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突然末期癌になりました

大学の医学部では、死生観について普通に授業があります。
大学の教科書の中に
「事例を通して全人的ケアを考える」
というものがあります。

医学の世界では全人的という言葉をよく使います。

大学生の若さで体中にガンができた人の事例がでています。
予後的には3~6ヶ月。
つまり余命3〜6カ月。
こういうことがあります。

他人事ではありません。
生まれたら死ぬんですよ、
という一休の話がありますが、
笑ってられるものではありません。

ひそかにガンが進行しているかもしれません。
キューブラー=ロスは、死にゆく人の5段階のモデルを発表しました。

俳優の今井雅之は最初は余命1日と言われたそうです。

50代で突然、末期がんですが、それまで無自覚です。
50代でも大変ですが、20歳でというのも大変です。

他人事のように考えていてはいけません。
いつ死がやってくるかは分からないのです。

その時のためにも、死生観は、すべての人にとって大切です。






# by sakyamuni | 2019-10-17 18:00 | 無常 | Comments(0)

いろは歌は漢字で書くとこうなります。

「色は匂えど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ
 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず」

いろは歌の前半4分の1の意味は、
どんな満開の桜も一晩の嵐で散ってしまう
ということです。

色は匂う」というのは、文学的表現で、満開の桜をイメージしています。
しかしそれも必ず散っていきます。
桜は大変はかないものです。
あっという間に散ってしまいます。

一体この世の中で常なるものがあるだろうか、ありませんよ。
諸行無常ですよ、ということです。

而も、誰が、とありますので、
あなたはどうかということです。

人間の命も続きません。
永遠に生きる人もないし、永遠に権力を持つ人もありません。
桜から入って、あなたの命も続きませんよ、と歌われています。

私たちの人生に非常に関係の深い歌が、
一番最初に文字を習うときに教えられているのです。

ついでに言うと、誰が作ったかはわかりませんが、
弘法大師ともいわれています。

そして、「おそらくこれを元に作っていることに間違いはない」
と言われているのが
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」という
2600年前に説かれた仏典に出てくる言葉です。

この仏教の言葉も、
前の半分二行と、後の半分二行で分かれています。

いろは歌も、前半後半で分かれています。
諸行はこの世のものです。
全てのものは無常ですよ、続きませんよ、
この世の全ては続かないんですよ。

全てのものはこれ、生滅のものですよ、
法とはものです。
できたときがあれば、消えるときがあるものだ、
ということです。

私たちは、生まれたからには必ず死にます。
そんなことくらい知ってるよと思う人が多いのではないでしょうか。

「勉強しよう」と思ったときもあったけど、続きません。
「こんな楽しいゲームはない」と思っても、
「飽きたな。もっと新しいのがほしいな」
と思います。

「2とか3が出たらほしいな」
前のでは満足できなくなった。
だから満足が続きません。

「生まれたら死ぬ、それはそうだろ」と思います。
ギネスに載る人でも120歳切るくらいで、
戸籍ができてから120歳になったのは、
人類でフランス人女性1名です。

必ず死ぬということは、分かっているといいますが、
本当に分かっているでしょうか。

「知っている」のと「分かっている」のは同じではありません。
死は、宣告されて初めて分かるのではありません。
もうあなたは死ぬことになっているのです。




# by sakyamuni | 2019-10-13 18:00 | Comments(0)

1万人の死にゆく人に寄り添って、死の受容を説いた
キューブラー・ロスは
晩年に、
「お茶さえ入れられない毎日がどこが楽しいか」
「楽しいことなんて何もない」
とインタビューで言っていました。

これがさらに死んで行かなければならないとなったら
もっと苦しくなります。

今までは、愛が大事だと死んで行く人に教えていたのに、
今度自分が死んで行く番になったら
愛など聞きたくないと、
更にインタビューで、今までの自分の業績を全否定しています。

それは、これまでを言ってたくさんの人を騙していたのではありません。
死に直面すると人生観が変わるのです。

キューブラー・ロスはそのことを
人生かけて教えてくれたといっても
言いすぎではないのではないかと思います。

それほど死というのは人生最大の問題なのですが、
それは100%直面する未来です。

その死の問題の解決が仏教に明らかにされています。

諸行無常ですから、死はいつ訪れるか分かりません。
少しでも早く仏教を聞かなければなりません。


# by sakyamuni | 2019-10-10 12:00 | 無常 | Comments(0)

以前、キューブラー・ロスという人について書いた新聞記事がありました。
平成9年の京都新聞です。

それは、東大教授の心理学者として日本で一番有名な河合隼雄さんの
「平成おとぎ話」というコラムです。
この人の書いた本は何十冊と書店にあります。

キューブラー・ロスというのは
エリザベス・キューブラー・ロスといって、
一世を風靡した大変有名な人です。

1万人の死んで行く人たちに寄り添った精神科医です。
亡くなる人は、人生をかけて頑張ってきたことが
何の役にも立たないと後悔する人が多いので、
キューブラーロスは、愛なら崩れないのではないかと思いました。

愛の宗教といわれるキリスト教的な思想です。

お金や財産、地位や名誉は、死んで行くときに役立たないので、
幸せは崩れてしまいますが、
は崩れないはずと思っていました。

そして、死んで行く人たちに、
お金や財産では、後悔しないというものはありませんよ。
しかし最後も最後まで家族の愛に生きた、愛に包まれた人は
幸せに死んでいけるんじゃないか、
死んでいったんじゃないか
と思っていました。

そのとおりにいったかどうかが、河合隼雄さんの記事に書いてあります。

|キューブラー・ロスといえば日本人でも知っている人が多いだろう
|不治の病で死んでゆく人の傍らに付き添って、だじろがずにその話に
|耳を傾けることをはじめ、「臨死体験」について多くの発表をした人
|である。著書も多く訳され日本の読者も多い。私も二度対談しその
|素晴らしい人柄に感心した。
|彼女は今(H9)、何回も脳卒中に襲われて入院中であり。
|彼女に対してドイツの新聞シュピーゲルがインタビューを
|行い発表した記事を、ノンフィクション作家の柳田国男さん
|より送っていただいた。これについては、いつか柳田さんと
|ゆっくりと話をしたいとおもっているのだが・・・
|全体として暗いトーンであり、孤独で・・・・・
|死んでいく自分を受容することは実に難しい。
|それには真実の愛が必要だが自分にはそれがない。
|インタビューアはあなたは長い間精神分析を受けたので
|それが役立っただろうにというと
|精神分析は時間と金の無駄であった。
|とにべもない返答。
|この人は精神分析に40年人生をかけた。それが無駄であった。
|自分の仕事?名声?沢山届けられるファンレター?
|今、何も出来ずにいる自分など一銭の価値もない、というのだ。
|これを読みながら私の心はだんだん沈んでいった。
|キューブラ・ロスほどの人が、と思う。
|この頃は自分の老いや死について考える事が多いので、
|死を迎えることの困難さに思い至らざるを得ない。

