本当の生きる意味というのは
孔子の言葉をかりれば、
「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」
というものです。

この孔子の言葉では、「」が本当の生きる目的にあたります。
つまり、これ一つ得たならば、
もういつ死んでもかまわないといえるものです。

それを得たならば今晩死んでもかまわないということです。
だから、この木曜日でいつ死んでも後悔なし、
と思えたならば、あとは大満足になれるんです。

命懸けという言葉があります。
何に命をかけるかです。

だらだら生きた人。
だらだらと命をかけてきた。
命をかける、何に命をかけたらいいか。

最後は死にますから、
どっちみち何かに命をかけるのです。
だから何に命をかけるか、それが大事です。
それについて教えられているのが仏教です。
儒教ではありません。

仏教を知らない場合、
有名な人や歴史に名を残した人でも、
後悔している人はたくさんいます。



# by sakyamuni | 2019-02-21 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

暇つぶし=キル・タイム

英語でキルタイム(KILL TIME)というのは、
暇つぶしという意味です。

暇つぶしというのは、ヒマな人がよく使う言葉です。

そういえば自殺というのは、考えてみれば
キル ライフタイム KILL LIFE TIMEということになります。
命というのは、自分が与えられた時間だからです。
生まれたときに80年の時間を受け取ります。

その時間をつぶすというのは、
英語の文化の人は、自殺と一緒だとわかっているから
キル・タイムというのかもしれません。

自分の時間を積極的につぶすのかどうかの違いであって、
暇つぶしは自殺と変わらなくなってしまうということです。
自分の存在意義が感じられないのでしょう。
虚しい話です。

自殺といっても、一気に時間をつぶしてしまうか、
徐々につぶしているかの違いあって、同じ事になります。
モラトリアムというのも同じようなものです。

自分で自分の時間をつぶしてしまうというのは、
生まれてから死ぬまでの80年間に何をすればいいのか
というのが生きる意味すが、
生きる意味がないということです。

本当の生きる意味は仏教に教えられているのに
勿体ないことです。


# by sakyamuni | 2019-02-18 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

初めて仏教を聞きに来た人と話をするのが怖い場合、
どうしたらいいのでしょうか。

このような人は、結構います。
そういう場合は、相手の立場に立つことが大切です。

そうすると、むしろ向こうが怖がっていると思います。
多分怖がっています。

自分のこと嫌われるのではとビクビクしています。
立場関係からいうと初めて聞きにきた人より、
すでに聞いている人が有利です。
経験も豊富で友人もたくさんいます。

初めての人のほうは、10人ぐらいなら別ですが、1人きりです。
そこでこちらが怖がっていて避けていたら、余計怖がって行きたくなくなってしまいます。
実際には向こうが怖がっているのです。
初めての人のところへ行ってあげることが
「あーよかった。安心していいんだ」
と思ってもらえます。
向こうのほうが怖がっているのだから恐れることはありません。

安易に
「何か質問ある?」
と聞くのはプレッシャーを与えてしまいます。
こちらが思っているのとは逆です。
向こうの不安のほうが大きい。

前から聞いているこちらが是非教えてあげて欲しい。
不安に思っていること、そういうことを話して欲しいところです。
そうすると仏縁が結べて、本当の生きる意味を伝えることができます。


# by sakyamuni | 2019-02-14 12:00 | 顕正 | Comments(0)

自利利他の菩薩の精神

おおよそ、心のコントロールができないということは、
大人とは言えません。

子供はいいことがあると喜ぶし、
嫌なことがあるとすぐに腹を立てます。

仏教がすばらしいから伝えたいと思っても、
言い返してくれないと悲しむし、
腹を立てることをおそれて言えないというのが多くあります。

仏教を伝えるのは、そんな自分の殻を破るいいチャンスです。
縁がなければ破れないからです。

また、考え方を変えると楽になります。
ダメでもともとです。
「断られてもともと、でも、声をかけてみるか」
こういう風に声をかけてみましょう。
それでダメだった、
こういう気持ちです。

「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」
下手だとあたる確率が低い、
だけど撃っているうちにだんだん上手になる。
そういう精神が大事です。

そうすると、相手に幸せを伝えるままが、
自分の仏教の理解が深まって、
自分が本当の幸せに向かって進むことになります。
これが自利利他です。

子供は餓鬼といわれるように、我利我利亡者です。

菩薩の精神は、
自利のままが利他、
利他のままが自利という
菩薩道です。

教える人は、2倍学ぶのです。


# by sakyamuni | 2019-02-12 00:00 | 顕正 | Comments(0)

仏教では、嘘はだと教えられています。

しかし、には嫌になる嘘もありますが、
問題にする必要がない嘘もあります。
また、本当のことを言ったほうが悪の場合もあります。
状況に応じて、非常に難しいものです。

例えば
「嘘比べ 死にたがる婆 止めたがる嫁」
嫁さんが姑さんに冷たくする。
自分たちが食べる物と同じ物ものばかり出す。

それに嫌になった姑が、
「あーあ私は死にとうなった」
少しは、私に気を使わんかい!といったようなこと。

そうすると、嫁は止めに入る。
「おか〜さん。そんなこといわずにいつまでも長生きしてくださいね。
おか〜さんは一家の太陽ですから…」
とハンバーグを出す(笑)。
全然こたえていませんよ。
と口であらわす。

心の中ではけんかしています。
旦那が見ていたら、肌寒くなります。

でもそこで「うそじゃないか!」という必要はありません。
世の中にはよくあることと寛容にしなければならない。

どうしてもつかなければならないうそもあります。
家族が末期癌を告知されます。

もう回復の見込みはないとわかっているのですが、
奥さんが赤い目をしながら、
「早くよくなってね」といいます。

このときに奥さんを
嘘をつくとは許せん!
と責められません。
心を汲み取ります。

そこまで考えれば、容認できるし、感謝できます。
また「許せん」と思う心も変わります。


# by sakyamuni | 2019-02-07 12:00 | 罪悪 | Comments(0)