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歎異抄と後生の一大事

後生の一大事ということ
歎異抄第2章から
よく分かります。

常陸の平太郎さんが十余カ国を越えて、
大変な道中命懸けではるばる京都の
親鸞聖人を訪ねたのは、
後生の一大事解決の為です。

後生の一大事とは死んだらどうなるの一大事です。
その解決を教えられたのが浄土真宗です。

後生の一大事は大変な問題だということ
関東で親鸞聖人が常々教えて頂いていましたので、
その後生の一大事解決できるかどうかの一向専念無量寿仏も
大変な問題と言うわけです。

主人から熊野に参れと言われて、もし行ったら、
釈尊出世の本懐の一向専念無量寿仏
を破壊することになる。
ねじ曲げることになる!!
わが後生の一大事解決はどうなるんだ!
これは大変だ!

このこれは大変だ!
という気持ちが平太郎を関東から京都へとおくりだしたのです。
あなたは「これは大変だ!!」
という気持ちありますか?

私達、朝から晩までこの後生の一大事ということ頭に掛かっていません。
掛からないということは後生の一大事のこと何とも思っていないと言うことです。
大問題とは思っていないから命をかけてまで求めないといけないものと分からないのです。
後生の一大事なんてないと思っている心です。

では後生の一大事はないのか?
ブッダが、後生の一大事の一大事が大問題だからこそ
教えられているのです。




by sakyamuni | 2017-12-30 12:00 | 仏教