河合さんはキューブラー・ロスを尊敬していた人なのでその人が
死を目の前にして後悔しないように導いていた人が生涯やったことは
時間と金のムダだったといっているから
衝撃を受けました。

実際、NHKがインタビューした映像が以下の中にあります、



# by sakyamuni | 2019-10-07 12:00 | 無常 | Comments(0)

漫画家の黒鉄ヒロシさんという人があります。
クイズダービーの回答者で

黒鉄さんの後を引き継いだのがはらたいらさんでした。
その解答をきいて漫画家であるが大変頭いいなと思います。
黒鉄ヒロシさんが概要ですが、こういうことを言っています。

「ホモ・サピエンスと成り上がった(あるいは成り下がった)人間が
これじゃあと人生の意義を求めてまとめた苦肉の策が
神の概念であったのであろう。
信じられない人は過去の遺物。
信じる人には現在進行形のものだろう。
どちらを選ぶかは好みである。

ただ仏教は他とは一線を画することは僕にもわかる。
自燈明法燈明
とは自らをあかりとし法をあかりとせよという
自己開発の勧めである。
過去の遺物とみる生意気な体質の僕も文句なしに頭がさがる。
下がった目が競馬新聞にいっていることはいたしかたない」

キリスト教などの教えは、生きる意味を求めてまとめた苦肉の策です。
信じない人は苦肉の策の一つの考えと思いますし、
信じる人はを中心に生きている。
そういう点、アメリカはキリスト教の国です。
神がいるという前提で子供の時から学校でも習っています。
何かあったらオーマイゴットといいます。
日本人は言葉だけオマイガーといっているが意味わかってなくていっています。

「神の概念を過去の遺物とみる生意気な体質の僕も」
この表現はうまいよね、「神なんかいないよ」というと文句言われそうだが
これなら非難されません。

キリスト教などは過去は受け入れられていたが今は過去の遺物
現在進行形ではないが、仏教には頭が下がっている。
下がった頭が競馬新聞をみているのが大のギャンブル好きの黒鉄さんらしい粋な表現です。
先日だったか大穴がでました。
100円→2700万がでたらしいです。
そんなのめったにないですが。

その黒鉄ヒロシさんが
文句なしに頭がさがるのが仏教です。

仏教という教えは神の概念は認めません。

実に論理的で宗教というより哲学というジャンルにいれられています。
そういう仏教について殆ど知りません。
仏教といえば葬式ということで、
死人を葬る手段ぐらいに思っている人がある。

それは誤解だよと
おりにふれ縁に触れ話をしていますが、
本当は生きる意味を明らかにされたのが仏教なのです。



# by sakyamuni | 2019-10-03 12:00 | 宗教 | Comments(0)

臨終説法の状況

臨終説法とは、臨終の人に仏教の話をすることです。

今まで臨終の人に、頼まれて仏教の話をしたことがあります。
精神的に非常に疲れます。

何で疲れるかというと、聞かれる人が真剣だからです。
今日死ぬか、明日死ぬか。

私が到着して1時間ほどして亡くなられた方でした。

2年間北海道に住んでいた、札幌の人と交流がありました。
その時に、非常に仏法熱心な方がありました。

浄土真宗の方です。
その方が不治の病で、臨終、最後に話を聞きたいと、言われました。
そのため、その息子さんから、話をして欲しいと
電話がありました。

そのとき私は東京にいました。
それでもこれまでご縁のあった方の臨終のご希望ということで、
最優先して日程を調整しました。
それでも、3日後になりました。
そして、飛行機に乗ります。

札幌に着いてすぐに、息子さんから電話があって
「今どこにおられますか?もう危ないんです!早く来て下さい!
仏教の先生が来て下さるから、何とかそれまで命を延ばしてほしいと、お医者さんに頼んでいます」
といわれます。

タクシーで急行して、ようやくつきました。
そこには苦しんでおられるご本人の周りに、
医師や看護士がずらりと並んでいました。

キューブラロスも同じような状況で話をしたそうだ、
緊張したことでしょう。

そこで、仏教の話をすると、かすかに頷かれます。
臨終に、命をかけて真剣に聞かれますので
手を握って、一時間くらい精一杯話をしました。

しかし体力的にも弱っておられ、
もう危ないと言われ、医師にかわりました。
医師が医療を施しながらも話を続け、
それから一時間くらいでその方は亡くなりました。

私たちが仏教講座に行ったときでも、
仏教を聞く時は、今臨終という気持ちで真剣に聞かなければなりません。



# by sakyamuni | 2019-09-30 13:00 | 聞法 | Comments(0)

宇多田ヒカルのお母さん、藤圭子が歌ってヒットした歌がありました。
「15、16、17と私の人生くらかった」
という歌です。
聞いた事ありませんか?

もう死んでしまいましたが。
生きる意味がわからず大人になっても暗かったので
それで自殺してしまいました。

いつからかかというと15、16、17だそうですから中学2年ごろです。
私と一緒です。

そんな心の闇が晴れたらいいのになと思いながら晴れる方法を知りませんでした。

やがて、仏教に巡り会います。
友達に仏教講座に誘われたので、
最初、怪しんで「なんですか?」と聞きました。

だから色々な自己啓発セミナーなどに誘われましたが、全部断っていました。

自己啓発はほとんど無視していったらたいてい
誰も勧誘は諦めます。

ところがやがて友達から仏教講座に誘われました。
断って普通は終わりです。
でも話だけでも聞いてよと言ってくいさがってきました。
驚きました。
世の中にはこんなしつこい人あるんだなと思いました。
もういいですからというんですが、わかった。

仏教講座に来なくてもいいから説明だけきいてといいます。
仏教講座に行かないなら説明する意味ないのではないですかと言っても
それでもいいからと言います。

さすがに私も友達ですし、周りの目も気になります。
それで根負けして、ついに
分かったよ、何分ぐらい?
20分くらい。
じゃあ20分説明聞くだけですよ。
絶対仏教講座行かないよ。

それで近くの喫茶店で話を聞きました。
聞いた内容はこの世の幸せは必ず崩れるという話です。

私は夢や希望に満ちあふれているのに
「金も財産も名誉も地位も全部この世においていかねばならない」
という強烈な内容です。

今から思えばちょっと強烈すぎたのではないかいと思いますが、
私の場合はそんなことは昔から思っていたので、
そんなことは当然だ。
そんなことは、どんな本にも書かれている。
人生なんて虚しいものだし、寂しいものだし、どんな幸せも崩れてしまう。


じゃあどうしたらいいの?
と聞いたら、すべてが崩れていく中に絶対に変わらない幸福がある
といいます。

それはあったらいいけど、なければならないし。
本当にそんな幸せあるんですか?
ある!
と断言します。
そんなあんたに分かる?
私が考えて分かったんじゃなくて、
その答えは仏教にある。

仏教って葬式とか法事やるものでしょ
と思っていました。

だけどあまりに自信たっぷり言うから
へーそんなことが教えられているんですか。
その時聞いた言葉が心に残って
聞いてみようと思いました。

それはどんな幸福も必ず色褪せる、
死んで行くときはみんな置いていかなければならない。

そんな虚しい寂しい心の闇が日本晴れになる。
雲ひとつない心になれるときがあるんだよ。

この虚しい寂しい心が、晴れる!日本晴になれる。
えーそれ知りたかった。
そんな世界があるならなりたい。
それを教えてほしい。
仏教聞いたらなれるんですか?
なれるならなりたい。
それなら聞いてみようかなと思ったのです。

これが私の仏教との出会いです。


# by sakyamuni | 2019-09-27 13:00 | 仏教 | Comments(0)

いろは歌を書くとどうなりますか?

