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親鸞聖人と善導大師はまったく反対?

親鸞聖人は、善導大師を褒め称えて、
「善導独明仏正意」
といわれた。

その親鸞聖人が善導大師のお言葉の意味を
ガラッとひっくり返された。

善導大師は、外に賢善精進の相を現ぜよ。

親鸞聖人は、外に賢善精進の相を現ずるな。
そんな外側で良いことなんかするな。
全く違います。

なぜか。
内に虚仮をいだけばなり。
どうせ心でひどい事ばかり
思っているではないか。

外面だけよくしてどうするか。
つまり三業で善をする事を廃された。
善導大師は身口意の三業で良いことしなさい。
親鸞聖人はやるな。
では善導は間違っているかというと。

「善導独明仏正意」
一体どういうことなのか。

その理由は

浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄の心もさらになし(悲嘆述懐和讃)

外儀のすがたはひとごとに
賢善精進現ぜしむ
貪瞋邪偽おおきゆえ
奸詐ももはし身にみてり(悲歎述懐和讃)

悪性さらにやめがたし
 こころは蛇蝎のごとくなり
 修善も雑毒なるゆえに
 虚仮の行とぞなづけたる
(悲歎述懐和讃)

小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ
如来の願船いまさずは
苦海をいかでかわたるべき
(悲歎述懐和讃)

蛇蝎奸詐の心にて
 自力修善はかなうまじ
 如来の廻向をたのまでは
 無慚無愧にてはてぞせん

あますところなく自己の実相を弥陀の心光に照破された親鸞聖人は
善導大師の文章をこのように色読せずにおれなかった。

なぜ意味が反対か。

善導大師は
「この道を進めよ、良いことをして行きなさいよ、
身業でも口業でも一生懸命良いことをしなさいよ、
この道をすすみなさい」
と教えられた。
善の勧めです。

親鸞聖人は善導大師の教えの通りにすすんでいったら
どんな姿が知らされるのか、
ゴールインしたときの真実の姿を教えられているんです。


by sakyamuni | 2017-10-19 18:00 | 信心