破邪顕正せざる者は仏弟子でない(涅槃経)

僧にして、法を壊つ者あるを視ながら、
これを黙視し、更に呵責駆遣せざる者は、
この僧は、これ仏法中の怨なり。
若し、よく駆遣呵責せば、これ我が真仏弟子なり。
(涅槃経)

呵責駆遣とは誤りを打ち破る事。
破邪すること。

あなたは仏法壊して、何をやっているんだ、
ということです。やっつけるということです。

これは仏法を壊す、法を曲げる事が大変な重い罪である、
ということです。
これを謗法罪といいます。

昔、韓国で橋がおちた事件があった。
韓国の町に行くには、この橋を通らなければならない。
そしていつも渋滞する。

これしか通る橋がないのに、これが壊されることになったら、大変な罪。
これが壊れて、たくさんの車が沈んだ。
そして、それ以後渡る事ができない。
その当時の建設大臣とか全部くび。

よく幸せの架け橋、といいますが、
仏教では川のこちら側にいる、私たちの方、これを此岸。
娑婆。穢土。
そしてあちらの岸、それを彼岸、浄土、極楽、
あちらへの架け橋。たった一本の架け橋。
これを通っていったら、すべての人が幸せになれるんだよ、そういうもの。

この橋を通って、救われた人はその橋のあることを伝えずにおれなくなるのです。
本来、僧とはそういうことを伝える人のこと。
靴下に穴があいていたって。

この道を通らなければ幸せになれない、という橋をぶっこわすのですから、
大変な罪なのです。

交通ルールを守らない人、破る人、これは必ずひどい目にあう、
恐ろしい結果になる。
この交通ルールのことを交通法規、といいます。
真実の仏法、この法を破る、というのは恐ろしい目にあう。

そういう人があるのに、黙ってみている奴がおるか、駄目じゃないか、
そんな所に爆弾をしかけて。
わたれなくなっちゃうじゃないか。
と破る、やっつける、これが仏法者の使命だぞ、黙ってみている、
にんまりしている、とか。
遠くの方から眺めて酒飲んでいるとか、とんでもない話だぞ、
こういうことを教えられたお言葉なのです。

ことわざにも、ネロのごとき暴君なり、という言葉がある。
民衆に火をつけて、よく燃えるわい、といって酒を飲んでいた、
と言われる人なのです。
本来は国民の生命と財産を守るのが使命なのに。

この橋を守って、一人でも多くの人を渡そうとしなければならないのに、
壊すのはもっての外、また何もしないものは考えられない。
破ってやっつけなければならないということなのです。
呵も責もせめる、と言う意味。誤りを破る、ということですね。

最近はどちらかというと穏やか、けんかしない、つかれるのはいや、
こういうような風潮がある。

逆に誰かを責める、やっつけるというところにはタッチしたくない。
そういう傾向があるのじゃないの。

ハワイのアロハの心って知っていますか?
アロハ、これはこんにちはだけじゃない、さようなら、
とか愛しているとかいろんな意味があるのです。
ハワイは人種のるつぼ。いろんな人が移民している。
それらの人が共通して持っているのが、
他の人たちの持っている考え方を否定してはならない、
そして、他の人の宗教を否定してはならない、
ということなのです。

気楽に行け、肩肘はるな、となる。
人の事を悪くいう、その時点で、どんなに立派なことを持っていても、だめな人、
となってしまうのです。

どちらかというと日本もそう。
倫理道徳上からいうと仲良くしよう、
人のことを悪く言ったらよくない、そういうこと大事。

仏法を説かれたお釈迦様は、法を壊すものがあったら、
それを黙って見ている人があったら、大変だぞ、
全人類の一大事、
未来ずっと沈む身になってしまうのか。
全人類の浮沈がかかっている。
すべての人達にその幸せの架け橋を伝えなければならないのに、黙ってみている、
それは仏弟子ではない、と言われているのです。
その根本にあるのは、仏様の大慈悲心なのです。
苦を抜くを慈という、楽を与うるを悲という、と言われて抜苦与楽。
自分だけ救われればいい、というような思いではだめ、
みんなにわたってもらわなければならない、という御心なのです。
そういう意味で邪を破れ、ということなのです。


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by sakyamuni | 2017-08-13 12:00 | Comments(0)