色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ

以前、この2行について詳しく明らかにしました。
一言で言うとこの世は無常だということです。
どんな満開の桜であっても一晩で散っていく。
どんな権勢を誇った人も滅びていきます。

この最初の2行は世の無常を表されています。
無常といっても一番の無常は死なねばならんということです。

それが二行目の、「我が世誰ぞ常ならむ」です。
この世で誰が永遠に生きられるだろうか、
生まれたら必ず死なねばならない、ということです。
これ以上の無常はありません。

確かに他にも無常ばかりです。
「いやー花買ってきたのにもう枯れていました。
一番綺麗なのかってくればよかった。無常だな」

「シワが出てきた。白髪が一本みつかった。無常だな」
これらも無常ですが、一番は死です。

死を目の前にしたとき人はどうなるか、その一番露わに後悔していった人で、
その代表といってもいいすぎでない人が、
キューブラー・ロスという人です。

NHKの番組でどんなことをいったかは、
このユーチューブに出ています。



あれだけの死の専門家といったひとでさえ死を目の前にして後悔しています。
そのような大問題なので、何らかの対処が必要です。
その死の問題の対処について、仏教に教えられています。



# by sakyamuni | 2019-09-23 12:00 | 無常 | Comments(0)

昔、NHKで浄土憧憬という番組がありました。

「憧景」とは憧れということです。

始まりから、いいなと思いました。
いつの頃からだろうか……

これは死についての番組だったのですが、
どうやったら楽しく生きられるか
生を考えればい考えると暗くなるという人がいます。

そして、嫌々、会社に行っています。
当時はスマホもありません。
新聞も読む気もありません。
そんなはずでは、なかったと
幸せを求めて生きています。

現代人は、死から遠ざけられ、
死を見つめなくなった時に生が暗くなりました。

死について、考えている人が暗いのではなく、
死が遠ざけられて生が暗くなったとNHKの番組で言っています。

中世の時代がどうであったでしょうか?
吉田兼好の徒然草では、死は後ろから迫っていると言います。

北海道で地震が起きたり、
色々なところで地震や津波などの災害が起きます。

どんな生き方をしていても、死の手の内にあります。
死という手のひらで、もてあそばれているようなもの。

無常だということを、悟ろうとした。

皆、死を考えずに、楽しめると思っています。

では、死を忘れて生きている人は、楽しんでいるでしょうか?

大学生の時は仕送りもらってのんびりしています。
しかし、そのお金を稼がなければならない社会人はくたくたです。

明るく楽しい人生を送りたかったら、死を見つめなければならないのです。
そして、死の問題を解決する方法が、仏教に明らかにされています。



# by sakyamuni | 2019-09-20 13:00 | 無常 | Comments(0)

江戸時代、浄土真宗三業惑乱という事件が起きました。

これは、十劫安心という異安心に対する反動です。
十劫安心というのは、阿弥陀如来が仏のさとりを開かれた時点で
私たちは助かってしまっているのだから、
今さら聞く必要もないとか、
助かっていることに気づいたのが信心だというものです。

その間違いを破るために、
帰命の一念がなければならないと
強調しました。

ところが、浄土真宗の教えの理解の程度が低かったために、
心と口と身体の三業で阿弥陀如来にお願いしなければならないという
三業安心という異安心になってしまったのです。

それが、浄土真宗本願寺派の教学の責任者が
そういう異安心を主張し始めたため、
地方の僧侶と論争になりました。

それが権力闘争にもなり、
流血の惨事となり、
幕府の仲裁で収束するという大事件に発展しました。

この三業惑乱以来、その反動で、本願寺はまた十劫安心に戻っています。

信心獲得を強調するのはいいのですが、
三業でお願いしたことを信心と思うのは、
三業安心で間違いです。

信心を機相で語ってはならないというのは、浄土真宗のイロハです。

自力の人はみんな十劫安心か三業安心なので、
真実の他力信心を説くと、
十劫安心からも
三業安心からも
非難攻撃を受けるのです。



# by sakyamuni | 2019-09-17 12:00 | 浄土真宗 | Comments(0)

終わりを意識することが今を大事にするのが大事なことです。

こういう考えを常に持っていた人が、スティーブ・ジョブズです。
スティーブ・ジョブズは、アップルを作った人ですが、
若い頃から仏教を学んでいました。

有名な、スタンフォード大学でのスピーチでも、
自分の死を意識して生きるように勧めています。

フランスの哲学者、パスカルも
一週間の命となってもやることを、
一生かけてもやるべきことだと言っています。

それが一番大事なことですし、
人生これ一つということです。
それが本当の生きる目的であり
生きる意味だということです。

あと一週間の命となったら何をするか、
インタビューを街頭でしていた。

お金使いまくる。
借金して使いまくる。
飲みに行く。
という人もいました。

しかし、余命宣告を、医者から言われたらどうか。
全く、世界が違って見えます。

こういう事実を知った時に、
死ぬのは今日かも知れない、
残された人生でやるべきことは何かということが、
問題になります。

それを先にやるべきです。
先にやるべきことは先にやった方が、
それ以外のことにもいい影響があります。

例えば、夏休みの宿題も後でやる人が多いと思います。
海に行くならお盆までだからまず海に行きます。
その後はお盆だから、宿題はできません。
親戚が帰ってからです。
結局夏休みの宿題は、最後の2,3日でやる。

