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浄土真宗の西本願寺と東本願寺の主張の違い

浄土真宗に東と西があります。
おおまかに言うと、
東本願寺は、生きているときの救いだけを説きます。
西本願寺は、死んでからの救いだけを説きます。

東の主張というのは、
宗教偏見のある人とかにでも受け入れられやすい。
この世での心の変換を説いた、だから親鸞聖人は素晴らしい、
と言います。
親鸞聖人が「この世の救いのみ」を説かれたかどうか、
それはエピキュロス派に聞かなくても、
親鸞聖人がどう書かれているか、
どうおっしゃっているか、そこに立たなければなりません。

どこに書かれていますか。
末灯鈔です。

信心の定まると申すは摂取にあずかる時にて候なり。
その後は正定聚のくらいにて、まことに浄土へ生まるるまでは候べし」
(末灯鈔)

ここでの「生まるる」は
肉体が死んでから生まれるとしかとれませんね。
その前にもあります。

「この身は今は歳きわまりて候へば定めて先立ちて往生し候わんずれば、
浄土にて必ず待ちまいらせ候べし」(末灯鈔)

ここでも「この親鸞もう死ぬぞ、そして浄土で待っているぞ」
と言われていますので「往生」は死んで極楽へ往くということになります。

彼らがエピキュロス派がどうのこうの、と言ってきたら、これを出せばいいです。
親鸞聖人が死んだ後の往生があるとハッキリ説かれています。
浄土真宗の看板を掲げるからには、親鸞聖人のお言葉によらねばなりません。

他にもあります。
「この世にて真実信心の人を護らせたまえばこそ『阿弥陀経』には
「十方恒沙の諸仏護念す」とは申すことにては候へ。
「安楽浄土往生して後に護りたもう」と申すことにては候わず。
「娑婆世界に居たるほど護念す」とは申すことなり」(末灯鈔)

どんなに強引な解釈をしようと、
ここでの「往生」は死んでからの往生です。
この世でも護られる。
そして死んでからも護られる。
という文書ですから。
2回の往生を教えられたのが浄土真宗です。



by sakyamuni | 2018-08-15 13:00 | 信心