念珠とは

念珠とは何でしょうか。
念珠をまたぐ事がないようにといいますが、
なぜでしょうか。

蓮如上人の数珠という御文章がある。
御文章二帖目第五通
そもそも、この三四年のあいだにおいて、当山の念仏者の風情をみおよぶに、
まことにもって他力の安心決定せしめたる分なし。
吉崎に参詣している念仏者の様子をみると
他力の信心決定しているひとがどうもいないようだ。
少ないのでないかと悲しまれる。

その故は、数珠の一連をももつひとなし。
その故は
何故かというと、数珠を持っていない。

さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり。
さればこそ仏を手づかみにするようなものだ。
数珠持たずに仏さまを拝むことは仏様を手づかみにするようなものだ。

聖人、まったく、数珠をすてて仏をおがめとおおせられたることなし。
合掌礼拝するときは念珠を持ちなさい、
手づかみにしてはなりませんよ。
この後誤解のないように、
さりとても数珠をもたずとも往生浄土の為にはただ他力の信心一つばかりなり

数珠をなくしてしまったから浄土に行けなくなってしまった
ということはありません。
信心決定しても数珠を忘れる人はあります。
数珠を忘れて健忘症になるとか。
だから、くぎを刺されている。

数珠は大切ですが、では数珠は何なのか、
この珠が煩悩です。
数は三十八。色のついたものをはずすと三十六。
本当は百八ある。煩悩の数。その中でも三つ他の珠と違うものがある。
これが三毒の煩悩,私達は煩悩具足でいつも煩悩に悩まされ煩わされている。
朝起きても布団からでれない、これが睡眠欲。
睡眠欲と戦わないと回しげり、笑われる。
そこで起きる。
ところが今度起きると別の欲望、食欲。
また電車に乗ると時間がない、遅れたらみんなから白い目で見られる。
これが名誉欲。

このように私達は煩悩で生きるが煩悩のまにまに生きていたのでは幸せになれない、
そこで一本の糸を通す。喜びにかえるということ。
この糸が信心という糸です。
煩悩の珠を信心という糸が貫いています。
散乱粗動の心を信心の糸がつらぬいている。
これが煩悩即菩提の世界。

煩悩はなくなりませんが煩悩が信心という糸によってそのまま菩提に転じる、
煩悩即菩提を表している。
そしてその下に房がある。

これは何、喜びを表している。
信心決定の喜びをあらわす。
煩悩の珠に信心の糸が連なる。
念珠を手に掛けて合掌礼拝する、そういう意味。

そういう大切なものですから念珠をまたぐ事がないように注意いたしましょう。
念珠だけでなく御聖教もまたがないように注意いたしましょう。
またがないようにするのは難しいが、心がけとしてまたいでは行けません。



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by sakyamuni | 2017-06-19 18:00 | どうしたら助かる? | Comments(0)