しかし、それなら最初や月中に全部やってしまった方が、
夏休み全体も楽しくなります。

では人生で、後、1週間の命となってもやるべきこととは何でしょうか。
それを教えられているが、仏教です。



# by sakyamuni | 2019-09-13 13:00 | 生きる意味 | Comments(0)

人生は旅をするようなものだとよくたとえられます。
私たちは、旅人なのです。

しかも、同じ道は二度と通りません。
後戻りすることもありません。
常に新しい道を歩き続けています。

それを歌った歌に

宿の無き身の心地こそすれ

という歌があります。

これからどこへ行くのか、仮の宿泊地を転々としながら、
常にどこかへ向かっています。

そんな目的地がハッキリしていない旅人は不安です。
私たちも、目先の目標はあっても、
生きる目的を知らないから不安なのです。

8年交際していた彼女と結婚することになりました。
結婚式当日は、10時から挙式です。

彼女は着付けのために
6時に行かねばなりませんでした。

45分かかると思ったので、5時過ぎに出発です。
事故を起こしたが、そのまま式場へ行きました。
しかし、到着したときには亡くなっていました。

事故の多発、年間数千人が亡くなっています。
花嫁さんの事故、8年も交際してきたが亡くなりました。
そういう不幸や災難が次から次へと来るのが人生です。

私達もいつその交通事故の数に入るか分かりません。
そんな人生、なぜ生きるのか。
本当の生きる意味仏教に教えられています。



# by sakyamuni | 2019-09-10 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

実際に、自分自身に死が迫ってきたらどんな心が起きるでしょうか。

福井大学の医学部の授業で使われていた教科書では、
事例を通してケアを考えています。

これは有名な話ですが、臨終に起きる痛みを
4つの要素に分けて考えています。

ガンになった人の苦しみや
痛みに4つあります。

22歳女性。
体のあちこちにガンが転移しました。

お母さん45歳。
8年前に乳がん手術。
2年前に父親がガンで死亡。
余命3から6カ月。
本人には伝えられていません。
何に苦しんでいるでしょうか。

1番目は身体的な痛み、これは末期癌では当然のことです。

2番目精神的な痛み。
どうして私だけこんな目に。
治らないんだろうか。
この先どうなっていくのかと思います。

3番目は社会的な痛みです。
婚約者はどう思っているのか。
学校は。
治療費は。
家族や周りに対する痛みです。
近年まではこの3つを取り上げていたが、
ここ10年は、苦しみの根本的なものと言われています。

私は何のために生まれてきたのだろう。
生きる意味はあったのか。
今、なんのために生きるのか、迷惑かけるだけで、死んだ方がましではないか。
自分に存在意義(レゾンデートル)はあるのだろうか。
一言でいえば、自分の人生いったい何のためだったのか。
生きる意味がわからないことが苦しみとなります。

私は罪を犯したからこうなったのか。
死んだらどうなるのか。

元気なときは、死んだ後はないとか、
死んでみなきゃわからん。
死後の世界はどうでもいい、という人でも思います。
心の闇が見えてきます。

自分が死ぬとなったら、どうなるんだろう。
何をするために生まれてきたのだろう。
死を目の前にしたとき人生で一番大事なことが何かといういことに気づきます。
それを医学部が学んでいます。

これに気づきなさいよといっているのが西洋のメメント・モリであり、
仏教無常観です。



# by sakyamuni | 2019-09-07 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

いろは歌の前半はこういう歌です。
色は匂えど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ

これは、現実を教えられたものです。
現実とは何かというと、一切は続かないということです。
仏教の言葉でいうと、諸行無常ということです。
これは、仏教だけに明らかにされた、仏教が真理であるあかし、三法印の一つです。
諸行無常は現実ですので、これを否定することはできません。

いろは歌にも出てくるほど、日本人の考え方の中心的なものになっています。
これは日本人の無常観です。
倫理の教科書にもあります。
いかに無常観が日本人に深く浸透していたかが分かります。

しかもすべてが続かない中でも、最大の問題は、自分の命が続かないということです。
これは、自分がやがて必ず死ぬということです。

こう言うと、現実だとは思うけど、いつ死ぬか分からない、とか言っていたら暗くなるでしょう。
どうせ死ぬなら、明るく生きましょう、と思います。

知っているんだけど忘れるようにしようと思います。

それで本当に知っているといえるのでしょうろうか?

この人生最大の問題が、本当に自分のこととして分かっていたら、
忘れることできないはずです。

例えばあと1カ月の命と余命宣告を受ければ、
忘れられないはずです。

忘れないように、考えないようにできるのは、
その恐ろしさが分かっていないからです。

その無常という現実を直視して、はじめて
変わらない、本当の幸せに向かって歩み始めることができるのです。



# by sakyamuni | 2019-09-03 12:00 | 無常 | Comments(0)

科学的な仏教

湯川秀樹の『目に見えないもの』という本があります。
湯川秀樹は西田幾多郎から仏教哲学について聞いていました。
そして、物理学の研究に、ギリシア思想は役に立たなかったが、
仏教は役に立ったといい、仏教を学んでいました。

そして現代物理学と仏教にこのように共通性を見いだしています。

近代科学においても最近までは「原子」の不変性が信ぜられていたのであるが、
今日のいわゆる素粒子なるものはもはや決して恒常なるものではない。
それどころか、なかには中間子のように短時間で自然に他の種類の素粒子に転化してしまうものさえある。
インドにはしかし物質がその本質において無常なものであるという思想、
仏教でいう「諸行無常」という思想もあったのであって、
この点では今日の物理学の見解との間にある共通性を見いだすのである。
(湯川秀樹『目に見えないもの』)

仏教は、今日の物理学の見解との間に共通性がある、と湯川秀樹も言っています。

このように、キリスト教科学と相容れませんが、
仏教は科学と調和するのです。



# by sakyamuni | 2019-08-31 12:00 | 仏教 | Comments(0)

科学的には現実は錯覚

私たちが普段見ているものは、現実のように思えて、夢幻のようなものだと
仏教で教えられています。
それが科学の世界でも確かめられつつあります。

NHKでやっていた、『時空を超えて』という番組で、
こんなことを放送していました。


いろいろな意味で私たちは現実の本質が分かっていません。
目や耳から得られる情報には限界があり脳は真実をゆがめます。
果たして私たちは何が現実なのか知る事ができるのでしょうか?
科学はそれを究明するために大いなる自然の謎を解き明かそうとしてきました。

しかし今どれだけの事が分かっているのでしょう?
この空間に私たちの目には見えない別の次元が存在するとしたら?
物理学者は大きく2種類に分けられます。
世界がなぜ現状のように機能しているのかその理論を構築する理論物理学者と
物質を分解して中に何があるかを確かめる実験物理学者です。

スティーブ・ナンは実験物理学者です。
私はこの世界は現実だと信じていますがその全てが分かっているとは思いません。
昔の世界地図を見るとたくさんの情報が欠けています。
人間が探検を重ねるにつれて地図は正確になりアメリカ大陸や南極オーストラリアなどが発見されました。
今の地図は衛星のおかげでとても精密です。

しかし現実について言えばこの古い地図と同じように知らない事だらけなのです。
今物理学者たちはジュネーブのLHC大型ハドロン衝突型加速器を使って
原子よりも小さな世界を解き明かそうとしています。
世界最大の顕微鏡とも言えるこの装置は光の速度に限りなく等しい速さで陽子を衝突させます。

ナンは2012年7月にヒッグス場の痕跡を発見した科学者の一人です。
ヒッグス場は長い間謎とされてきた物質が質量を持つ原因と考えられています。
しかしこの発見はまだ始まりにすぎないのかもしれません。
LHCは更に多くの不思議なものを見つける可能性もあります。

