智慧と慈悲で煩悩具足が至徳具足

阿弥陀仏の本願とはどういうお約束か。
智慧慈悲によってたてられたお約束です。

光明、智慧の働きによって、全人類の機の真実が照らし出されます。
それが逆謗の一機です。
言葉を変えれば、煩悩具足の凡夫です。

無量の光明に照破されて、
なんとまあ馬鹿なやつだ、
箸にも棒にもかからないやつだと、
照らし出されて、懺悔となります。
信心決定しても煩悩は変わらないから、
随犯随懺です。

そんなにもあさましい醜いやつが、
そっくりそのまま至徳具足、
煩悩具足の者が、功徳の海水に満たされて、救われます。
なんてもったいない、かたじけない本願。
そう知らされるほどいよいよたのもしく思われます。

法の深信のたった人にとっては、ご恩喜ぶたねとなります。
片方だけあるということはありません。
懺悔と歓喜に身も心もゆり動かされます。

信前の人にとってはまったくわかりません。
けど、煩悩具足ということは、
過去の経験から照らしてなんとなくわかったような気になります。
生まるべからざる者が生まれます。
絶対助からない者が助かるとなります。
そうなると、こういうことがなんとなくわかりやすい。
廻心懺悔も同じです。

無二の懺悔がさせられます。
三品の懺悔です。


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by sakyamuni | 2018-09-06 12:00 | 罪悪 | Comments(0)