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諸行無常なのに変わらない幸福になれる仏教

すなわち摂取不捨の利益にあずけしめ給うなり
(歎異抄第一章)

摂取不捨の利益というのは、がちっとおさめとる。
そして捨てられない。
利益とは幸せですね。

誰しも幸せになりたいと思っていきているんです。
絶対に捨てられることのない幸せです。

私たちの知っている幸せは、捨てられる幸せばかりです。
金・健康・名誉・地位・恋人・マイホーム・孝行息子。
これがあったら幸せと思っているものがあるはずです。
あれになりたい。これになりたい。
今求めているものもこの中には入ります。
今持っているものもこの中に入ります。

金持ちである、財産がある、地位がある、健康である、名声が高い、
豪壮な邸宅に住んでいる、という事実は絶えず変化する。
 大きく変化するか、少しずつ変化するかの違いだけで、
この世に変化しないものは何一つあり得ない。
 金を得たという事実も、健康であるという事実も、
地位名声を得たという事実も、
すべてが、次の瞬間には崩壊につながっている。

仏法が深く知らされてくると、
だんだんこのように知らされてきます。

まず、仏教で諸行無常と説かれているので、
一切のものは常がないと教えられる。

今、健康という点においては、幸せですね。
しかし、それに見捨てられるときが来ます。
どんなことになるかも知れませんが、必ずそういうときが来ます。
今幸せだといっても、自分から離れていく、
見捨てられてしまう幸せばかりと聞けば、納得せざるを得ない。

昔、田代まさしという芸能人がいた。
芸能界を追放された。
ひらめきでやるタイプでなくて、一生懸命練りに練って番組を造るタイプ。
一生懸命築いた信用が、一瞬で崩れ去った。

しかし、だんだん忘れ去られていく人もいる。
芸能界の人気競争も、小さく変化するか大きく変化するかの違いはあるけど、
変わっていく。

三宅島の噴火のように、がらっと変わってしまう例もあれば、
地元の街のように、徐々に変化して
しばらくすると大分変わってしまったということもある。

人間関係がうまくいっている状態というのは、
そんなに長く続かない気がする。
半年もたてばちょっとは変わる。
たった一言の言動で大きく変わることもある。

何にしても、これらの幸せは必ず変わりつつあるということです。
それが私たちの幸せなんです。

しかし、つかむまでは大変です。
家と書くことは簡単です。
しかし、家を手に入れようと思ったら、一生懸命働き続けて、
ローンを返し終わるのは50過ぎでしょう。
そんなときに、三宅島みたいな噴火が起こって家がぼろぼろになったら、
本当に悲惨です。

子供を一人前に育てるのに、だいたい3000万円かかるそうです。
そんな大金、人のために渡せるか?
自分の子供でなければできませんよ。
立派な人になって欲しいと、それだけの大金を使って下さるんですけど。
そんな子供が交通事故でなくなったり、自殺したりしたら、
これほどショックなこともないでしょう。
だんだんということを聞かなくなることもある。

私たちが手にしている幸せは、必ず形を変えていくということです。

さらに仏法が深く知らされてくると、
吸う息吐く息は死に触れ合っている。
死というものが隣り合わせと知らされて
くると、今自分が求めているものは次の瞬間には崩壊につながっている
と知らされてくるのです。

そんな無常の世の中に、
おさめとって捨てられない
摂取不捨の利益がある。

仏教を聞いて、
その変わらない幸福の身になることが、
人生の目的なのです。


by sakyamuni | 2017-06-09 12:00 | 無常