ひょっとしたらまだ見ぬ新しい現実への入り口さえ…。

物理学の大きな謎を解き明かす未知の時空が存在するかもしれないのです。
私たちが知っている全ての物には4つの基本的な力が働いています。
そして実体がよく分かっていない力「重力」です。
重力は他の力と比べると数兆分の数兆分の数兆分の1くらい弱い力です。
重力はなぜそれほど弱いのか。
LHCを使って答えを見つけたいと思っています。

多くの物理学者は私たちが知る3次元は大きな宇宙の断面にすぎないと考えています。
まだ発見されていない別の次元では重力も他の力と同じくらい強いのかもしれません。
それを証明するには強いエネルギーを備えた類似の素粒子を発見しなくてはなりません。

新しい素粒子を見つけたとしましょう。
大きな質量を持つ素粒子です。
電子やクオークの一つ一つが既存のものよりもはるかに高い質量を持った素粒子が存在するとしたら。

それこそ余剰次元の存在を示し重力の正体を知るための手がかりとなるでしょう。
余剰次元の中を移動できない素粒子もありますが重力は違います。
余剰次元のどこかでは重力もきっと他の力と同じくらい強い力を持っているはずです。
この見えない現実では物体の性質は全く異なります。

第一にとても重くなります。
例えばこのバスケットボール。
これが余剰次元を移動できる素粒子だとしましょう。
ここでボールを落としたらボールは重力で床に引き寄せられ床の力にはじかれて戻ってきます。

しかし余剰次元の重力が飛躍的に強くなる場所まで移動したとします。
その場所でボールを落とせば床は重みに耐える事ができません。
ボールは床を破って下の階へまっしぐらです。

ジュネーブのLHCでは陽子ビームを猛烈な力で衝突させる実験が行われています。
重力が強い次元が本当に存在するかどうかを確かめようとしているのです。
LHCがこれらの理論が正しい事を証明したら今までの通説は覆ってしまうかもしれません。

しかしどちらでもかまいません。
私の仕事はそこに何が存在して何が存在しないかを突き止める事ですから。
昔と同じように私たちは未開の地を探検し現実の本質を描く新しい地図を作ろうとしているのです。
宇宙には私たちが知るより多くの次元があるのかもしれません。
しかしもう一つ更にとっぴな可能性があります。
次元の数は私たちが思っているより少ないというものです。
もし見えているほど現実が複雑でなかったらどうでしょう?
私たちは原因と結果が結び付く世界に生きていて現実は予想どおりに動いているように見えます。

しかし原子より更に小さな量子の奇妙な世界では私たちの常識は通用しません。
そこではいくつもの現実が同時に存在し常に変化を続けあらゆる物事の結果が予想できないのです。

1つの物体が同時に2つの場所に存在できるものでしょうか?
無から何かが生まれる事はあるのでしょうか?
私たちが生きている現実では不可能に思えます。
しかし自然にはいくつもの階層があります。
観察すればするほど私たちが知っている現実は崩壊し錯覚が現実に見えてきます。


このように、科学でも、私たちの知っている現実は錯覚だったとわかってきています。
仏教でも、人生はのようなものだと教えられています。

この世は諸行無常の世界なので、一切はたよりになりません。
そして死んで行くときには、夢のように消えてしまいます。

そんな世の中で、変わらない幸せにるにはどうすればいいかを教えられたのが
仏教なのです。




# by sakyamuni | 2019-08-28 12:00 | 仏教 | Comments(0)

人生は夢のようなもの

あなたはを見たことがありますか?


夢の中で、目が覚めて起きた夢は見たことがあるでしょうか?
もしその夢を見たことがあるとすれば、
あなたは今、夢の中にいるかもしれません。

今朝、目が覚めたのが、現実だということは、
どのようにすればわかるでしょうか?
証明しようがありません。
分からないのです。

ということは、今見ているものが、夢か現実か、判定することはできません。

ほとんどの人は睡眠時間が8時間で、起きているのが16時間です。
睡眠時間の20%は、レム睡眠でこのときに夢を見ます。
8時間の20%は、1.6時間です。

ということは、起きているのが16時間で、
夢が1.6時間なので、
私たちが見ているものの、
約10%は、夢です。

今見ているものが夢である確率は、10%というのは、相当高い確率ではないでしょうか?

ですが、現在は夢を見ているのではなく、現実だと思っていると思います。
なぜそう言えるのでしょうか?
現実とは何なのでしょうか?

仏教では、人生は夢のようなものだと教えられています。
死んで行くときには、すべて夢のように消えて行きます。

夢の中でお金を手に入れても、地位を手に入れても意味がないように、
人生でお金を稼いだり、地位をあげたりしても、死んで行くときには意味がありません。
生きる意味は何なのでしょうか?
人間に存在意義(レゾンデートル)はあるのでしょうか。

そのような夢のように消えて行く人生で、
本当の生きる意味は何なのか教えられているのが仏教なのです。




# by sakyamuni | 2019-08-24 18:00 | 生きる意味 | Comments(0)

お金がないと食べてゆけない、住むところも大事です。
これらは、生き方の問題であり、生きていく手段です。
より長く生きるのは何のためか。
生きる手段も大事ですが、生きる目的はもっと大事ではないでしょうか?

目的あっての手段ですから、
生きる目的が分からないと、生きる手段も意味がなくなります。

では生きる目的とは何でしょうか?
私たちの人生には限りがあります。
しかし、身をもって経験するまで、自分が死ぬということを受け入れません。
臨終に後悔したらどうするのでしょうか。

だから昔からメメント・モリという言葉もあるし、
現代では死を見つめなさい死生学が注目されています。

昔、モーガン・フリーマンという有名な俳優のアメリカの番組が、
NHKで放送されていました。
そこでは、私たちは、他人には厳しいのに、自分に甘いといわれています。

私たちは自分の事や家族についてはおおむね楽観的です。
しかし他人に対してはそうではありません。
国や世界の将来に関してはやや悲観的ですらあります。
例えば景気の先行きについては悲観的な見方をしているのに自分の未来だけは大丈夫だと考えるのです。

タバコの箱に書かれた警告が見過ごされるのはそのためです。
喫煙が原因で年間600万人が死んでいるのに喫煙者はなぜか死ぬのは自分以外だと信じています。
自分だけは生き残ると思っているのです。
これは「偽りの現実」がもたらすマイナス面です。

私たちは、他人は死ぬと思っていますが、自分は死ぬと思っていないのです。
しかし、必ず死ぬのが現実です。
現実から逃避していては判断を誤ります。

現実を直視して、死ぬまでに何をすれば満足できるのか
本当の生きる目的は何か、
自分の生きる意味は何かを
よく考えなければなりません。

その本当の生きる意味が教えられているのが仏教なのです。



# by sakyamuni | 2019-08-21 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

ビートたけしは、バイクで怪我をしました。
顔面陥没して死んでもおかしくないところまでいきました。
本人は「もうだめだ」と覚悟しました。

それまでは、やりたいことをやって死ねば後悔しないと思っていました。
やがて漫才をやり、映画を作り、世界の北野といわれています。

好きなことをやって成功しました。
しかし、死にかけた時に、「俺は間違っていた」と知らされます。
後悔がないというのと反対だ。
死んでいくときには一切意味がなくなる」
名誉、褒めてくれる人と別れていかねばなりません。
死の直前までの経験として人生観を180度変えねばならないとなりました。
死を忘れるなという「メメント・モリは道徳の土台なのだ」と言っています。

