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カテゴリ:無常( 36 )

いろは歌という有名な歌があります。

そのいろは歌の最初の二行を漢字を交えて書くと、
こうなります。

色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ

「色は匂えど散りぬるを」
とは、桜の花は今を盛りと咲くけれど、
あっという間に散ってしまう
ということです。

昔から
三日見ぬ間の桜かな
 といわれます。
またこうも歌われます。

散る桜残る桜も散る桜

これは雨が降ったり風がふいて散る桜もあるがまだ散ってない桜もある。
しかしそれもそのときは、残っただけで
すぐに必ず散っていくということです。
遅いか早いかの違いだけで最後は散っていかねばならない桜。

ですから桜=儚いものの代名詞となっています。

では桜の花だけがちっていくのかとうとそうではありませんよと、次に
「我が世誰ぞ常ならむ」
と言われています。

私たちの世の中に、何が常があるだろうか。
常=ずっと変わらず続く。
この世で何かずっと変わらず続くものがあるだろうか、
いや、ないんですよといわれている。
これを昔から諸行無常といわれます。

そして、その中でも最も激しい無常は自分自身の無常です。
自分自身の無常とは、光陰矢の如しと言われるように、
人の一生はあっという間で、
最後必ず死んで行くことです。

その解決が教えられた仏教の言葉を
いろは歌にあらわされているのです。



by sakyamuni | 2019-05-30 12:00 | 無常 | Comments(0)

臨終の後悔の大きさは?

仏とも法とも知らない人が、今まで求めてきたものすべてが崩れ去って、
臨終思う事です。
生れたからには死んでいきますからね。
仏教を聞いていなくたって、必ず後悔して死んでいくんです。
このような有名な人たちも、後悔しています。



煩悩抱えて、を造り続けている私たちですから、仏法聞いてなくても、必ず後悔します。

でも、問題は仏法聞いてる私たちですよ。
平生達者なときに仏縁あって、後生の一大事を重ねて重ねて教えていただいて、
それにはこういう道を進みなさいと、手取り足取り教えていただいている私たちが、
臨終にする後悔です。

あい難い善知識にお会いして、後生の一大事重ねて重ねて聞かせて頂いて、
その解決にはどうしたら良いかも懇切丁寧に教えていただいている私達と。
その解決できずじまいで、無間のどん底へ落ちていかねばならないとなった時、
その後悔の念、どっちがひどいと思います?

私たちですよ。

後生の一大事さえ解決すれば、
人間に生まれてよかったという
絶対の幸福になれますから、
その解決法を教えられた仏教を、
そこまで聞き抜かなければなりません。


by sakyamuni | 2019-03-27 12:00 | 無常 | Comments(0)

私たちは、元気なときに、恋愛をしたり、仕事をしたり、子供を育てたり、
なるべくバランス良く、色々なことを求めていこうとしています。

ところが、人生はあっという間に過ぎていって、最後には
今までで血眼になって求めてきたものが、夢幻となって消えていきます。
邯鄲の夢のようなものです。

日本でも成功者の代表のようにいわれるのが豊臣秀吉です。
百姓から、天下人になりました。
仕事でも結果を出して、金の茶室のような趣味も楽しんで、
子供もいました。

ところが、臨終に歌ったのはこんな歌でした。

『露と落ち、露と消えにし我が身かな、難波のことも、夢の又夢』

今まで色々とやってきたことは、露のようなはかないものばかりだった
ということです。

難波というのは大阪のことですので、
大阪城を中心に栄養と栄華を築いたことは、
ということは、夢のようなものだったと
寂しい辞世を詠っています。

秀吉だけでないですよ、これは。
私もそうなんです。

今死んでいかなならんとなったとき、
今まで求めてきたものはなんだったのかと、
夢幻と来えていくんです。

そして、今まで夢幻としか思えなかった
後生の一大事が目の前に迫ってくるんです。

その後生の一大事を、元気なときに解決すれば、
変わらない絶対の幸福になれるのです。

それが、本当の生きる意味だと
仏教では教えられています。



by sakyamuni | 2019-03-23 18:00 | 無常 | Comments(0)

