難中の難と易中の易

親鸞聖人は正信偈で

邪見驕慢悪衆生 (驕は、パソコンで漢字が出ないが本当は「心+喬」)
信楽受持甚以難
難中之難無過斯

といわれています。ここが難中の難だと。
ここを突破して、初めてこころえやすの安心や、行きやすの浄土やと、
易中の易が味わえるのです。

この世界に出るには、難中の難を突破しなければならない。
その水際は一念です。

この他力の世界のすばらしさをたった五文字であらわされた、
お釈迦さまのお言葉です。
易往而無人。

ここが人生の目的。
つらいこと、苦しいことはいっぱいあるが、
それをいくら乗り越えても、最後は死んでしまう。

俺の人生なんだったのかと、空しい人生を嘆く人ばかり。
俺の人生夢だったと、秀吉も信長も言っている。
その後を引き継いだ家康も、重荷を背負って遠き道を行くが如し。

夢なんて言わないんだね。
しんどい人生だったと。
同じ苦労をするならば、どっちみち人生苦しいんだから。
報われる苦労をしてほしい。
みんなが感じる苦しみなんて、ただの準備体操だ。
これから鉄棒で大車輪しないといけないんだから。
準備体操のうちから、弱音を吐いていてはいけない。

色々人生の苦しみはあるんですけど、難中の難を突破して、
人生ってこんなに楽しかったのか、こんなに素晴らしいことだったのかと、
易中の易が知らされるんです。夜明け前が最も暗いと言われます。
信心決定の直前が最も苦しいと言われます。

我が子を産む前に、お母さんは陣痛という大変な苦しみを受ける。
そこを通り抜けて初めて、我が子の顔を見ることができる。
難中の難を無人、易中の易を易往と教えられている。
親鸞聖人は早く進めと励ましている。
蓮如上人は早くここまで来なさいよと、やはり励ましておられる。
言葉は違えど、こころはひとつです。
これを一念で体験するのです。
この五文字が読めるというのは大変なことです。


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by sakyamuni | 2017-08-01 12:00 | 信心 | Comments(0)