障害者施設を襲って何人も殺したという事件がありました。
ニュースで、いろいろな人が色々なことを言っていましたが、
たけしは、生きる意味があるのかないのか、
どんなに苦しくても、生きなければならないのかが、
根底にある、ということを言っていました。



# by sakyamuni | 2019-08-18 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

恩徳讃というのは、親鸞聖人が作られた和讃です。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし

というものです。
浄土真宗の寺で歌われます。

仏教では、恩を知るのが大事と教えられています。
知恩、感恩、報恩といわれます。
まず恩を知り、恩に感謝するのが大事です。
それから恩に報います。
親の恩なら親孝行します。

まずどんな恩を受けているかです。
有情非情から恩を受けています。

親の恩。
恩を観ずる人、感謝する人は、
すみません、申し訳ありませんとなります。

反対は相済みといいます。
恩を知らない人は、何でも当たり前となります。
そういう人は、感謝は出てこない。
感謝のない人は、何も喜べないので、不幸な人です。

済みませんは、済んでいないということです。

豪雨で、電車動いていない。
いつもありがとうございます。
何で動かないのかと、文句言う人もいます。
いつも世話になっているのを知りません。
お金を払っているのだからと言います。

お金払ってレストランに入ります。
無人島では、お金を払っても食べられません。
だから、お金を払っても、食事が出てくるのは、本当は当たり前ではないのです。

蛇口ひねると水が出てくるのが当たり前と思っています。
しかし昔は井戸でした。
それを誰かが水道の設備を作ってくれたのを使わせてもらっているのです。
感謝の心で生活するのが大事です。
衣食住のことも当たり前ではありません。

大学生が大学に来れるのも、当たり前ではありません。
親は非常に高額の授業料を払ってくれています。
頭のいい人でも就職という人もあります。

バイトと奨学金という人もあります。
優秀な成績なら、また家の収入が少なければ学費免除というのもあります。
それで教育を受けさせてもらえるのです。

自分は親からどれだけの恩を受けているのか、
今、どんな人のお世話になっているのか、恩を知ることが大切です。

今はお盆なので、仏教に親しんで、親孝行しましょう。




# by sakyamuni | 2019-08-14 12:00 | 仏教 | Comments(0)

私たちはなぜ苦しんでいるのでしょうか?
お金が足りなくて欲しいものが自由に買えないからでしょうか。
それとも、時間が足りなくて、好きなことが好きなようにできないからでしょうか。
たいていの人は、お金がないからだとか、時間がないからだとか、
健康が損なわれているからだとか思っています。

ところが、少し進んで行くと、好きなことができないから、自由にできないから、という所に着目します。
そして、何かをスキだとか、こうしたいああしたいという自分の欲望で苦しんでいることに気づきます。
欲望というのは、煩悩の一つですので、自分は煩悩で苦しんでいると思っているということです。

煩悩は欲望の他にも、怒り愚痴などがあります。
自分が苦しんでいるのは、怒りの心からだ。
すぐに腹が立つからだ。
怒りが少なかったらなあと思います。

愚痴というのは、因果応報の因果の道理が分からず、ねたんだり怨んだりする心です。
私たちは、他人の幸せを願って、人のためにできればと思いますが、人の為のと書いて偽善になります。
人のため人のためといって、結局自分のために何か親切をしているのです。

煩悩がいかに、醜いか、いかにを作っているかということは分かり易いので、これを教えられると分かります。
こんなに悪を作っていたら死んだ後、どうなるのかという心配もでてきます。

それで、煩悩をなんとかしなければならないから、煩悩と闘って良い事しなさいよと教えられます。
仏教でも、わかりやすい阿含経から、少し程度の高い、方等経、さらに程度の高い、般若心経などの般若経、さらに法華経まではそうです。
学校にたとえると、テーラワーダ仏教などの阿含経は、幼稚園レベル。

大乗仏教の、方等経は、小学校レベル。
般若心経などは、中学校レベル。
法華経は、高校レベルです。

みんな、自分は心をコントロールして煩悩をなくせる、善いことができると思っています。
できると思っている人にはやらせてみるしかありません。
それは、ありのままの自分の姿を知らせるためです。

実際やってみると、煩悩はなくなりません。
食欲があれば、悪を作ります。
煩悩で悪を作っているということです。
悪を止めるには煩悩をなくししかありません。
煩悩がなくなれば幸せになれます。

ところが瞑想したり、親切したり、色々やってみると、煩悩をなくせません。
法華経までの仏教は本当の仏教でないのではないかと思う人が出てきます。
まったくその通りでち、法華経までの仏教は方便だったのです。

そして大無量寿経が本当の仏教ではないか。
ということに気づいた人が、何人かいます。
仏教の大学レベルは、大無量寿経の教えなのです。



# by sakyamuni | 2019-08-11 18:00 | 仏教 | Comments(0)

華厳経の教え

『華厳経』は、ブッダ仏のさとりを開かれて、一番最初に説かれたお経です。
当時、まだ誰もブッダのことを知りません。

それにもかかわらず、ブッダの説かれた一切経七千余巻の中でも、一番難しいお経です。
仏教学者でも華厳経を勉強しているといったら驚かれます。

聞いていた人たちは、如聾如唖になりました。
その中でも、2人だけ、文殊菩薩と普賢菩薩だけが頷いて聞いていました。

文殊と普賢というのは、仏の両脇の脇士の菩薩です。

文殊は智慧を表しています。厳しいイメージです。よく獅子に乗っています。
普賢は慈悲を表しています。優しいイメージです。よく象に乗っています。
ですから、ブッダの隣で象に乗っている人は普賢で、
獅子に乗っている人は文殊です。

では、華厳経はどうして難しいかというと、当時、インドは婆羅門教ばかりでした。
そのバラモン教の長老も、
「仏のさとりを開いたという若造がいる。
どんなことを言うのか聞いてやろう。
おかしなことを言ったら指摘してやろう」
と思って来ました。

現代日本でも、大学の授業でも、学生が教授を評価しながら聞いているようなものです。

その中に、バラモン教の長老で、120才のベーランシャが来ていました。
ブッダがなかなか出てこないので、わざわざ控え室に訪ねていった。
しかしブッダは一瞥をくれただけです。

