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人生は苦なり

親鸞聖人は
「難思の弘誓は難度海を度する大船」
と教えられています。

親鸞聖人は主著『教行信証』の一番最初に
お釈迦さまが教えられたのと同じことを教えられた。

 なぜ同じになるのか。

 難度海を度する大船が一体どういう意味を持っているのか、
それがよく分かれば、
お釈迦さまのお言葉とまるっきり同じだということが分かります。

 まず難度海ということについて。

難度海、これを親鸞聖人は別に何と仰有っているか。
「苦海」どこで仰有っているか。

御和讃
生死の苦海 ほとりなし

 生死というのも苦しみ。苦しみ悩みの海。
私たちの人生は苦しみ悩みの海。
そしてほとりがない。どこまでいっても苦しみ悩みがなくならない。

難度海とは、苦しみ悩みの波が次から次ぎとやってくる、
人生のことを言っている。

 いろんな人が同じようなことを言っている。
 林芙美子さん
花の命は短くて、苦しきことのみおおかりき
有名な女流作家。自分の一生を花にたとえて、
花のようにはかない人生だった。

そして苦しいことばかり多かった。

釈尊はこれを「人生は苦なり」と仰有った。
苦しみ悩みの人生。
人が生きるということは苦しみ悩むということですよ。

渋谷のホームレス。確かにああいう人は苦しいんだろうな。
しかし、そうでない人もいる。
自分の人生、あるいは人の人生見ても、
そうでない人もいるのではないか。

これは一部分の人のことを指しているのではないか。
と最初思う。

人生は苦なり、と話している人がいると、
あー、あの人は大変なんですねー。と思う。

しかしこれは、半分の人は楽しくて、
半分は苦しいということではない。

 人として生まれて、人として生きるということが
苦しみなんですよ。

 ということは、釈尊が仰有っている苦しみと、
私が感じ取っている苦しみ同じではないと思わずにおれない。

 苦しみというのは、一つは私たち、
難度海という海にポツーンとひとりぼっち。
そしてあたり一面見渡しても島影一つ見えない。

 一体どこに向かって生きていったらいいのか分からない。
生きる目的がハッキリしていない。生きる目的。
これを人生の目的ともいいますが、泳ぐ目的地がハッキリしていない。
そしてあっちにふらふら、こっちにふらふら。

蓮如上人は浮生なる相と仰有っている。根拠がない。
芥川は「狂人の主催したオリンピック」と言われている。

 皆さんオリンピック見てるかな。
 私も車の中でラジオで聞いた。
サッカーをラジオで聞くほど馬鹿げたことはないですね。
誰もがサッカー、柔道を見て感激している。

 オリンピックってどんなもの。まずは競い合いです。競技。

 昔、水泳の田島さん。銀メダルでした。
インタビューの第一声で、「悔しかったですー。金とりたかったですー」
でもよかったじゃないですか。銀だった
し、ベストタイムを塗り替えたし。
しかし競技は厳しい。競技は勝った、負けた、勝負の問題。
勝ち負け、それが全て。勝ってる人はにこにこ顔。負けてる人は悔しい顔。
勝ったらうれしい。負けたらくやしい。

 田村良子選手。三度目の正直で金。
飛び上がってよろこんでいた。今まで強いと言われてても、二回勝てなかった。
 オリンピック見てると、勝負の厳しさを知らされる。

 私たちの人生も競い合い。
 何を競い合うか。オリンピックでは華麗さ、早さ、高さなど。
私たちの人生でも競い合うこと色々違う。どんなことを競い合うか。
 学力。これは厳しいでしょう。
 出世競争。私も同窓会でそういう話があった。
 稼ぎ。収入。これからだね。これは確かに言えてる。
バイトでも、どっちが如何に短い時間で高い収入を得られるか。
家庭教師、日本の暴利と言われてる。

話題の豊富さ。食事中などで、どれだけ気の利いた話題を提供できるか。 
容姿。
如何に渡り上手であるか。
スポーツ。

みんな人それぞれ、これについてだけは負けないぞ、
俺は、という自分のセールスポイントを持っていて、
何もないと、終いには、俺は誠実だ。
自分の心に正直だ。など、
そして勝った負けた、あの人に負けた、悔しくて悔しくて、夜も眠れない。
外を歩けない。

 そしてオリンピックと同じように、外から応援、声援がある。

 それは有り難いけど、ところがこのオリンピックは
狂人の主催したオリンピック。
ちなみにシドニーはサマランチ。

 よーいスタート、と始まって、スタートからゴールまで、
ルールにしたがって勝負するのが競技だけど、私たちの人生では、
よーいスタートで飛び込んで、どうしたらかっこよく・・・。
そして外からいろんな人が応援してくれるけど、どこがゴールか、知らないで泳いでいる。

しかもそれが全く問題になっていない。
これ以上不可解なことはない。
 政治、経済は、泳ぎ方を教えてくれるコーチ。
丁寧に詳しく教えてくれるけど、どこに向かって泳いでいったらいいか、
といことは誰も教えてくれない。

まさに狂人の主催したオリンピック。
芥川は、「自殺もまた一つの方法である。」と言っている。

 泳ぐのは大変。プールに入っているだけでも疲れる。
 小学校の時。水泳の級があった。500㍍の遠泳をやった。
泳ぎ切ったとき、みんながやったーと言ってくれて、祝福に答えようと
格好よくポーズをとろうとするがプールサイドにはい上がれない。
みじめ。
プールの時間が終わるとクタクタで残りの授業は眠い。

 くたくたになりがら、どこに泳いだらいいかわからん。
しかも泳がないと沈んでしまう。
 丁度それと同じように、毎日毎日、
手足をばたつかせないと生きておれないが、
どこに向かって生きたらいいか、さっぱりわからない。

 そこから釈尊は、「人生は苦なり」と教えられた。


by sakyamuni | 2017-05-28 12:00 | 生きる意味