働いても幸せになれない

親鸞聖人は、この世の中のことを難度海と言われました。
また生死の苦海とも言われています。
今日、科学が発達しても、苦しみは変わりません。
こんなに苦しいのならば死んだ方がましだと自殺する人は、
日本で、分かっているだけでも年間3万人近くもいます。

病死などで隠れている人もいれるとその3倍はいると言われています。
今日、交通事故で毎日沢山の人がなくなれらていると報道されていますが、
交通事故で亡くなる人は年間1万人ですから、
自殺する人はその3倍です。

科学が発達して、臓器移植がなされるようになっても、
苦しみは変わりません。
この海には丸太や板切れが沢山浮いています。
どんな丸太がありますか。
お金、財産、地位、名誉、家族、その他いろいろです。
私達はこれらのものをあてにして生きています。
全人類は金信心なのです。
神や仏を信じているだけが信心ではありません。
頼りにする、当て力にすることを信心といいます。
これらのものを信じていても必ず裏切られます。

火山の噴火の事故で、これらのものを失ってしまう人もいます。
「この坂を越えたなら、幸せが待っている、
そんな言葉を信じて、越えた七坂四十路坂」
と都はるみは歌っています。

この苦しみが解決できれば幸せになれると思って頑張るのですが、
また別の苦しみがやってきます。
これでは働く意味がわかりません。

「越えなばと思いし峰に来てみればなお行く先は山路なりけり」
長生きさえすればいいのか。
「長生きすれば恥多し」
と言われます。

こんな恥ずかしい目に遭うのならば、
あの時に死んでいればよかったということになります。

この世には当て力になるものは何一つありません。

親鸞聖人は
「火宅無常の世界は万のことみなもって空言たわごと
真実あることなきにただ念仏のみぞ真実にておはします」
と仰っておられます。

この世のすべてのものは、
あて力になるものはありません。
その中一つだけあります。

ただ念仏のみぞ、
真実にておはしますと言われていますが、
念仏とは阿弥陀仏の本願のことです。

難思の弘誓は難度海を度する大船
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり

このお言葉では、難思の弘誓というのが阿弥陀仏の本願です。
阿弥陀仏の本願は、苦しい人生を明るく楽しく渡す大きな船です。
この船に乗せていただいて、
人間に生まれてよかったという身になるために
生きているのです。
この船に乗るのが本当の生きる目的です。

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by sakyamuni | 2018-05-23 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)