悪人正機

十方衆生がみんな救われるまで、活動せずにおれない、
というのが、御臨末の書。
親鸞聖人の御遺言

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。       (御臨末の御書)

その一人は親鸞なり。
仏教を聞いて救われて、
喜んでいる人の所に親鸞も帰っておるぞ。

でも、それは救われた人だけでしょ。
こう言って、親鸞聖人を極楽に追いやっている人ばかり。
私は、まだ決勝点を突破していないから関係無い。

そうではない。
そういう人のもとにも来ておられる。
衆生苦悩我苦悩の聖人を忘れている。

求道は、進めば進むほど波が高くなる。
二河白道の譬え。
苦しみが多くなる。
群賊悪獣悪知識、
「そんな時間とお金を使って
 仏法を聞く必要ないでしょ。一緒に遊ぼう」
進めば進むほど、群賊悪獣もひどくなる。
ボートも早く進めば進むほど、波がばげしくなる。
ゆっくりのんびりしている人は、そういうことは無い。

親鸞聖人はこの道進んでいる人を応援してくださる。
こんな親鸞が救われたんだから、頑張ってこの道進んで下さいね。
こういうお言葉と御臨末の書を味わわずにおれない。

弥陀の本願は悪人正機。
他の人には分かってもらえない求道上の悩みがある人は
道を進んでいる証拠。
それを、ある意味慶びにして、求道に拍車をかけてもらいたい。

なぜ帰って来られるのか。
みんなが救われているのなら、必要はない。
難度海で苦しんでいる人、たくさんいるから、
極楽で、のんびりしてなんかおれない。
活動せずにおれない。

求め抜いた人だけに、来て喜ばれるはずがない。
この道を進んでいる人の元に親鸞来ておるぞ。
横におられて励まして下される。




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by sakyamuni | 2017-08-23 12:00 | 二河白道 | Comments(0)