お礼の念仏=布教?

阿弥陀仏の本願に救い取られた人は、
どんな人でも念仏称えずにおれなくなる。
「乃至十念」と誓われているから。
それはお礼。
南無阿弥陀仏と口で称えずにおれなくなる。
それは、本願の力によってどんな人でもそうなる。

では、どんな人でも命がけで破邪顕正するようになるか。
ならない。
信心決定したら、何とか伝えたい、そういう気持ちはあるが、
ではその人が命がけで布教しているかといったら、あんまりしていない。
本当に獲信していても、とことん破邪顕正に邁進している人は少ない。

お礼の念仏称えている人はずいぶんある。
しかし、そんな人でも、全身全霊布教に邁進している人はほとんどない。

信心決定した人は沢山あったが、
床松同行、おかる同行、そこまでしていない。

だから法施が大事。最も尊いこと。
だから、是非ともさせていただくべき善。
顕正とも言うし、布教とも言う。

龍樹菩薩、邪を破って布教された。
天親菩薩も・・・・。
蓮如上人のように爆発的に広まる。
大善知識がおられなかったらできない。
信心決定したら、伝えずにおれない心はある。
しかしそれをとことん実行する、
体にかけて一生涯実践する、となったら大変。

親鸞聖人は一生涯、嵐の中くくり抜けて布教された。
蓮如上人も、首に懸賞金をかけられても、命がけで布教された。
それでも、この真実を皆さんにお伝えしなければならない、と布教された。
そういう蓮如上人のご活躍がなかったら今のように真宗は広まっていなかった。


[PR]
by sakyamuni | 2017-08-04 12:00 | 信心 | Comments(0)