独生独死独去独来

みんな寂しい
だから分かってもらいたい。
それでいろんなことをやる。
誰かに自分の悩みを打ち明けたい。
そしてガシッつかんでもらいたい。

自分のすべてをさらけ出して
「それでもキミを愛してる」
と言って寄り添ってくれる人。

これが「理想の男性・女性」です。
私は非常に気を遣うタイプでした。
だからいろいろ気になるんだね。
自分の周りの人がどう感じてるだろうって。
それでついつい、盛り上げなくちゃ、と頑張ります。
しゃべりたい時はしゃべれるんだけど、
自分のしゃべりたくない時はしゃべらないで隣で編物しててくれます。
サービス精神出さずに寄り添える人を求めてたね。
心をさらけ出せる人がいない。
また、どんな人にもさらけ出せないもの持っています。

三木清だったか、
孤独は山の中にない。町の中にある」
といっています。

山の中の孤独は、町にいけば、と思える。
しかし、町で孤独を感じると、どこに行ったらいいんだろう。
1人でいる孤独より、2人でいる孤独の方が寂しい
不倫ってここからくるはず。
主人は何も分かってくれない。
だけどあなたは分かってくれる。

独生独死独去独来
と説かれています。

独り生まれ独り死ぬ。
生まれてから死ぬまでひとりぼっちなのです。



by sakyamuni | 2018-08-31 12:00 | 無常 | Comments(0)

ブッダの出家の原因

ブッダ出家された理由は、
直接の原因は女性の本当の姿をご覧になって出家されたのですが、
その前にこういうことがあったと言われます。

お経に出てくる四門出遊のストーリーです。
これは知っていて貰いたい。

どうして出家されたのか。
四つの門をくぐられる。
東の門。
南の門。
西の門。
北の門。

ある時ブッダが東の門を出られたときにびっくりされたんです。
何をご覧になったかというと、まずは老人ですね。

まずは老人を見られたんですね。
それでびっくりした。
城にはよろしくないもの、老人よろしくないといったらだめだけど、
そういう者は縁がなかった、そういう風にしていた。

ところが老人を見られたときにびっくりした。
あれは何だ。
老人でございます。
私たちもあんな姿になるのかとびっくりした。
どんなに若く綺麗な人でも、
歳を取れば、見るも無残な姿になってしまいます。

年寄り笑うな行く道じゃといわれる。
びっくりされたんですね。
ブッダは今は若いけれども
やがて年老いて行かねばならないのかと知らされた。

更に南の門を出られたときに病人を見られる。
あれは何だ。
病人でございます。
私は健康だけれどやがてあんな病人になって苦しまねばならないのか。
驚きを立てられます。

西の門を出られたとき死人を見られた。
日本では写真でもテレビでも見たら良くないということで見れない。

死人を見るとびっくりする。
やがて死んでいかなければならないのか、
死んだらどうなるのかとびっくした。
仏教講座にさしさわりがなければ
葬式無常を見つめるご縁と出たらよいのです。

そして北の門を出られた時、修行をしている人を見られて、
本当の幸せ欲望を満たす以外にあると思われたのです。


by sakyamuni | 2018-07-10 18:00 | 無常 | Comments(0)

蓮如上人の白骨の章は、
このように白骨という言葉が遣われているので
白骨の章といわれます。

「されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」

朝、元気な顔で行って来ますと出かけた人が、
夕方には変わり果てた姿で帰ってくるということもあります。

毎日交通事故でたくさんの人が亡くなっています。
昨日も沢山の人が亡くなりました。

その人達は、朝出かけるとき、
今日が自分の死ぬ日だと思って
泣きながら洗顔したでしょうか?

今日が死刑執行の最後の日となったら、
永遠の別れの日ですから、
泣き泣きです。

ところが、昨日交通事故で死んだ人たちは、
私たちとまったく同じように
顔を洗ってでかけたと思います。

死ぬと思っていない人がどんどん死んでいるのです。

「されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」

朝は元気だったのに、夕方には死んでいるのです。

「既に無常の風来りぬれば、即ち二の眼たちまちに閉じ、
一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬる」

無常の風とは死のことです。
仏教では死のことを無常の虎と、虎に譬えることもあります。
無常の風が吹いたならば、目は閉じ、息も絶えてしまいます。
そんな時、吸った息を出してくれと思っても、できません。
永遠に息が切れて、顔色も血の気が引いてしまいます。

そんな儚い人生、どうすれば
本当の幸せになれるのか、
仏教に教えられています。

by sakyamuni | 2018-05-25 18:00 | 無常 | Comments(0)

