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善導大師の二河白道のたとえ

善導大師。1300年前の中国の方。
唐の時代、仏教が栄えた時代。

親鸞聖人、正信偈の中で
善導独明仏正意
世界の光と言われる親鸞聖人が、大変尊敬されていた。
30年、仏教の勉強のために床をしいて休まれなかった。
ただ人ではない。

二河白道のたとえ。
たとえというのは、
分かりにくいことをわかってもらえるようにと使う。
たとえだから、当然あわないこともある。

善導大師は何のために作られたか。
「信心獲得するまでの求道の道程を示すため」
心の道程だから、わかりにくい。
そこで、たとえでその道程を少しでも分かってもらいたいと作られた。
善導大師でなければ作れない話。
これは私たちが、とても知りたいこと。

一人の旅人。
幸せを求めて旅していた。
無人空迥の澤。
生きる手段を教える人ばかりで、
人生の目的を知る人がいない。

ある一人の尊い方に出会った。
「本当の幸せを求めているのならば、西に向かって進め」
そして西に向かうと、忽然と大きな河が現れた。
向こう岸が見えない河。水の河と火の河。
それ以上進めなくなってしまった。
向こうは西岸、こちらは東岸。
ためらっていると尊い方
「何をしている、足元を見よ」
細い、白い道が走っているのを見つける。幅4、5寸
「その細い道を進め」
旅人は進むが、たちまち水の河と火の河の波が押し寄せる。
そこですぐに戻ってしまう。
尊い方「何をしている、おまえはこちらで本当の幸せがあったのか。
さあ、早く進め」
そう押し出されて、また進んでいく。
進んではまた下がり、下がってはまた進み。
少しずつではあるが、旅人は進んでいった。

すると、こちら岸に突如、群賊悪獣悪知識が現れた。
「そんなところに行っても幸せになれんぞ、こっちに来て楽しくやろうじゃないか」
と優しく旅人に呼びかける。
旅人は、道が細く苦しい。本当にこの白道が向こう岸に届いているのだろうかと不安。
さらに、いろんな人が呼びかけるので、ふらふらと帰ってこようとする。
みんなが帰って来いと言う中、尊い方だけが
「何をやっている、西に向かって進め。こちらにいて、本当の幸せはなかっただろう」
進めと言うのは一人だが、旅人はああそうだなあと知らされて、
また西に向かって進んでいく。

やがて、群賊悪獣悪知識が脅しにかかる。
「おまえのために言ってやったのに。だまされているんだ。
それでも行くなら殺すぞ」
旅人はこの言葉で、また戻ろうとするが、また進み、また戻り・・・
旅人にはわからないが、実は向こう岸から強い力で引っ張られている。
だから進んでいける。ひとえにこの御念力。そして、尊い方のお言葉。

ところが、真中あたりまで来た時、
もうこれ以上1歩も進めなくなってしまった。
水の河が道を潤し、火の河が道を焼く。

もうだめだ、引き返すしかないと振り返ったとき、
やはりその道も河にかき消されていた。とても戻れない。
そしてじっとしていても、そこに河が押し寄せていた。
絶体絶命。行くも死、帰るも死、とどまるも死。これを三定死。

そのとき、西岸上から呼び声が聞こえる。
その声を聞いた一念で、それまでの苦しみがなくなり、
大安心大満足の身になった。
白道は変わらない。
しかし、大安心大満足の心で進むことができ、やがて西岸に着いた。




by sakyamuni | 2017-08-16 12:00 | 二河白道