2024年 03月 12日
一番大事なことに一意専心
この反対は、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、常に移り気。
「もしダメだったらどうしよう」
「失敗したらどうしよう」
「もっと他があったらどうしよう」
できることまでできなくなってしまいます。
その昔、ノーベル賞を受賞した、利根川進という人がいました。
私のところにたくさんのサイエンティストの卵がいる。
あれもやってみたい。
これもやってみたい。
あれも興味がある、これも興味がある。
しかし、それらをやってみて、あとから考えると
今だったらIT関連のもの。
では、今の仏教が、大学卒業する時にはどうなっているか、
「あれもやってみたいなぁ」
万年助手。
そういう人が昔、ついに学部長を刺して殺してしまった。
その時、その時の気分でやってしまうと後悔することになる。
利根川進は
科学全体から見ると、どうでもいいことに時間をかけるのは全く時間の無駄になるから
学生に「勉強するな」と利根川さんは言っているそう。
これは勉強するほどダメということではなく、
何が大事で何が大事ではないかということを知って、
その、もっともなものが最終的な目的があるかどうか。
それが曖昧なままで、あっちへフラフラ、こっちへフラフラではダメ。
昨今流行った本で『捨てる技術』という本があります。
1週間前の新聞がまだ鞄に入ってますとか、あなたの部屋どうですか?
昔はメモリアルだったけど、今は全然メモリアルでないというものを
とっている人もあったり。
ある東大生の下宿生で、食事を食べるところまでは好き、
ところが、食べた後はその容器を捨てるところまではできない
「そんなことは、じいやがやることだ、母ちゃんがやることだ。
ぼくは星の王子様。そんなことやらない」
あるいは洋服を着る時、
最初はハンガーにあったものが、そこら辺りに落ちているとか。
落ちているのをそのまま着るとか。
靴下も干してあるものをそのまま履く人もある。
「今は使わないけど、そのうち使うかも知んないしなー」
と言って、捨てないで使わないものをずーっととっておく。
というわけで、ヒューマンライフを送ってない人もある。
インターネットにはまるという人もあります。
その中には、見ても見なくてもどっちでもいいサイトもある。
結構、お金もかかる。
時間もかかる。
時間もお金もかけた割に、全く無駄ということがあります。
青少年がはまるものの中に、出会いサイトがある。
ネット上で会話をする。
それによって傷害事件にまで発展したこともありました。
世の中、多くのことを知ればいいというものではありません。
知らないほうがいいものもあります。
大事なものは何なのか、大事でないものを区別するのが大事。
それから一意専心がいい。
一意専心ではないのは、大事なものと大事でないものの区別がついていないから。
だから、人からどう思われるかと、びくびくびくびくしていることになる。
たとえば、大学に入学したての頃、
海外旅行に行きたい。
そのために外国語を勉強したいと思った。
学校の先生になるというように、
色々な分野に行く人があるけれど
最終的に私たちが求めている人生究極の目的は何でしょうか?
それは共通の問題、
この人生の目的は何か。
これがはっきりしていないと、
とりあえず卒業、とりあえず単位ということで
お金も時間もかけたのに、何も得られないということになってしまいます。
「人間の究極の目的は何か?」
これがはっきりしていることが大事。
2024年 03月 06日
一期一会って、いい言葉
人生を旅に譬える歌や小説、ありますよね。
松尾芭蕉は「ゆきかう人もまた旅人なり」と言っていたり、
美空ひばりは「生きることは旅すること」と歌っています。
「ああ、日本のどこかに私を待ってる人がいる」から旅をする、という歌。
人生経験が深くなるほど、人生って旅だな、と感じることが多くなる。
旅をしていると、苦しいことも楽しいこともあります。
これは昔の旅を想像して欲しいのですが、
「かわいい子には旅をさせよ」の旅。
慰安旅行ということではありません。
山あり谷ありの旅。
私たちの人生も、苦しいことや楽しいこともあれば、悲喜交々いろいろあります。
期末試験があった、そして夏休み、浮き上がって、
失恋をして、こんなことなら死んでしまいたい、と思ったり。
また、これなら生きていこう、と思ったり。
また、「出会いと別れ」を繰り返します。
今までも色々な人との出会いを繰り返してきた。
まず、親と出会う。
ひよこが最初に見た人を親だと思う。
まず覚える言葉は、「まーま」でしょ。
最初から「かーね」と言う人はいない。
そして、幼なじみ。
あの人ってどうしてるんだろう。
私は幼なじみを病気で亡くした。
遊んでいた、栗の木のところに行くと、
また、初恋の人ということもあるでしょう。
そして、一生の伴侶との出会い。
一生の半分を過ごす人との出会い。
そして、子供との出会いもあるでしょう。
また、目に入れても痛くない、孫との出会い。
想像できないですよね。
でも、必ずあるんです。
また、そういう人との別れ、というのもあります。
泣いて甲斐なきことなれど、泣かずにおれない、ということもある。
泣いてもしかたなくても、泣けてくる。
そういう別れをしたことある人もいるでしょう。
電車に乗ったら、おばあちゃんと出会う。
ミカンをもらったりする。
そういう人とは二度と出会わないでしょう。
同じところに集まっている人でも、
亀井勝一朗は「人生は邂逅である」と言っています。
どんな人と出会うか。
素敵な出会いをした人は、一生幸せになるかもしれません。
そういう出会いと別れを繰り返して、一生を送っていくんですね。
2022年 04月 18日
父母恩重経を分かりやすく解説
是の如く我聞けり。
或る時、仏、王舎城の耆闍崛山中に菩薩声聞の衆と倶にましましければ、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、一切諸天の人民、及び龍鬼神等、法を聞かんとて来り集まり、一心に宝座を囲繞して、瞬もせで尊顔を仰ぎ見たりき。
(仏説父母恩重経)
是のとき仏すなわち法を説いて宣わく、一切の善男子、善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。
(仏説父母恩重経)
慈母、子を胎めば、十月の間に血を分け肉を頒ちて、身重病を感ず。
子の身体これに由りて成就す。
(仏説父母恩重経)
月満ち時到れば、業風催促して、偏身疼痛し、骨折解体して、神心悩乱し、忽然として身を滅ぼす。
(仏説父母恩重経)
若し夫れ平安になれば、猶蘇生し来るが如く、子の声を発するを聞けば、己も生れ出でたるが如し。
(仏説父母恩重経)
其の初めて生みし時には、母の顔、花の如くなりしに、子を養うこと数年なれば、容すなわち憔悴す。
(仏説父母恩重経)
子己が懐に屎り、或は其の衣に尿するも、手自ら洗い濯ぎて臭穢を厭うこと無し。
(仏説父母恩重経)
水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁にも、乾ける処に子を廻し、湿りし処に己臥す。
(仏説父母恩重経)
食味を口に含みて、これを子に哺わしむるにあたりては、苦き物は自ら嚥み、甘き物は吐きて与う。
(仏説父母恩重経)
若し夫れ子のために止むを得ざる事あらば、自ら悪業を造りて悪趣に堕つることを甘んず。
(仏説父母恩重経)
己生ある間は、子の身に代らんことを念い、己死に去りて後には、子の身を護らんことを願う。
(仏説父母恩重経)
2021年 07月 15日
アンパンマンのマーチ「なんのために生きるのか」
2021年 07月 09日