人生は儚い邯鄲の夢

「人間はただ電光・朝露の夢幻のごとくなり」

蓮如上人が御文章で言われています。
1帖目11通。

電光」とは稲妻、稲光のことです。
ほんの一瞬です。速いです。

あの人は90才、100才といっても、
その人の人生はあっという間なんだと。

朝露」もあっという間に消えてしまいます。
儚いのです。儚い代名詞です。

私たちの一生涯、思い通りにいったとしても、
邯鄲の夢のようにあっという間に消えて行くものが
私たちの一生なんですね。

夢の中で宝くじ1億円あたったとします。
目が覚めてしまえばもう何にもありません。

それが私たちの一生涯なのだと。
無常の風、それが吹くと
どんな人でもばたばたばたと死んでしまうのです。
いつ死んでいかねばならないか分からないのです。

今死んでいかなければならないとなった時、
これは自分の体だ、とか
自分の家族だとか、
自分の金だといったも、
全部おいていかねばならないのです。

もし、今日死んだら、
この体が3日後には灰となってしまうんです。


by sakyamuni | 2018-04-25 12:00 | 無常 | Comments(0)

賽の河原の石積み

流転輪廻をしている私たちの姿を、
徳川家康は、
人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし
といっています。

徳川家康は、私たちが欲しいと思っているようなものを
全部持っていました。
それでも喜びは続かずに、
次のものを求めます。

まるで賽の河原のようです。


賽の河原というのは、子供が石を積み上げていると
鬼が壊しにやってきます。

川のほとりの砂場でつくった山を
固めてつくっていると壊しにやってきます。

またつくっていると、また壊しにやってくる。
何とも切ない。

砂あそびだったら可愛いものだけれど、
仕事をして、
お金を稼いだり、
家を建てたりします。

砂がそういうものになっただけで、
地震などがきて、そういうものが崩れてしまいます。

以前、インドでは瓦礫の下に7万人の人が埋もれてしまった。
ここ数年で最悪の被害です。

阪神大震災、東日本大震災の比ではない。

神戸とえば100万ドルの夜景が見るも無残になってしまった。
がんばろう神戸と復興して、表面的には復興してきました。

しかし、それも表面的なものでまた地震が来たら壊れてしまいます。
諸行無常です。

インドは人口も多く、
地震はマグニチュード7.9、
大変な地震でした。

私たち壊れたらまた造る、
壊れても壊れてもまた造っていきます。

賽の河原です。


by sakyamuni | 2018-04-08 12:00 | 無常 | Comments(0)

仏教についてわかりやすく解説している
長南瑞生氏という人がいます。

今度、KADOKAWAから新刊を出すそうで、
ネット上でも話題になっています。



『不安が消えるたったひとつの方法』の目次も公開されていますが、
仏教のかなりつっこんだ内容になるようです。

変な仏教学者よりも、
長南瑞生氏のほうが、
仏教について伝統的で正確です。

「仏教ではこう教えられていると思う」
ということではなく、
根拠があるオーラがあります。

しかもわかりやすく学べます。

仏教離れが進む現代では、
仏教の流れが変わっていくといいですね。

3月15日に発売だそうですが、
期待の新刊です。




by sakyamuni | 2018-03-06 12:00 | 無常 | Comments(0)

寝ても覚めても忘れてはならないのは
後生の一大事の解決です。

後生の一大事とは、
死後の世界にある一大事です。

仏法は後生の一大事に始まり
後生の一大事の解決で終わります。

この後生の一大事、寝ても覚めても
忘れてはなりません。

今晩死んだら
常に我が身の無常を問いつめて
仏法を聞かねばなりません。

この無常と罪悪、
因果応報、これらは厳粛な事実ですから、
あなたの都合で驚く驚かないは、関係ありません。

昔こんな歌を作った人があった。

とりつめて聞く気もあらぬ身なれども
無常の風は急げとぞ吹く

こう歌った人がありますね。
後生、無常を問いつめて聞かねばならないのが
仏法ですがなかなか聞きません。

なかなか驚かない鈍感な自分だが、
驚く驚かない関係なく無常の風は
急げと吹いています。

今度は自分の晩ですよ。
風はやんでも吹雪はやんでも、
無常の風は止みませんから。

無常を風に喩えているのは
風は目に見えないもので、
突然襲ってくるからです。

元気なのも全然当てにはなりません。

ある人がくも膜下出血で亡くなりました。

昨晩までは何ともない状態だったのが、
翌朝頭ががんがん痛いといわれたのが最後だったそうです。

だからあなたが大丈夫だと思うのは全然当てになりません。
無常の風は急げと吹いています。


by sakyamuni | 2018-03-04 12:00 | 無常 | Comments(0)