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無明煩悩しげくして

無明煩悩しげくして 塵数のごとく遍満す
 愛憎違順することは 高峯岳山にことならず (正像末和讃)

無明」はここでは煩悩、無明の闇ではない。
煩悩と言う言葉を重ねて強めて使っておられる。

しげくして
とは、いっぱいあるということです。煩悩がいっぱい。

塵数のごとく遍満す」、
塵の数ほど我々の中に満ち満ちている。

愛憎違順
自分を慕ってついてくる人、自分にとって都合のいい人、
そういう人は愛せる。

ところが、その人が自分にとって都合が悪くなる。
かつて好きだった人がすぐ嫌いになってしまう。
今度は別の人が都合がよくなると、そっちが好きになる。
そういう自分勝手な心がいっぱいある。

高峯岳山にことならず
高峯岳山と言うのは高—い山。
ヒマラヤ山脈のような、峰、高い山々が続いている。

そういう状態を高峯岳山と。大きな山ほど親鸞の心の中にはあると。
だから、一切の人々に大慈悲を以って接する。
とてもじゃないけど親鸞にはできなかったと。
法華経の修行を親鸞聖人なさったんですよ。
とてもできなかったと。

それは室衣座の三規の一番の初歩です。

「室」とは仏の部屋に入る。
そして仏の「衣」をきて、仏の「座」に座る。
その一番最初が仏の部屋に入る「室」ですから。
それさえもできなかったと。

「衣」とは如何に苦しいことでも笑ってしのぶこと。
これが中々できない。
苦しい顔をしちゃいけない。笑って忍ぶ。
この親鸞にはとてもできなかったと。

「座」とは一切のものに対する執着を断つこと、これも難しい、
これは煩悩をなくせということ。
煩悩ある限り、我々は一切のものに対する執着なんか断てません。


by sakyamuni | 2017-05-20 18:00 | 罪悪