「なぜそなたは、敬礼をしないのだ」
「われは仏なり」
「いまだかつて仏に敬礼をさせたものはいない」
「そなたこそわれに敬礼せよ」

そこで、ベーランシャは敬老の精神に訴えます。

「仏の教えに敬老の精神がないのか。
挨拶するのは若い者からではないか。
そなたは35。
わしは120。
そなたの方から敬礼すべきでないか」

「人間のあたいは年齢ではなく徳によってきまる。
われは仏なり仏徳を備えている」
そう言われてベーランシャが敬礼した。

そして、ブッダの後について歩いて出てきて、一番前でベーランシャが聞いた。
それを見た参詣者が皆、驚いた。
そして疑いながらきいた。

そこでブッダは仏の悟りの内容をそのまま話しされた。
悟りの内容をぶちまけられた。
文殊と普賢の2人も、たまにわかったところを頷いていました。

何かとてつもないことを話をされていることだけはわかった。
これは凄い方だなあと尊敬の思いが沸いてきた。

初めからそれがブッダの目的でした。
仏教は心の頭を下げて聞かなければいけないという仏教を聞く心構えを教えられたのです。


# by sakyamuni | 2019-08-08 12:00 | 仏教 | Comments(0)

ブッダは、諸行無常を教えられています。
これは、三法印という仏教の旗印の一つでもあります。

諸行無常とは、すべてのものは常がない、変わり続けているということです。
そのすべてのものの中でも、もっとも重要なのは、自分が続かないことです。
どんな人も必ず死ぬということです。

そう聞くと、「私は死ぬと思っていますよ」という人もいるかも知れません。
では明日死ぬと思っているでしょうか。
まさか今日、明日に死ぬとは思っていません。
それは結局、私は死なないと思っているのです。

なぜなら、明日は死なないということは、明日になればまた明日は死なないと思います。
後ろから光をあてられてそれを追いかけてもかげは踏めないように、明日死なないというのは、永遠に死なないという心です。
年を取ったら死ぬと思うのかというとそうではありません。

昔話題だった長生きの金さん銀さんという100歳を超えた双子のお婆さんがおられました。
テレビで取り上げられて有名になって、
「たくさんのプレゼント頂かれて、幸せですね」
というインタビューがありました。
「お小遣いを頂かれたそうですね」
「たくさん頂きました」
「何に使われるのですか」
「半分は寄付します」
「半分は?」
「老後の為にとっておきます」
101歳で老後だと思っていません。
今日や明日、死ぬと思えないのです。

しかし、すべての人は、必ず死んで行くというのが無常ということです。
では必ず死ぬのになんのために生きるのか。
最後、無常の世の中で、人間に生まれてきた目的は何か。
ところが仏教では諸行無常にもかかわらず人間に良かったという幸せがあると教えられています。
その身になるのが生きる目的であり、本当の生きる意味なのです。

たとえばお経の言葉を日本語訳したいろは歌にもあります。
「有為の奥山今日越えて」
これは、苦しみ悩みの人生を今、越えることができるということです。
浅い夢を見ているようでも、酒に酔ったようでもない、絶対に崩れない幸せになれる。
これが本当の生きる意味だということです。



# by sakyamuni | 2019-08-04 19:30 | 仏教 | Comments(0)

嫁姑問題を解決する方法

嫁姑は、昔から仲が悪いものと決まっています。
嫁がやがて姑になるのですから、相手の立場に立てそうなものですが、
お互いの利益が相当反する状況になるのでしょう。



嫁も姑もずっと一緒にいると思うと辛くなります。
ところが、ここで考え方を反転します。
私たちは、誰しも、やがて必ず死んで行かなければなりません。
永遠に一緒にいることはできないのです。
しかも、それはいつまでとは決まっていません。

一年後かもしれませんし、
一ヶ月後かもしれませんし、
明日までかもしれません。

もう後、どれくらい一緒にいるかわからないとなれば、お互いに大事にしようという気持ちになります。

親というものは、生きているときには
反発したり無視したりするものですが、
亡くなると、
「ああしておけばよかった、こうしておけばよかった」
と思うものです。

親孝行したいと思ったときには、もう親はいないのです。
それで先祖供養する人もあります。

しかしそんなことよりも、
生きている時に、しっかり親孝行して、
後悔のないようにしなければなりません。

その本当の親孝行の方法は、仏教に教えられています。


# by sakyamuni | 2019-08-01 12:00 | 仏教 | Comments(0)

夢を見ている時には夢とわかりません。
夢で宝くじあたったらどうするでしょうか。
貯金するでしょうか?

夢が覚めたら、「なーんだ」とがっかりします。

秀吉は、最晩年に醍醐の花見という壮大なイベントを催したといいます。
ところが、その5カ月後に死ぬとき、
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
 難波のことも夢のまた夢」
と辞世を詠み、
夢の中で夢を見ているような儚い人生だったと
寂しくこの世を去っています。
臨終になったら何も楽しいことはありません。

タバコ吸って死ぬよといわれても、好きなものを吸って死ねたら本望といいます。
それは、本当は死にたくないと思っています。
すべてを置いて死んでいく時に、馬鹿だったと後悔します。

私達は、頭では分かる智慧を持っています。
頭で理解するのは大事です。

理解は小さくありません。
がん検診をしたほうがいいですよといわれて
なるほどと理解して検診を受ける人もあります。

しかし、3回人間ドックをやったのに、見逃された人もあります。
他の病院にいったらステージ4のがんが見つかります。

会社に入っても倒産して苦しんでいる人もいます。
銀行でも大企業でもつぶれます。

洪水が来たとき、
70年の生涯で始めて洪水で流されたという人もあります。
今までの人生も苦しみに変わってしまいます。

この世は諸行無常の世界ですから、
ずっと続くというのは、間違った考えですよと知っておくのは大事なことです。


# by sakyamuni | 2019-07-29 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

ブッダの説かれた四聖諦

仏教には、四つの真理が教えられています。
これを四聖諦といいます。

まずは、人生苦なりという真理です。
そして、なぜ苦しんでいるのかという真理です。

それはまず煩悩で苦しんでいると教えられています。
煩悩とは欲望怒り愚痴です。

お金があってももっともっとと求めます。
お金のあるなし得なく無限に求める欲望に原因があるのではと思います。
そうなると欲が少なければなあと思います。
怒ってまたやっちゃったとなります。

そして次に、煩悩が滅した世界があります。
それが涅槃です。

そのためにはこのような道を行きなさいというのが八正道です。
今の内容がほとんどです。

しかし煩悩が無くなるのでしょうか。

ブッダは、怒る人について、3通りあるとお経に教えられています。
石に刻んだ文字のような人
砂に書いた文字のような人
水に書いたような文字のような人
です。

水に書いた文字のような人は、すぐに水に流します。
砂に書いた文字のような人は、しばらくで消えます。
石に刻んだ文字のような人は、もう忘れません。
水に書いた文字のような人にならなければなりません。
ではなれるのでしょうか。

苦悩の根元は煩悩より深い所にあります。

当時は聖道仏教が盛んだったのですが、法然上人、親鸞聖人で浄土仏教が明らかにされました。
現代では半分以上、浄土宗浄土真宗です。

もし煩悩が苦しみの原因で、修行によってなくさなければならないなら、
仏教は一部のすごい人だけのための教えということになってしまう。
しかし、仏の慈悲は、すべての人にかかっています。
浄土真宗に明らかにされている煩悩即菩提がすべての人が救われる真実の仏教です。

