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因果応報だから未来が分かる

仏教というと、お経も沢山あるし、色んなことを教えられているんだろうな、

と思う人も多いと思います。

でも実は、「後生の一大事」という、たった一つのことを教えられているんです。

お釈迦様が45年間かけて説かれたのも、結局はこのこと。


「後生の一大事」というのは、

後生」とは、死んだ後のこと。

「一大事」というのは、もう取り返しがつかないということ。

私たちが息を引き取ったその瞬間から、取り返しのつかない一大事が待っている

ということです。


この世のことなら、気持ち一つで何とかなることもありますよね。

でも、死んだ後のこととなると、絶対に取り返しがつかない。


ある仏教の先生が、亡くなる直前の方に話をしてほしいと頼まれた時のこと。

家に帰ってお風呂に入ろうとして、ふと自分の足にホクロがあるのを見つけた瞬間、

こう思ったそうです。

「このホクロ一つで人生設計が全部崩れることもある」と。


臨終には、それまで大切にしてきたものが全部崩れ去ってしまう。

それが死というものなんですね。


ある14歳の少年が、人生の最後に直面した問題。

それは「これから僕は一体どこへ行くの?」ということでした。

もうそれ以外、何も気にならなかったそうです。


地位や名誉のある東大の教授でも、14歳の少年でも、死を前にしたら問題になるのは

「今、死んだらどうなるのか」という一点に絞られるんですね。


普段はタレントの話題とか、宇宙の話とか、色々気になっていても、

死が目の前に迫ると、そんなことどうでもよくなってしまう。

この少年も「死んだらどうなるの?」と真剣に聞きたかった。

その時、仏教の先生は「因果の道理」を説明されたそうです。


すべての結果には必ず原因がある。

これが「道理」で、絶対に変わらない法則ということです。


因果の道理は

「善因善果 悪因悪果 自因自果」

善いことをすれば善い結果がかえってくる。

悪いことをすれば悪い結果がかえってくる。

蒔いた種に応じた結果がかえってくるということです。


例えば、1時間勉強したら、その分の結果がかえってくる。

5時間勉強したら、その分の結果がかえってくる。

これって当たり前のことですよね。

でも、この法則は今この世界だけでなく、過去・現在・未来の三世を貫いています。


私たちが「今、ここに生まれた」という結果。

その時点でも、人生は大きく変わります。

もし違う時代に生まれていたら、どんな人生になったでしょうか。

もし違う国に生まれていたら?

もし身体に障がいを持って生まれていたら?

全然違う運命になっていたはずです。


では、誰がそれを決めたんでしょうか。

神様かというと、そんなことはなくて、

仏教では、そういう結果にも必ずそれに応じた原因があると教えられます。


生まれてから死ぬまでを「現在世」と言いますが、気がついたら生まれていて、

学校に行って、社会人になって、と時間が過ぎていきます。

でも、その「生まれた」という結果があるなら、生まれてくる前の世界、つまり過去世がなければならない。

そうでないと、なぜ私が今ここにいるのか、説明がつかないんです。


もし記憶喪失になったとしても、現在の自分のすがたを見れば、

過去にどんなことをやってきたかある程度分かります。

数学が得意なら、過去に数学を頑張ってきた。

卓球が得意なら、過去に卓球をやってきた。

そういう因果関係があるんです。


同じように、死ぬというのも「原因」です。

人を殺して死んでいく人、誰かを助けようとして死んでいく人、

色々な死に方がありますが、どういう結果を受けるかは、その原因を見れば分かります。


お釈迦様はこう言われています。

「過去の因を知りたければ、今の結果を見なさい。

 未来の結果を知りたければ、今の因を見なさい」と。


私たちが今日1日生きたということは、1日死に近づいたということ。

「今日はあれをしよう、これをしよう」と色々考えているけれど、

必ず自分が死ぬという時が来る。

そして、その先はどうなるか分からず、真っ暗です。


そんな状況で、今何をしたら本当に満足できるでしょうか。

真っ暗なところへ突っ込んでいくのに、不安しかないですよね。


こんなたとえ話があります。

目の前に一つの扉があって、1時間後にはその向こうに行かなければならない。

たくさんの人がすでに向こうに行っているけれど、

向こうで何が起こっているのか誰も教えてくれない。

そんな時、この1時間に何をすればいいんでしょうか。

心は真っ暗です。


これが1時間ではなく80年以内だったら、

向こうが全然分からなくても、本当に心の底から安心できるでしょうか?

