鎌倉時代の古典、教行信証に、
難度海を度する大船」とあります。

難度海というのは、私たちの人生のことです。
生きる意味がなかったらどうなるでしょうか。

それは見渡す限り水平線のところに、放り込まれて、
そこを泳いで行かなければならないようなものです。

芥川龍之介の「珠儒の言葉」にもあります。
難度海はちょうどそのようなところ。
この場合、どこへ向かって泳げばいいかわからない。
360度水と空しか見えない。
そんなところにいたら、まるきり目標が見えない、目的地が見えません。
不条理な人生です。

だけどじっとしているわけにはいきません。
沈んじゃいます。
それで泳ぐわけです。
難度海というのは、私たちの人生をたとえられたものですから、
泳ぐということは、私たちが生きるということです。

でもそんなところを泳ぐだけ泳いで行ったらどうなるでしょうか。
見渡す限り大海原ですから、死んじゃうだけです。
これおかしい。

私たちはどこへ向かって生きていくのか。
生きる意味がないのはヘンということです。
それがあれば、働く意味も出てきます。


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# by sakyamuni | 2018-10-16 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

地球上で三大聖人、二大聖人と言われてもトップのブッダ
そのブッダが頭を下げられる方が阿弥陀如来です。

阿弥陀如来一つへ、向かえと言われています。
私の力では助けられない、だから阿弥陀如来の方へ行け。
このブッダ45年間の教えの説法の結論です。
このように説かれています。

一向専念 無量寿仏(大無量寿経)

一切経7000余巻が、この8文字におさまります。
これを教えて行かれたのがブッダです。

ブッダ阿弥陀如来の光明の素晴らしさを、
大無量寿経に教えておられます。

無量寿仏の威神光明は最尊第一にして、
諸仏の光明の及ぶこと能わざるところなり(大無量寿経)

威神とは、ものすごい、ということ。
光明とは仏の力です。
ものすごいお力、これが威神光明といわれています。

その直後に
ただ我今其の光明を称するのみにあらず、一切の諸仏・声聞・
縁覚・諸菩薩衆もことごとく嘆誉したまうこと、亦復是の如し。
(大無量寿経)

我とはブッダのことです。
諸仏の中から特に優れている。
だから諸仏は阿弥陀如来を誉めたたえておられるのです。
「またまたかくのごとし」ですから、
大宇宙の仏がたは、大日如来薬師如来も、
ブッダと同じように、阿弥陀如来一つに向きなさい
と教えられているのです。


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# by sakyamuni | 2018-10-14 12:00 | 仏教 | Comments(0)

若者が今求めているもの

メル友とか、コミュニケーション能力とか、
若者はみんな色々考えて悩んでいるようだけど、
結局、共通しているのは、不安
心が暗いから、暗い自分を明るい自分に変えたいと考えていること。
一生懸命、人から明るいねって言われるような自分を演じている。

しかし、心の底にはそうでない自分がある。
これでは見せかけの明るさ、幸せということ。
こんなことを続けても、いつまでたっても誤魔化しの自分ということになる。
本当に心の底から喜べる自分にはなれない。
ごまかしのまんま。

だから、本当の自分を探すということが極めて大切じゃないかな。

本当の自分とは、心の底から喜べる自分。
生きててよかった、と喜べる自分。
心の底から幸せな自分。
これを教えられたのが、仏教
つまり、生きる意味
これは、幸せになること。
本当の幸せになること。



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# by sakyamuni | 2018-10-12 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

大学に入ったら、有意義に暮らしたい。
充実した生活を送りたいと思ってる人は結構多いんじゃないかな。
けど、有意義って何だろう。
充実してるって何だろう。
意義があるって、その意義は?
実が充填ってその実りは?
これが分からなかったら、有意義な生活も充実した生活も送れない。

20年くらい前から、大学で言われていること。
三無主義
・無気力
・無関心
・無責任
ほかにも無感動なんてのもある。
気力がない。
何に対しても興味関心を示さない。
責任感がない。
全部他人に任せてしまう。

結局何したらいいのか分からない。
単なるモラトリアム状態。

たたずみあなたっていうのがいるらしい。
以前の日経新聞に出てる。
たたずんでしまっている人
どこにいるのかというと東大の本郷キャンパス
本郷生の約一割、つまり、600人くらいが、
保健センターでカウンセリングをうけた。

それらの人に共通しているのは、
いったい何を勉強したらいいのか分からない。
何をして生きていいのか分からない。
院生であれば、何を研究すればいいのか分からない。

こんな人が増えているらしい。
これは単なる五月病にはとどまらず、
スチューデントアパシーになってしまっている。

そういえば文部科学省では、
なぜ勉強しなければならないか。
この答えを平成13年中に出す、と言っていた。

現場では誰も答えていないということ。
親も先生も誰も答えられないから、こんなことになっている。
それどころか、行政機関も誰も分かっていないということ。
ものすごい虚無感です。


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# by sakyamuni | 2018-10-10 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

医学の行き詰まり

医学は、色々な意味で大変です。
実は大きな矛盾をかかえているのです。

そもそも医学部の学生も大変です。
6年間です。
4年間と違います。
しかも文学部と1年間の大変さも違います。
試験期間も比較的長いです。

では大学を卒業したら医者になれるか?
なれません。
それからまた実習とかあります。

一人前の医者になるとなったらスゴイお金、
労力は大変なものです。
医学一つに大変なお金が投入されています。

この医学もいき詰まっています。

医学は命を延ばすことを無条件に価値があるとしていますが、
延ばした命で何をするのか?
これに答える事ができないからです。

この象徴的な事件が3年ぐらい前にありました。
心臓の臓器移植のときのことです。
心臓移植、どうやってするのか?
カッターナイフではできません。

非常にお金もかかりますし大変多くの人が携わって
ようやく命が助かりました。

その結果、
「延びた命で何をしますか?」
とインタビューを受けて、
その答えは
「阪神戦を見ながらビール飲みます」

なんかせっかく伸ばした命なのに・・・。
医学では命を延ばす目的を教えません。
生きる意味がわからないのです。

これがわからなければ、医学の意味もわからなくなります。
生きる意味は、仏教に教えられていますので、
医学に仏教は必須ということになります。




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# by sakyamuni | 2018-10-08 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)