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八万の法蔵

それ、『八万の法蔵を知るというとも、後世を知らざる人を愚者とす。た
とい一文不知の尼入道なりというとも、後世を知るを智者とす』と言えり。
然れば、当流の意は、あながちにもろもろの聖教を読み物を知りたりというと
も、一念の信心の謂を知らざる人は徒事なりと知るべし。
御文章五帖目二通『八万の法蔵』


八万の法蔵とは一切経。
一切経を全部読んで知っている人でも後世を知らない人、
自分が死んだらどうなるか分からない人は、愚か者。愚者。

愚か者って叱られたらいかんだろうやっぱり。
一文不知の尼入道ってどんな人?
お金の勘定も出来ない人。
或いは文字でいえば字の縦横も分からない人。

真宗聖典をちらっと見てください。
逆さにしますか?

しないと言うことは、あなたは一文不知ではない。
一文不知の尼入道でも、
後世を知っている人、信心決定した人は、
賢い、智者である。ということだね。

然れば当流の心
浄土真宗の教えは
どれだけお聖教を読んで物を知っていても
一念の体験のない人は徒事。
と言うことは、一念の信心の体験をした人が智者。

一念からが智者、一念までが愚者。
真実の信心を体得した人が智者、諦得していない人が愚者。
だから中村元さんのような人でも、
あの人は学者だが残念ながら一念の信心の謂は知らない。
後世を知らない。

一念の信心が如何に大切か。


by sakyamuni | 2017-05-24 12:00 | 信心