない人があります。

肉体の命がはじけて消えてそして迷いの魂がどこへ行くのでしょうか。
死んだ後に私たちの迷いの魂が一体どういうところに出かけていくのか
と言うことは智慧がないから分からない、
全く分からないから呑気に構えているんです。

果たさなければならない大事なことがあるにもかかわらず、
その命がなくなったら大変な死後の世界へ行かねばならないのに、
仏智をもって明らかにされた親鸞聖人は後生がどうなっているのかということを
明らかにせられて、後生の一大事を教えられて
後生暗い心を晴らすことが人生の目的だと教えられているのです。

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by sakyamuni | 2017-12-18 12:00 | 無常 | Comments(0)