ナーガールジュナは、仏教を2つに分けて、易行道と難行道を教えられました。
四聖諦は難行道でしか使いません。
易行道でいうならば、ということです。




# by sakyamuni | 2019-07-25 13:00 | 仏教 | Comments(0)

ルソンのツボという番組が日曜日にやっていますが、
その司会の名越康文さんが書いたのが
『どうせ死ぬのになぜ生きるか』という本です。
これは、その題名通り、
私たちは何のために生まれて来たのか、
生きる意味は何かというのがテーマです。

それについて本を書きますよとかいてあるが、答えは仏教にあると表紙に書いて書店で売っています。

読んでみるとあくまでこの人は精神科のお医者さんだから
仏教の内容に関してはこの人の自己流解釈が多いですが、
精神科のお医者さんでも仏教を少し学ぶと
結局死ぬのになぜ生きるかの答えがあるぞと
最近は本に出す人が多くなっています。

宗教偏見の大きな日本人にもかかわらず、
仏教がどんどん流行していることがわかります。

それだけ仏教はすばらしいということです。



# by sakyamuni | 2019-07-22 12:00 | 生きる意味 | Comments(0)

医学部教授の水原舜爾の『科学から仏教へ』に、こうあります。
_______________
真に偉大な科学的発見をした科学者は宗教は科学と矛盾するとか宗教が非化学的という立場が取られていない。
・・・・

湯川さんは仏教にも詳しい方ですが科学がすべてと思う人は科学すらもよく知っていない人であるといわれています。
岡潔先生も念仏行者であることは有名ですがいたるところに仏教的発言をなされている。
・・・
今日日本ではいたるところに無宗教をいう似非インテリや若者が増えているが・・・
海外で私は無宗教ですといおうものならいかに変人と思われるか無宗教とアナーキストと同様に見られる国もある。

人間存在の意味を求めることは宗教的だといわれますから
「おれは無宗教だ」と宣言するとは人間存在の意味さえ考えたことのない
浅薄な人間だと自らいっているようなものでこれらの人間はもはや人間というべきではないでしょう。
________________

これは強烈です。
自分の存在意義を考えることは宗教的だから、
人間存在さえ考えたことのない人は人間でないという強烈なことをいわれています。

そして、日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹は、仏教に詳しく、数学者の岡潔は念仏行者でした。
すぐれた科学者や数学者たちは仏教を勉強しているのです。



# by sakyamuni | 2019-07-19 12:00 | 仏教 | Comments(0)

仏教のイメージは宗教?

このブログを読んでいるような人で、仏教に偏見を持った人ないかもしれませんが、
世間では仏教と聞くと葬式やら法事だと思います。
そのため死人が出たときにしか用事がないものと思っている人がほとんどです。

若者の中には仏教自体にはあまり偏見なくても仏教は宗教の中の1つとなると宗教は嫌だという人はあると思います。

仏教というのは実に深いもので西洋では仏教を東洋哲学のジャンルにいれています。
なぜなら仏教が西洋に伝わったとき仏教は最初カルトといわれた。

なにしろを否定し、神など存在しないというのが仏教だからです。
神がいるというのがキリスト教にしろユダヤ教にしろ、神の教えが大前提でキリスト教が90数%の国です。

仏教には神がいない、これはもう危険思想。
神を否定するなんてカルトだといわれましたが、
カルトというて排除するには教えが深い。
これはきっと宗教というキリスト教と同じジャンルにいれるからぶつかるんで東洋哲学というジャンルにいれようとなりました。

ところが日本では宗教というジャンルに入っています。
これがおかしい。

宗教というジャンルにはキリスト教もイスラム教も天理教やら何々教となったらとにかく宗教です。
オウムも解散させられるまで宗教といわれていました。

仏教も宗教にいれて、仏教にあまり悪いイメージはないが、宗教には悪いイメージがあるので、仏教も宗教でしょ。
宗教には関わりたくないという人がほとんどです。

家の宗旨が仏教という人がほとんどだと思います。
私もそうです。
仏教の宗派で一番多いのは浄土真宗です。
次が浄土宗です。

ところが、新興宗教にしている人もたくさんあります。

天理教などでは、病気になるとお授けといって
「なおし給え」といって儀式すると治るといわれていました。
こんなんで治るかな、
でも親のやることだからまかせて終わったら病院にいこうと子供は思っていますが、
終わったあとやっぱりその親も病院につれていきました。



# by sakyamuni | 2019-07-15 12:00 | 宗教 | Comments(0)

自分の姿が分からないのに幸せになることはできません。
自分の姿を知らなければなりません。
しかし、自分のことはわかっていると思いますが、それが正しい私の姿かどうか。
正しくなければ自分を知ることはできませんので意味がありません。

自分を知るとき、まず手がかりにするのは、他人の評価です。
しかし、人の目にうつった姿には見る人の都合が入るという欠点があります。
その例がいっぱいある。都合によってコロコロ変わるからあてになりません。

徳川時代に書かれたもので豊臣時代がよかったというものないし、
明治時代に書かれたものに徳川時代がよかったというものはありません。

ハイデガーと恋人関係にあったハンナ・アーレント。
このアーレントの映画ができて本屋さんに本が並んでいるらしい。
アーレントといえばナチズムを批判した人。
ナチズムにはまってたハイデガーを本来批判せねばならないのに弁護しました。

最高裁でも8対7というのがあります。
1人ずれたら7:8で判決が変わります。

実際、死刑囚として何十年と刑務所に入っていた人が再審請求がとおり
判決が改まって何十年ぶりに出てきたという人がありました。

バスの運転手だった人で子供を殺したと訴えられた人。
決めつけられて死刑。
あわないこともいっぱいありました。
靴の大きさ。

疑わしきは罰せずという原則からいえば疑いだらけ。
冤罪でした。

DNA判定の結果全くの他人と出た。
当時裁判に関わった裁判官が30人ほど。
その中でたった1人、無罪を主張していた人がいました。
後の人はみな有罪でした。

有罪だったといっていた裁判官はなくなって無罪といっていた人が生き残って
私は最初から無罪といれていたが多数決で申し訳なかった。
どうすることもできなかったと謝罪しています。

その人はその裁判以降、裁判官をやめました。
無罪と思っていた人が死刑になった罪悪感から。

だから多数決で決められて公正だと信じたい裁判でも無罪の人が有罪になったり
有罪の人が無罪になったりします。

人間がどうみるか、それはその人の都合によって変わります。
人の目を気にして反省の材料にするのは大切だが人の目にうつった自分が本当の私かというとありえません。

人はどうしてこんなにご都合主義でコロコロ変わるのでしょうか。
人間の価値判断の曖昧さと、無責任さではないでしょうか。

そこで、仏教では仏のさとりを開かれたブッダが真実の自己を明らかにされています。



# by sakyamuni | 2019-07-12 12:00 | 罪悪 | Comments(0)