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仏教にはゴールがある

800年前に親鸞聖人も仰っておられた。

ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、
浄土の真宗は証道今盛なり。
然るに諸寺の釈門、教に昏くして、真仮の門戸を知らず、
洛都の儒林、行に迷うて、邪正の道路を弁うること無し。
(教行信証後序)

日本全国ほとんどの寺が聖道仏教。
どう生きるかに長けていた。
法然上人、親鸞聖人は流刑。
真実を説いたがために処刑される人もいた。
威勢がよくなかった。
仏教には教行証がある。
教は教え、何処へ行くか、どうやって行くか。
それを聞いたら教えのとおり実行。
教えのとおり実行すれば、仏教では悟りという結果を得る。

マラソンでもゴールが分っていて、道が分っていて、
どうやって早く行くかということが問題になる。
世間でもどう生きるかは話されている。
楽しく快適に安心して。
働く→生きる→?
「人生は 食て寝て起きて糞たれて 子は親となる 子は親となる」
虫けらと何処が違うか。ゴキブリ、鼠と大差ない。
何処に向かって生きているのか。
最後は100%死。まさに死ぬために生きている。

なぜ生きるか、人生の目的は全人類に必要。
だがなかなか聞けない。
蓮如上人も親鸞聖人も常々仰っておられた。
立派な教えはあるが、教えのとおりに実行している人はいない。
当然悟った人もいない。
教えのとおりに助かったものがいない。
「親鸞は無明の闇を破って、絶対の幸福になる明らかな体験をしたぞ」
と仰っている言葉とも言える。
信心決定とも言う。
信心は浄土真宗だけ、決定ということが言われる。
信心決定といえば親鸞聖人の教え。
決定とは完成がある、決勝点があると言うこと。

「死ぬまで求道」。
持っていないものを求めるのに、死ぬまで求まったという事が無い。
女子大を受験する男性も、3年前の宝くじを買う人もいない。
無駄、損するだけ。大学に入れば、就職すれば、結婚すれば「きっといい事あるだろう」と思う。
何処まで求めればいいのか。
最後は必ず死ぬ。
悲劇で終わる。
親鸞聖人は完成があるぞ、一念で決勝点を突破できるぞと教えられた。

諸寺の釈門、教に昏くして、真仮の門戸を知らず
何が真実の教えか分っておらん。
真仮の門戸が分っておらん。

従仮入真」。
仏教のイロハが分っていないじゃないか。
真実の世界に入った人にしか方便、仮は分らない。
諸寺の釈門はどうか。
何が真で何が仮か分っておらん。

仏教で信度が深まったという。
信仰が何処まで進んだか。
どれだけ純粋に、真剣に求めているかが問題。
御文章に人が集まっている様子がたくさん書かれてある。

さいわいに五里十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこころざしは、
いかようにこころえられたる心中ぞや。
千万こころもとなき次第なり。
所詮已前はいかようの心中にてありというとも、
これよりのちは心中にこころえおかるべき次第を、くわしくもうすべし。
よくよく耳をそばだてて聴聞あるべし。(御文章1帖目5通)

「遠くから参詣されるのは大変だったでしょうが、皆さんの顔を見ると心配に
なってくる。どれだけの人が信度を深めることを問題にしているのか。
今度の御法話からは真剣に聞いてくれよ」。

仏法の素晴らしさが知らされると人に話さずにはおれなくなる。
人を誘わずにはおれなくなる。
話をして初めて自分がどれほど理解しているか分る。
真剣に聴聞できる。


by sakyamuni | 2017-05-27 12:00 | 実践