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人生の二者択一の選び方

人生には、二者択一を迫られることがあります。
そんなときどのように選べばいいのでしょうか。
お経の中に、こんな話があります。

ブッダは、七千余巻のたくさんのお経を説かれ、
人々を法華経にみちびこうとされました。
法華経が説かれるとき、
「今日は大事な話が説かれるようだ」
とみんな集まってきました。

その時に王舎城の悲劇に苦しんだ
韋提希という王様の妃の叫びが
ブッダに届きました。

ご説法中にブッダは、
「なさねばならぬ大事ができた」
と言って法華経を中断され、座を立たれました。
これは大変なことです。

普通、仏教講座の最中に講師が席を外すことは考えられません。

これを『御文章』4帖目3通には、
むかし、釈尊、霊鷲山にましまして、一乗法華の妙典をとかれしとき、
提婆・阿闍世の逆害をおこし、釈迦、韋提をして安養をねがわしめたまいしによりて、
かたじけなくも霊山法華の会座を没して、王宮に降臨して、
韋提希夫人のために浄土の教をひろめましまししによりて、
弥陀の本願このときにあたりてさかんなり。
このゆえに法華と念仏と同時の教といえることは、このいわれなり。

と教えられています。
「浄土の教」とは、王舎城の悲劇の説かれている
観無量寿経のことですから、
法華経と観無量寿経は同時に説かれたお経です。

ブッダの説かれた法華経も観無量寿経もどっちも大事です。

では、二者択一となったら、どちらが大事でしょうか。
観無量寿経に説かれた阿弥陀仏の本願が、
ブッダの出世の本懐の中の本懐です。

「最もなさねばならぬことができた」
と韋提希夫人のところに行かれたのです。

このことから私たちが学ばなければならないのは、
仏教を求めて行くと、どうしても二者択一を迫られるときがあります。
仕事や世間のつきあい、その他色々なことがあります。

その時、私がこの世に生まれてきたのは何のためか、
よく確認して人生の選択肢を選ばなければならないということです。


by sakyamuni | 2018-02-10 12:00 | 生きる意味