家族がいて、お金があって、それで安心できますか?

「今すぐ行かなきゃいけない」となった時、

「今まで何してたんだろう」と気づく。

「これから一体どこへ行くの?」と、この一点になるんです。


大学生活で何をするかは、大学卒業後に何をするかということが大きく関係してきます。

医者になるなら医学の勉強をするとか。

同じように、死んだらどうなるかが分かれば、今何をすればいいか分かる。


でも、死んだらどうなるか分からない。

だから何をしても、本当の安心も満足もない。

そうだとすれば、これ一つを解決しなければならないとなる。

それでお釈迦様は、これ一つを解決する方法を教えてくださっています。


死んだらどうなるかがハッキリしなければ、何をつかんでも同じ。

この解決を教えられたのが、お釈迦様であり、親鸞聖人です。


人間というのは、いつ割れるか分からない薄い氷の上に立っているようなもの。

だから、いつも不安なんです。


何もない部屋にいたら、何かせずにはいられない。

人は不安になるから、何か資格を取ればいいんじゃないか、お金を稼げばいいんじゃないかと求めます。


以前、イスラエルの結婚式場で、突然床が崩れ落ちるという事故がありました。

まさに、いつ割れるか分からない薄い氷の上に立っている状態。

それが突然バリバリとヒビが入る時がある。

その時、「その先は一体どうなるの?」と思う。

それが分からないから不安で、何かに狂ったように熱中するんです。

それを見ないようにしても、解決にはなりません。


死んだらどうなるかは、因果の道理で決まります。

つまり、現在の種まきで決まるということです。

今自分はどんな種まきをしているか。

本当の自分を見れば分かります。


お釈迦様はこう言われています。

心常念悪 口常言悪 身常行悪 曽無一善」大無量寿経)


心は常にを思い、口は常に悪を言い、身体は常に悪を行って、

これまで一つのもないということです。

「あなたの知らない本当のすがたは悪なんですよ」と。


こう聞いても、正直、そうは思えないですよね。

もしこう思えたなら、今何をしたらいいか分かるはず。

生まれてからの種まきがこうだったら、死んだらどうなるかはハッキリ分かる。


浦島太郎は、なぜいい人だと言われるのか知っていますか?

みんながカメをいじめている中、お金を払ってまで助けてあげたから。

それで「いい人」だと。


でも、その浦島太郎が肩に担いでいるのは、今まで何千という命を奪ってきた釣り竿。

そのことには全然気づいていない。

今まで自分がどんなことをしてきたか、全然認識してないんです。


少しいいことをするまでに、心の中では何回人を殺してきたか分からない。

そんなことは、自分の評価の対象にならないので、自分のつくっている悪には無自覚で、

いいことばかりに目が向くんですね。


もう一つ、私たちが「自分はいい人」と思うのは、誰かと比べてそう思う。

真っ暗闇のところにロウソクが現れて「私は明るいぞ」と言った。

そこにランプが現れて、同じことを言う。

そこに電気が現れて、また同じことを言う。

最後に太陽が現れたら、それまでの明かりはみんな暗くなったという話があります。

これも比較して明るいとか暗いと言っているわけです。


人間というものを客観的に見ると、本当の人間のすがたはこういうもの。

これまで心の奥深くの阿頼耶識におさめられてきた悪い行いが、

一気に自分にかえってくる一大事がある。


お釈迦様が「人間は悪しかつくれない。だから後生は地獄だ」と教えられたのを聞いて、

親鸞聖人は、最初は「お釈迦様が教えられているから」としか受け止められなかった。

でも実際に仏道を歩んで、光に向かっていくうちに

いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄

と知らされた。

善のできない自分は地獄行きだと。


地獄は誤解されやすいのですが、地獄というのは、そういう世界があるのではなく、

自分の悪い行いによって生み出すものです。

が待っていて何かされる場所ではなくて、

「苦しみの境涯」という意味です。


この後生の一大事が分かった時、苦しみ悩みの根本原因である心の闇が破れて

変わらない幸せに救われます。

心から光に向かって進まなければ、自分の本当のすがたはハッキリしません。


「自分は死んだらどうなるのか」

仏教の教えを真剣に聞かせていただくことが大事です。


by sakyamuni | 2025-11-05 12:06 | 仏教